ブリテン(英語表記)Britten, (Edward) Benjamin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブリテン
Britten, (Edward) Benjamin

[生]1913.11.22. ローストフト
[没]1976.12.4. オールドバラ
イギリスの作曲家。 12歳で F.ブリッジの弟子となり,1930~33年ロンドン王立音楽学校で学んだ。卒業後は映画,ラジオ,劇場音楽を作曲,39年渡米して最初のオペレッタ『ポール・バニヤン』を発表し,42年帰国。クーセビツキー基金により3幕のオペラピーター・グライムズ』 (1945) を完成。その後『ルクリーシャの凌辱』 (46) ,『アルバート・ヘリング』 (47) ,『ねじの回転』 (54) ,『カリュー・リバー』 (64) などのオペラを次々に発表した。歌曲,管弦楽にもすぐれ,『シンプル・シンフォニー』 (34) ,『青少年管弦楽入門』 (46) ,『戦争レクイエム』 (61) などの作品がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

ブリテン

英国の作曲家。サフォーク州ローストフト生れ。作曲家F.ブリッジ〔1879-1941〕に学んだのち16歳でロンドンのローヤル音楽カレッジに入学し,在学中から作品を発表。卒業後ラジオや記録映画の音楽を作曲し,詩人オーデンと知り合う。1939年―1942年渡米したオーデンのあとを追って,生涯の盟友となったテノール歌手ピーターピアーズ〔1910-1986〕とともに米国に滞在。オーデンを囲む芸術家サークルと交流を深める一方,ランボーの詩による声楽と弦楽オーケストラのための《イリュミナシヨン》(1939年),日本の〈皇紀2600年奉祝〉作品として委嘱された管弦楽曲《鎮魂交響曲(シンフォニア・ダ・レクイエム)》(1940年)などの傑作を作曲。後者は日本政府を激怒させ,日本初演は中止となった。帰国後はクーセビツキーの委嘱によるオペラ《ピーター・グライムズ》(1945年)で圧倒的成功をおさめ,以後オペラをはじめとする多くの作品により英国の作曲家としてパーセル以来の高い評価を得た。その後の主要作品に,《ルクリーシアの凌辱(りょうじょく)》(1946年),《夏の夜の夢》(1960年),能《隅田川》にもとづく《カーリュー・リバー》(1964年),《ベニスに死す》(1973年)などのオペラ,《春の交響曲》(1949年),《戦争レクイエム》(1961年),ロストロポービチに献呈された《チェロ・ソナタ》(1961年)など。1948年以降〈オールドバラ音楽祭〉を主宰。指揮者,ピアノ奏者としても活躍した。→ショスタコービチビシネフスカヤピーターと狼フィッシャー・ディスカウ
→関連項目キリアンクランコフェリアーブレーンホルストレクイエム

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ブリテン

イギリスの作曲家。幼少の頃からピアノや声楽を学び、作曲を始めた。ブリテンの母親は、アマチュアながら才能のあるソプラノ歌手であった。10代の前半からブリッジに作曲を師事し、奨学金を得てロンドン王立音楽 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ブリテン【Benjamin Britten】

1913‐76
イギリスの作曲家。幼少のころから楽才を発揮し,12歳から作曲を学び,16歳でロンドンのローヤル音楽カレッジに入学した。1934年卒業後,詩人W.H.オーデンに協力して記録映画のための音楽を作曲した。39‐42年,テノール歌手P.ピアーズとともにアメリカに滞在中,日本の〈紀元2600年〉奉祝作品の委嘱をうけて作曲した《鎮魂交響曲Sinfonia da Requiem》(1940)は日本政府を激怒させ記念演奏会の曲目からはずされた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ブリテン【Britain】

〔「不列顚」とも当てた〕 ⇒ グレート-ブリテン

ブリテン【Edward Benjamin Britten】

1913~1976) イギリスの作曲家。現代イギリスを代表する作曲家で、前衛音楽とは一線を画した新鮮な現代感覚あふれる作品をつくった。代表作、オペラ「ピーター=グライムズ」、「戦争レクイエム」、「青少年のための管弦楽入門」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブリテン
ぶりてん
Benjamin Britten
(1913―1976)

イギリスの作曲家。ストフトに生まれる。幼時から異常な音楽的才能を示し、F・ブリッジに作曲を学ぶ。1930年ロンドンの王立音楽院に入学。卒業後、詩人W・H・オーデンに協力して記録映画をつくり、また彼の詩に作曲を試みる。39年、親友のテノール歌手ピーター・ピアーズとともに渡米し、アメリカに移住したオーデンを中心とする芸術家グループと親しく交わる。42年帰国したブリテンは、指揮者クーセビツキーの委嘱によるオペラの作曲に専念する。このオペラ『ピーター・グライムズ』は45年ロンドンで初演され、圧倒的な成功を収める。その後、最後のオペラ『ベニスに死す』(1973)に至るまで、『ルクリーシアの凌辱(りょうじょく)』(1946)、『アルバート・ヘリング』(1947)、『オペラを作ろう、小さな煙突掃除』(1949)、『ビリー・バッド』(1951)、『グロリアーナ』(1953)、『ねじの回転』(1954)、『ノアの洪水』(1957)、『真夏の夜の夢』(1960)、『カーリュー・リバー』(1964)、『燃える炉』(1966)、『放蕩(ほうとう)息子』(1968)、『オウエン・ウィングレーブ』(1970)など多くのオペラが作曲された。彼の音楽は、斬新(ざんしん)な作風を示すものではないが、確かな技巧と豊かな旋律に恵まれ、その巧みな表現力によって多くの聴衆を魅了している。56年(昭和31)来日。オールドバラに没。オペラ以外の作品も多いが、なかでも『戦争レクイエム』(1961)、『青少年のための管弦楽入門』(1946)などが広く知られている。[寺田兼文]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のブリテンの言及

【映画音楽】より

…《嘆きの天使》など),K.ワイル(《三文オペラ》《真人間》など),ショスタコービチ(《呼応計画》),H.アイスラー(《新しい大地》《外人部隊》)らが活躍した。さらにイギリスのドキュメンタリー映画の分野では,カバルカンティと組んだE.B.ブリテン(《コールフェース》など)をはじめ,A.ローソーン(1905‐71。《都市》など),そしてボーン・ウィリアムズらの仕事が注目されることになる。…

【室内管弦楽団】より

…1800年以前の音楽は,作曲当時の演奏規模で演奏するのが理想であるという考え方に基づいて,古い時代の作品が室内管弦楽団のおもなレパートリーとなったが,20世紀の作曲家たちの中にも,いたずらに巨大化した編成による作品のみでなく,こうした小編成の緊密なアンサンブルによってのみできる表現に目を向けた人々が現れて,新しい作品が多く提供された。シェーンベルクの《室内交響曲》(1907),ブリテンの《シンプル・シンフォニー》(1925)等はその好例である。イ・ビルトゥオージ・ディ・ローマ(通称〈ローマ合奏団〉),イ・ムジチ室内合奏団シュトゥットガルト室内合奏団,ロンドン・シンフォニエッタ,ハンガリーのリスト室内管弦楽団,ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ等がすぐれた演奏で知られる。…

【戦争レクイエム】より

…イギリスの20世紀の代表的な作曲家ブリテンの晩年の作品(作品番号66)。第2次世界大戦の空襲で破壊されたコベントリー大聖堂の新築記念のために作曲し,1962年5月30日,ブリテン自身の指揮,フィッシャー・ディスカウその他のソロ,バーミンガム市立交響楽団によって初演された。…

【テ・デウム】より

…他方,近世に入ってからは,国家的慶事や戦勝祝賀のために,大規模かつ壮麗なスタイルで作曲されることが多い。このジャンルに属する作品には,ベルサイユの宮廷音楽総監督リュリがルイ14世の病気平癒を祝って作った曲(1677),ヘンデルがイギリス国王の戦勝を祝って作曲した《デッティンゲンのテ・デウム》(1743),ベルリオーズがパリ万国博覧会に際して発表した曲(1855初演),ブリテンが第2次世界大戦の終結を神に感謝して作った《フェスティバル・テ・デウム》(初演1945)などがある。なお特定の機会に結びつくものではないが,広く知られた曲に,ブルックナー(1884),ドボルジャーク(1892),ベルディ(1896)の作品がある。…

【パーセル】より

…とくに劇音楽を得意とした。日本では,イギリス現代作曲家ブリテンが作った《青少年のための管弦楽入門――パーセルの主題による変奏曲とフーガ》(1946)を通じて特にその名が知られているが,ブリテンが引用したのは,パーセルの劇的付随音楽《アブデラザール》の〈ロンド〉の主題である。 パーセルは音楽家の家系に生まれ,少年時代にチャールズ2世の王室礼拝堂少年聖歌隊に入って教育を受ける。…

【ピーター・グライムズ】より

…イギリスの作曲家ブリテンのオペラ(作品33)。詩人クラッブの長詩《自治村》(1810)の第22編を劇作家M.スレーターが台本化した。…

※「ブリテン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

多文化主義

マルチ・カルチュラリズムともいう。さまざまな人種,民族,階層がそれぞれの独自性を保ちながら,他者のそれも積極的に容認し共存していこうという考え方,立場。「人種のるつぼ」的な同化主義に対抗する考え方で,...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ブリテンの関連情報