コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ブルキナ・ファソ ブルキナファソ

百科事典マイペディアの解説

ブルキナ・ファソ

◎正式名称−ブルキナ・ファソBurkina Faso。◎面積−27万764km2。◎人口−1629万人(2010)。◎首都−ワガドゥグーOuagadougou(148万人,2006)。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルキナ・ファソ
ぶるきなふぁそ
Burkina Faso英語・フランス語

西アフリカのサバンナ地帯にある内陸国。北はマリ、南西はコートジボワール、南はガーナトーゴベナン、東はニジェールの6か国と国境を接する。かつてはオートボルタHaute-Volta(ボルタ川上流の意)と称したが、1984年現在の名称に改称した。国名は「高潔な人々の国」の意味。中世以来栄えたモシ王国の領域であるが、現在は乾燥内陸農牧国でめぼしい農産物、鉱産物もなく、1人当り国民総所得(GNI)は430ドル(2007)と低く、外国への労働移民が多い。面積27万4222平方キロメートル。人口1280万2000(2005推計)、1576万(2009推計)、人口密度1平方キロメートル当り46.7人。首都はワガドゥーグー(人口114万2000。2007)。[藤井宏志]

自然

国土の大部分は、先カンブリア時代の岩石が削られた平均標高400メートルの高原と標高200~300メートルの河川流域の低地からなる。唯一の例外は、ボボ・ディウラッソの西方に高原より一段高くそびえる古生代の砂岩、片岩からなる山地である。山地の最高峰は749メートルのテナクシ山である。山地の南東麓(ろく)には高原との間に長さ1キロメートル、高さ150メートルの断崖が続いており、アフリカらしいスケールの大きな景観をみせている。高原の地表には固いラテライト皮殻(キラス)が分布しており、農耕を困難にしている。水系には、南西部のコモエ川、南部の黒ボルタ川、赤ボルタ川、白ボルタ川、それに東部のニジェール川に注ぐ河川がある。いずれも雨期と乾期との流量の差が大である。
 国土が北回帰線より赤道側にあるため、1年間に二度太陽の高度が最高になる(太陽が頭上を二度通過する)ため、年に二度気温のピークがあるが、4~5月のほうが暑く日中は40℃以上になる日もある。冬が乾期、夏が雨期のサバンナ気候であるが、南部は年降水量1000~1400ミリメートルであるのに対し、北部は500ミリメートルと少ない。雨期月数も南部が6~7か月に対し、北部は4か月程度である。気候異変で夏雨が少ない年が続くと干魃(かんばつ)となり、人為的要因もあって1967~1974年など人畜に大きな被害が生じた。冬季にはサハラ砂漠からの砂まじりの冷風ハルマッタンが吹くことがある。植生はワガドゥーグーより南がアカシア、バオバブなどの疎林のあるサバンナ、北はとげのある植物が生える草原となっている。南東部には野生動物保護区がある。[藤井宏志]

歴史

首都ワガドゥーグーは、12世紀以来ブルキナ・ファソを領域としたモシ人の連合王国であるモシ王国の首都であった。モシ王国は14世紀にはニジェール川流域までその版図を拡大し、その後マリ帝国、ソンガイ帝国などの興隆で勢力を縮小したものの、近代まで独自の王国を維持してきた。19世紀末この地に進攻したフランス軍は、1896年モシ王国を保護領とした。その後、フランスはこの地を上セネガル・ニジェール植民地の一部としたが、1919年小行政単位に分割、モシ人を中心としたオートボルタも一つの行政単位として区分され、このとき現在の国土の基礎がつくられた。1933年オートボルタは分割され、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)、ニジェール、コートジボワールに編入され、これら三国の一部となったが、1947年再度オートボルタとして統合され、1958年フランス共同体内の自治国となり、1960年8月5日オートボルタ共和国として独立した。1984年にブルキナ・ファソに改称。[藤井宏志]

政治

独立後は、貧しい経済、干魃、特権階層の腐敗などのため民政、軍政を繰り返してきた。ボルタ民主同盟のヤメオゴが初代大統領となった(第一共和制)が、1966年1月財政政策の失敗から労働組合がゼネストを行い、この事態を収拾するため軍部がクーデターを挙行し、ラミザナ中佐が全権を握って大統領に就任した。憲法は廃止され、議会は消滅した。1970年大統領を再任する憲法を発布し、新議会の選挙も行われた(第二共和制)。干魃による経済不安もあって1974年任期切れを前に、ラミザナはふたたび憲法を停止し議会を解散して、軍人10人、文官4人からなる内閣をつくり、自らも首相を兼ね独裁体制を固めた。1977年民政移管のため政党禁止令を解除し新憲法を成立させ、1978年議会選挙を行いラミザナは大統領に当選した(第三共和制)。しかし、1980年11月、ワガドゥーグー軍司令官ゼルボ少佐の率いる軍隊が無血クーデターを行い、憲法を停止し国家進歩再建軍評議会を結成した。その後、1982年11月、ウエドラオゴ少佐がクーデターで同評議会を打倒、さらに1983年8月、前首相サンカラがクーデターを起こしてウエドラオゴ政権を倒し、民族革命評議会を結成して議長に就任して、腐敗追放を掲げ急進的な政策を進めた。1987年10月、コンパオレ中尉がクーデターを起こし現実的な政策に転換した。1991年、人権尊重、三権分立、直接選挙をうたった新憲法が成立し、12月コンパオレが大統領に当選。翌1992年5月の総選挙で、大統領の与党人民民主主義・労働運動が過半数を占めた。1996年2月野党10党が合同し民主進歩会議を結成し、過半数を占め、経済専門家のカドレ・デジレ・ウエドラオゴが首相の座についた。1998年コンパオレが大統領に再選された。中立非同盟であるが、経済援助の関係から欧米諸国との外交も活発である。旧宗主国フランスとは緊密な関係を保つ一方、ロシア、北朝鮮とも外交関係がある。1994年、台湾と外交関係を結び、中国とは断交した。2000年8月に台湾の総統陳水扁(ちんすいへん)がブルキナ・ファソを訪問した。同年国民議会は、2005年の大統領選挙より大統領任期を7年から5年に短縮し、3選を禁止することを可決したが、2005年11月の大統領選挙では3選禁止の規定は適用されず、コンパオレが当選した(3期目)。2008年4月には生活費の上昇、役人の腐敗に抗議するゼネストがあった。[藤井宏志]

経済・産業

就業人口の91%が農業、牧畜に従事している農牧国である。耕地面積は国土の18.5%(2006)であるが休閑耕地が多い。自給作物にはアワ、モロコシ(ソルガム。イネ科の穀物)、トウモロコシ、米、キャッサバ(南米原産の根茎作物。根を食用とし、タピオカの原料となる)など、商品作物は綿花、ラッカセイ、ゴマ、サトウキビ、タバコなどがあり、おもに雨量の多い南西部で栽培される。牧畜はこの国の経済にとって重要であり、ウシ(876万頭。2007)、ヒツジ、ヤギ、ニワトリなどが飼育されている。年降水量500ミリメートル以下のサヘル気候(サハラ南部サヘル地域特有の雨期の短い半乾燥気候)を示す北東部では、ヒツジ、ヤギ、ラクダを連れた遊牧や移牧が行われている。ダム灌漑(かんがい)による耕地拡大のため外資を導入し、黒・赤・白の三つのボルタ川にダムを構築する計画がある。また、南東部の低湿地を排水し干拓地とする計画もたてられている。
 近代工業は輸入代替工業、原料立地の工業を中心に徐々に発達している。食品加工、タバコ、ビール、ソフトドリンクス、自転車、綿紡績、綿織物、植物油脂、精糖などの工業があり、ワガドゥーグー、ボボ・ディウラッソの二大都市のほか、クドグ、バンフォラといった農産物集散地にも工場が建設されている。ほかに金属工芸、皮革加工の伝統工業がある。
 鉱産物は、北東部のタンバオにマンガンの埋蔵(1300万トン)があり、年50万トンを産出する。さらに開発を進めるため、1975年、西ドイツ、アメリカ、フランス、日本の共同出資でタンバオ鉱産会社が設立された。このほか石灰石、錫(すず)、磁鉄鉱、バナジウム、鉛、亜鉛、ボーキサイト、リン鉱石、ウランなどの埋蔵がある。
 主要輸出品は、綿花(71.5%、2004)、ラッカセイなどで、主要輸出相手国はガーナ、フランス、スイス、コートジボワールである。主要輸入品は、機械、石油製品、車両、穀物で、主要輸入相手国はフランス、コートジボワール、日本、アメリカである。旧宗主国のフランスと、鉄道で結ばれたコートジボワールとの貿易関係が強い。貿易収支は、輸出が6億6000万ドルに対し、輸入が9億8000万ドル(2007)で、大幅な輸入超過になっており、外国援助と移民の送金に依存している。経済の実権は官僚と大商人が握っている。
 鉄道はコートジボワールの都市アビジャンからワガドゥーグーまで1179キロメートルのうち、国内は517キロメートルである。タンバオや東隣の国ニジェールへの延長計画もある。道路総延長1万6000キロメートルのうち常時自動車が通行できるのは564キロメートルである。国際空港はワガドゥーグーとボボ・ディウラッソにある。[藤井宏志]

社会・文化

ニジェール川流域とギニア湾沿岸との連絡路にあたっていたため、古くから多数の部族が出入りした。現在60の部族に分類できるといわれるが、これらは大きくボルタ系部族とマンディンゴ系部族に分けられる。ボルタ系部族には、ワガドゥーグーを中心に東部へかけて分布し全人口の48%を占める最大の部族モシ、第二の都市ボボ・ディウラッソを中心に分布するボボ、ほかにグルンシ、グルマンシエ、ロビなどの諸族がある。マンディンゴ系部族には、北西部のマルカ、サモ、南部のビサなどがある。このほか、北東部乾燥地域には遊牧、牧畜を生業とするトゥアレグ、フルベなどがいる。村落は小集村をなし、円錐(えんすい)形の屋根をのせた円型住居と高床の穀物倉があり、周辺には穀物畑が広がる。南西部にある「ロロベニの遺跡」がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
 宗教は、天の主(ナ・ウンデ)や自然を崇拝する部族宗教が75%を占める。イスラム教(イスラーム)はマンディンゴ系部族や遊牧民に多く、信者の割合はモシで20%、ボボで5%程度である。キリスト教はロビで14%、ボボで10%、他は数%程度である。
 公用語はフランス語であるが、日常はモシ語など部族語が用いられる。初等教育は6年間で無償だが義務ではなく、就学率は60%(2006)、識字率は28.7%(2007)である。ワガドゥーグーには国立ワガドゥーグー大学がある。
 人口増加率は3.2%(2006)である。人口密度は1平方キロメートル当り57.4人(2009推定)であるが、現在の経済力では人口過剰で、ガーナ、コートジボワールへ50万人が主として乾期に季節労働に出ており、このうち20万人が長期滞在している。人口分布は、国土の中央部、黒ボルタ川上流から白ボルタ川上流にかけてのモシ高原が、1平方キロメートル当り50人以上と人口密度が高い。これに次ぐのが南西部ボボ・ディウラッソを含む地域である。東部、北東部は年降水量が少なく、樹木のない草原になっており、人口密度はきわめて低い。都市人口の割合は19.1%(2007)と低いが、近年徐々に増加の傾向にある。
 風土病として、南部河川流域に発生するブユが媒介する回旋糸状虫症がある。失明に至ることが多く河川盲目症ともよばれ、河畔の集落が他へ移転する例もある。治療薬を日本が開発した。モシは勤勉、温和で明るい部族であり、労働移民先の国でも重用されている。[藤井宏志]

日本との関係

日本はタンバオのマンガン鉱開発計画援助にヨーロッパ諸国とともに参加した。貿易では、日本からオートバイ、自動車、建設・鉱山用機械などを輸出し、綿花、採油用種子、木材などを輸入している。砂漠化防止の森林保全にも援助している。文化人類学者川田順造のモシ王国、モシ人の研究は国際的に知られている。[藤井宏志]
『川田順造著『無文字社会の歴史』(1976・岩波書店) ▽川田順造著『サバンナの博物誌』(1979・新潮社) ▽岩田拓夫著『アフリカの地方分権化と政治変容』(2010・晃洋書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブルキナ・ファソの関連キーワードアフリカ・モーリシャス共同機構フランス領西アフリカ西アフリカ経済共同体トーマス サンカラスーダン(地域名)ブルキナ・ファソフランス共同体アフリカ諸言語モシ(民族)重債務貧困国トーゴランドサヘル地域フランス語マリ(国)アビジャン西アフリカセヌフォ族ジューグーダパングワヒグヤ

今日のキーワード

跋扈

[名](スル)《「後漢書」崔駰伝から。「跋」は越える意、「扈」は竹やな》魚がかごを越えて跳ねること。転じて、ほしいままに振る舞うこと。また、のさばり、はびこること。「軍閥の跋扈」「悪辣な商売が跋扈する...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android