ブルックナー(英語表記)Bruckner, (Josef) Anton

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルックナー
Bruckner, (Josef) Anton

[生]1824.9.4. アンスフェルデン
[没]1896.10.11. ウィーン
オーストリアの作曲家,オルガン奏者。聖フローリアン修道院の少年聖歌隊員として教育を受けたのち,1851年同院の,56年リンツ大聖堂のオルガン奏者。 56~61年ウィーンで S.ゼヒターについて学び,68年その後任としてウィーン音楽院教授,75年ウィーン大学の和声と対位法の理論講師となる。作曲は 40歳を過ぎてから始めたが,ブラームス対ワーグナーの抗争に巻込まれ,批評家 E.ハンスリックの妨害,新聞の嘲罵を受け,『第7交響曲』の成功 (1884,A.ニキシュ指揮,ライプチヒ) を除き生前は妥当な評価を得なかった。彼の作品が世界的に評価されたのは第1次世界大戦後のことである。作品は,ミサ曲や交響曲9曲 (第9交響曲は未完) のほか,『テ・デウム』 (84) ,『弦楽五重奏曲』 (78~79) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

ブルックナー

オーストリアの作曲家,オルガン奏者。リンツ近くのアンスフェルデンに学校教師の長男として生まれ,村の教会のオルガン奏者を兼ねる父のもとで早くから音楽に親しむ。13歳で父を失ったのち近くのザンクト・フロリアン修道院の寄宿舎に入り,少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ,バイオリンを学ぶ。師範学校を経て1841年に助教師となるが作曲にも手を染め,ザンクト・フロリアン修道院のオルガン奏者,1856年にはリンツ大聖堂のオルガン奏者に就任。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ,R.ワーグナーの音楽に傾倒。1864年−1868年,《ミサ曲第1番ニ短調》にはじまる〈三大ミサ曲〉を完成。1868年ウィーン音楽院教授に就任し,1873年からはワーグナーと親交を深める。また1875年にはウィーン大学講師となり,学生だったマーラーと交流。《交響曲第4番ロマンティック》(1881年初演)以来ようやく高まり始めた作曲家としての名声は60歳の年,1884年のニキシュによる《交響曲第7番》初演の大成功で頂点を迎え,生涯初の栄光をブルックナーにもたらした。1891年ウィーン大学名誉博士。《交響曲第9番》を未完のまま72歳で永眠。その音楽の基盤には敬虔(けいけん)なカトリック信仰があり,教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーベン以来のドイツ,オーストリア音楽の諸様式とが融合し,独自の書法を形づくっている。第0番と習作1曲を含む11曲の交響曲(1863年―1896年)のほか,《テ・デウム》(1884年),《詩篇第150番》(1892年)など多くの教会音楽,《弦楽五重奏曲》(1879年)などがある。→ハンスリック/Franzシュミット
→関連項目朝比奈隆キリスト教音楽クナッパーツブッシュクライスラー第九交響曲ロマン主義

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ブルックナー

オーストリアの作曲家。少年の頃に、いとこのヴァイスに和声やオルガンの奏法を学んだ。10代の時に父親を亡くすと、ザンクト・フローリアン修道院で少年聖歌隊の一員として育ち、オルガニストのカッティンガーの ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルックナー【Anton Bruckner】

1824‐96
オーストリアの作曲家。教育者を父としてアンスフェルデンに生まれ,敬虔なカトリック信仰の環境に育った。幼少よりオルガンなどの楽器に親しみ,11歳で作曲を試みた。1837年ザンクト・フロリアン修道院合唱児童を皮切りに,55年までにオーバーエスターライヒ各地で助教師,オルガン奏者を務めるかたわら,音楽理論を学んだ。ザンクト・フロリアンの臨時オルガン奏者に続いて,56年リンツ大聖堂オルガン奏者の要職に就き,68年まで教会音楽家,合唱指揮者として活躍。

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大辞林 第三版の解説

ブルックナー【Josef Anton Bruckner】

1824~1896) オーストリアの作曲家・オルガン奏者。ロマン派を代表する一人。ワグナーの作風を徹底的に追求しながら交響曲と宗教音楽の分野で独自の世界を展開した。主要作品は一一曲の交響曲、数曲のミサ曲など。

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世界大百科事典内のブルックナーの言及

【交響曲】より

…1811ころ‐28)は,本領のリート(歌曲)の曲想を生かしつつ,断片動機の集中的展開よりもむしろそれ自体で充足した旋律をのびのびと歌わせ,和声的色彩で陰影を施しながら反復させるという独特な形式感を打ち出している。第7番(従来の番号付では第8番)《未完成》(1822)と第8番(同じく第7番ないし第9番)《ザ・グレート》(1828)では,トロンボーンが定着し,規模も拡大されて,後のブルックナーを思わせるような息の長い呼吸が認められる。 その他,初期ロマン派交響曲では,メンデルスゾーン(初期の弦合奏主体の13曲と,1824‐42の5曲)とシューマン(未完とスケッチのほか,1841‐51の4曲)が重要である。…

【ロマン派音楽】より

… 19世紀の後半,とくにその70年代以降のロマン主義は,〈後期ロマン主義Spätromantik〉の名でよく呼ばれる。ここには普通,ブラームス,ブルックナーに始まってフーゴー・ウォルフ,マーラー,シェーンベルクやR.シュトラウスの初期に豊かな全体が収められる。しかし19世紀後半から20世紀初めにかけての音楽が示す多様な相は,もはやロマン主義の一元で処理することはできない。…

※「ブルックナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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