フランス中部,シェール県の県都。大司教座,控訴院の所在地。人口7万9000(1990)。ロアール川支流イエーブル川とオーロン川の合流点に位置し,造兵厰などの軍事施設があり,また同市を中心に製鉄,航空機,タイヤなどの工業生産が行われる。古くケルト人の一部族ビトゥリゲスがこの地を本拠としていたが,前52年のカエサルによる攻囲にはよく抵抗した。12世紀初頭ブールジュ子爵領の売却により王領地に編入されたが,その後,同市を中心とする旧ベリー州は公領とされ,親族封として何人かの親王に与えられた。なかでも,ジャン2世の子,ベリー公ジャンJean de France,duc de Berry(1340-1416)は美術の守護者としても知られ,ランブール兄弟の手になる《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》は同公の注文による。百年戦争中には,1420年のトロア条約により王太子の位を廃された。のちのシャルル7世が,パリからこの地に避難し,〈ブールジュの王〉といわれた。また彼は38年に,ガリカニスムの成立を告げる〈ブールジュ国事詔書〉をこの地で出した。その子ルイ11世は1436年に大学を設置し,高名な法学者キュジャスらが教え,カルバンもここに学んだことがある。17世紀初頭に最終的に王領地に統合された。
執筆者:礒部 啓三
ブールジュは,ガロ・ロマン時代からの主要都市で,4世紀の城壁を残す。ゴシック様式のサンテティエンヌ大聖堂(全長118m,身廊高37m)は,シャルトル大聖堂と同様にロマネスク的形態を残し,北フランスのゴシック大聖堂とは趣を異にしている。地下祭室(ベリー公ジャンの墓がある)と内陣は1195-1214年,身廊と西正面装飾(タンパンの〈最後の審判〉など)は1225-55年とほぼ2回にわたって建立された。内部ではジャック・クール礼拝堂(クールは同市出身の商人)の《受胎告知》をはじめとし,13,15,16世紀のステンド・グラスが華麗を極めた五彩の光を放っている。他方同市には,中世末期の都市邸宅のみごとな遺構があり,特に1453年に完成したジャック・クール邸は,城砦の様相をみせる西門と,回廊に囲まれた中庭や階段小塔の洗練された装飾とが対比をなす。人物半身像を浮彫にした小路側の偽窓は,ゴシック末期特有の目だまし(トロンプ・ルイユ)の代表例である。
執筆者:馬杉 宗夫
フランスの小説家。スペイン国境に近いマノスクに生まれた。両親はハンガリーやチェコの貴族の家で家庭教師をしたことがあり,その関係で,彼自身も後にプラハでチェコの女性と結婚する。1874年にパリに出てジャーナリズムの仕事をした後,《神々のたそがれ》(1884)を発表。これは表題からもわかるようにワーグナーの影響を受けたもので,パリに亡命したドイツ貴族の悲劇的宿命を描いている。ほかにフランス革命末期のバンデの反乱を描いた《斧の下で》(1885),ダルマツィアの貴族の悲劇的彷徨を描く《鳥は飛び立ち,花は散る》(1893)などの作品がある。1900年にアカデミー・ゴンクールの会員に選ばれた。
執筆者:山田 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…フランドルが地中海沿岸と並ぶ都市密集地帯となり,都市工業としての毛織物工業を発展させたのは11世紀のことである。ブールジュがその中心となった。 以上のような国際的商業ははるかに小規模な在地商業の発展によって支えられていた。…
※「ブールジュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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