プロコフィエフ(英語表記)Prokof'ev, Sergei Sergeevich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロコフィエフ
Prokof'ev, Sergei Sergeevich

[生]1891.4.23. ウクライナ,ソンツォフカ
[没]1953.3.5. モスクワ
ソ連の作曲家。6歳で作曲を始め,9歳でオペラを作曲。ペテルブルグ音楽院で A.リャードフ,リムスキー=コルサコフらに師事し,1914年に自作の『ピアノ協奏曲第1番』 (1911~12) を演奏し,ルビンシテイン賞を得た。 18年に日本を経由してアメリカに亡命。 S.ディアギレフの招きでパリとロンドンで自作のバレエ音楽を上演。 33年にソ連に復帰,その後社会主義リアリズム路線による批判を受けたりしたが,終始ソ連の代表的作曲家として国際的名声を保った。作品はオペラ3つのオレンジへの恋』 (21,シカゴ初演) ,バレエ『ロミオとジュリエット』 (35) ,カンタータアレクサンドル・ネフスキー』 (38) ,7曲の交響曲,物語と音楽『ピーターと狼』 (36) ,協奏曲,ピアノ・ソナタなど。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

プロコフィエフ

ロシア(ソ連)の作曲家,ピアノ奏者。ウクライナ東南部の裕福な家庭に生まれ,幼年期から神童ぶりを発揮。1904年−1914年ペテルブルグ音楽院リムスキー・コルサコフらに学び,生涯の友ミヤスコフスキーと交友。在学中からモダニズムの旗手としてめざましい活躍をみせ,作品は物議をかもす。1914年のロンドン旅行でディアギレフと知り合い,バレエ・リュッスのために《アラとロリー》(1914年−1915年),《道化師》(1915年,改訂1920年)を作曲。前者はバレエとしては上演されず,管弦楽曲《スキタイ組曲》となった。十月革命後の1918年,ソビエト政府の許可を得て1922年まで米国,その後パリを本拠に活動を続け,その間,オペラ《3つのオレンジへの恋》(1919年),同《炎の天使》(1919年−1927年,初演1954年),《ピアノ協奏曲第3番》(1921年),《交響曲第3番》(1928年)などを完成。1936年,家族とともにソ連に復帰。その後は後輩ショスタコービチ同様,ソビエト当局の芸術統制政策のもとで多難な人生を送るが,生来の歌心と才気にはよどみなく,さらに円熟味を加えた作品を書き続けた。主要作品にはその他,《古典交響曲(交響曲第1番)》(1917年),2つのバイオリン協奏曲(1917年,1935年),バレエ音楽《ロミオ(ロメオ)とジュリエット》(1936年),同《シンデレラ》(1944年),《ピアノ・ソナタ第7番》(1942年),音楽童話《ピーターと狼》(1936年),エイゼンシテインの映画(1938年)のために書かれたカンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》(1939年)などがある。1918年の渡米の際,日本(東京,横浜)でもピアノ・リサイタルを開いた。→オイストラフシゲティロストロポービチ
→関連項目映画音楽オボーリンカバレフスキーバランチン拍子リヒテル

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

プロコフィエフ

作曲家・ピアニスト。ウクライナの裕福な家庭に生まれ、ピアニストである母親に影響を受ける。幼少のころからその音楽的才能はずば抜けたもので、5歳で最初のピアノ曲を作曲し、その後和声・形式・管弦楽法の基礎を ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

プロコフィエフ【Sergei Sergeevich Prokof’ev】

1891‐1953
ロシア・ソ連邦の作曲家,ピアノ奏者。裕福な農業技師の家に一人息子として生まれた。ピアニストの母親に音楽の手ほどきを受け,幼少時から天才を発揮した。作曲家R.M.グリエールの個人指導を受け,1904年ペテルブルグ音楽院に入学。その保守的な学風にはなじめなかったが,N.Ya.ミヤスコフスキーB.V.アサフィエフとの交遊と〈現代音楽の夕べ〉での活動を通して,当時のロシア音楽界の最も優れた部分を吸収した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

プロコフィエフ【Sergei Sergeevich Prokof'ev】

1891~1953) ソ連の作曲家。第一次大戦中、アメリカへ亡命。オペラ「三つのオレンジへの恋」をはじめ多数の作品を発表するが、1933年祖国に戻った。他に「古典交響曲」、組曲「キージェ中尉」、子供のための管弦楽入門として親しまれている「ピーターと狼」がある。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内のプロコフィエフの言及

【バイオリン】より

…J.S.バッハ以来とだえていたポリフォニックな書法を要求する無伴奏ソナタが,イザイエやバルトーク,ヒンデミットの手によって自由な新しい表現の場として復活する一方,従来のソナタや協奏曲では,印象派の語法と古典主義との融合を示すドビュッシー晩年のソナタ(1917)以来,バイオリンの演奏技術を作曲家独自の書法に従わせる傾向が強まった。20世紀の代表的なバイオリン協奏曲としては,十二音技法に基づきながらもバイオリンの調性的色彩を生かすことに成功したA.ベルクの協奏曲(1935)や抒情性と多彩なリズムを結びつけたS.S.プロコフィエフの二つの協奏曲(1917,35),さまざまな語法実験をみごとに統一させたバルトークの《協奏曲第2番》(1938)などを挙げることができる。
[日本のバイオリン]
 日本にバイオリンが導入されたのは明治時代にさかのぼる。…

【ピーターと狼】より

…ソ連邦の作曲家プロコフィエフが自国の子どもたちのために作詞・作曲した音楽童話(作品67)。1936年作曲,同年5月モスクワの児童劇場で初演された。…

※「プロコフィエフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

スロースリップ

地球の表面を構成するプレートの境界面において、プレートがゆっくりと滑って移動する現象。この移動が一気に起きるとプレート境界地震になる。プレートどうしが強く固着した、アスペリティーと呼ばれる領域以外で生...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

プロコフィエフの関連情報