ヘリオポリス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヘリオポリス

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ヘリオポリス

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ヘリオポリス
Heliopolis

ドイツの作家 E.ユンガーの未来小説。 1949年刊。災禍から残った都市ヘリオポリスは,空のかなたの世界統治者によって支配されている。反政府活動と戦う主人公ルーチウスは,狂気の犠牲となった「パルゼン人」を救ったため味方の不評を買うが,世界統治者に是認され天にのぼる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヘリオポリス【Hēliou polis】

カイロの北東郊外にある古代エジプトの太陽神信仰の中心地のギリシア名。古代エジプト名はイウヌウIunu,聖書地名のオンOnに相当する。太陽神(アトゥムおよびラー)を宇宙創造神とする〈ヘリオポリス神学〉は,オシリス神話をも取り込んでエジプトの宗教思想に深い影響を与え,他の大神はラーとの習合により太陽神,創造神の権威を主張し,イクナートンアテン信仰の源泉ともなった。神域に奉納された太陽神の象徴オベリスクは1本を残して海外に流出し,ローマ,ニューヨーク,ロンドンの広場を飾っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヘリオポリス
へりおぽりす
Heliopolis

古代エジプトの都市。カイロの東北郊外に位置する。名称は「太陽の都」を意味し、古代エジプトの太陽信仰(アトンおよびラー)の中心地であった歴史を物語っている。ここに太陽信仰の神殿ができ祭司団が形成されたのは、第一王朝時代にさかのぼる。第二王朝で王名に作用するほど発達し、第三王朝で祭司団長イムホテプが、ジョセル王の宰相となってピラミッドを建造したときから、古代エジプト全史を通じてエジプト王権と直結する信仰体系となり、第五王朝で「ピラミッド・テキスト」の骨格となった。第12王朝のセンウスレト1世は、ここに大神殿とオベリスクを建てた。オベリスクの1本はいまも立っている。プトレマイオス朝時代に、ギリシアの学者はここで学問を修めた。ローマ支配時代以降衰えていった。[酒井傳六]

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世界大百科事典内のヘリオポリスの言及

【カイロ】より

…平均年雨量は28mm,月平均気温は1月に12.4℃,7月に28.2℃,4月,5月に何回か来襲するハムシンという砂あらしを除けば,年間を通じてきわめて快適な気候である。 1950年,初めて市政府が成立,アフリカ最大の都市で,ギーザヘリオポリスヘルワーンHulwānなど近郊都市もあわせると,人口は1000万を超える。歴史的な人口推定は,ファーティマ朝盛期の11世紀に30万以上,12世紀に衰えて15万~20万,マムルーク朝時代の14世紀前半に約60万,オスマン帝国時代初期の16世紀中葉に約43万,ナポレオン軍侵略の19世紀初めに約25万,1882年に約40万,1907年に約68万,27年に約106万,47年に200万を超えた。…

【バールベク】より

…古代宗教都市の遺構で知られる。〈ベカーの主〉を意味するその名前からフェニキア起源と考えられるが,アレクサンドロス大王の征服後,フェニキアのハダド神とギリシアのゼウス神が習合することによって隆盛し,ヘリオポリスHeliopolisと改名された。前64‐前63年ポンペイウスによるシリア征服によってローマ都市となり,アウグストゥスによって植民市となる。…

※「ヘリオポリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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