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ヘーゲル学派 ヘーゲルがくはHegelianism

翻訳|Hegelianism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヘーゲル学派
ヘーゲルがくは
Hegelianism

1818年ヘーゲルのベルリン大学就任から 31年の死にいたるまで,プロシアを中心にヘーゲルを指導者として形成された学派のことで,27年には機関誌『学問的批判年報』が公刊され,ヘーゲル哲学は,全ドイツにおける哲学ばかりではなく隣接諸学をも支配した。しかし彼の死後,同学派は主として神学上,政治論上の見解の差異からいわゆる右派,中央派,左派の3派 (命名者は D.シュトラウス) に分派した。右派はヘーゲル哲学を墨守し,旧ヘーゲル派 Althegelianerともいわれ,ガブラー,ヘニング,シャラー,ダウプ,マルハイネケ,ミシュレ,ガンス,ローゼンクランツ,ホートーらに代表され,中央派はエルトマン,ツェラー,K.フィッシャー,ハイムらに代表され,すぐれた哲学史家を輩出した。左派はヘーゲル哲学を最も批判的に評価し,青年ヘーゲル派 Junghegelianerともいわれ,シュトラウス,ルーゲ,バウアーらに代表される。このほか分裂分派したものはきわめて多く,さらにドイツ以外の各国にも各派が輩出した。 (→新ヘーゲル学派 )

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デジタル大辞泉の解説

ヘーゲル‐がくは【ヘーゲル学派】

1818年にベルリン大学の教授となったヘーゲルを中心にして形成された学派。ヘーゲル死後、右派・中央派・左派に分裂。右派は老ヘーゲル学派ともよばれ、ヘーゲルの保守的な面を継ぐ。ゲッシェル・ガプラー・ヒンリクスらが属する。中央派はエルトマン・ツェラー・フィッシャーらの有名な哲学史家が属する。左派は青年ヘーゲル学派ともよばれ、ヘーゲルを批判的に継ぐ。シュトラウスバウアー・ルーゲ・フォイエルバッハマルクスらが属する。

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百科事典マイペディアの解説

ヘーゲル学派【ヘーゲルがくは】

ドイツ語Hegelianerの訳。ヘーゲル哲学の後継者,批判者,研究者などの称。〈左派〉〈中央派〉〈右派〉の呼称は,D.F.シュトラウスの分類による。思想史上,B.バウアー,L.A.フォイエルバハマルクス,ルーゲらを擁した〈左派〉(青年ヘーゲル学派)が最も重要。
→関連項目ブラッドリー

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世界大百科事典 第2版の解説

ヘーゲルがくは【ヘーゲル学派 Hegelianer[ドイツ]】

ヘーゲル哲学の後継者,批判者,研究者などの一般的呼称。ヘーゲルは,宗教と理性,教会と国家,自由と法の和解と調和を説く,プロイセンの国家哲学者としての役割を果たしていた。1831年ヘーゲルの死をきっかけとして,ヘーゲル哲学がかろうじてつなぎとめていたそれぞれの対立項は,ヘーゲル哲学への内在的批判という形で解体していった。ヘーゲル学派はD.F.シュトラウスの《イエス伝》(1835‐36)の公刊を機に分裂した。

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大辞林 第三版の解説

ヘーゲルがくは【ヘーゲル学派】

ヘーゲル哲学の影響を受けた人々の系統。狭義のヘーゲル学派はヘーゲルの死後、 (a) 正統的後継者として思弁的・保守的立場をとる右派(老ヘーゲル学派)、 (b) 中間派、 (c) ヘーゲルを批判的に継承する唯物論的・急進的な左派(青年ヘーゲル学派、シュトラウス・バウアー・フォイエルバッハ・マルクスら)に分かれたがやがて衰微。しかし一九世紀末以降も新ヘーゲル主義など、彼の思想的影響は残っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヘーゲル学派
へーげるがくは
Hegelian英語
Hegelianerドイツ語
hglienフランス語

ヘーゲル哲学の後継・研究者および批判者の一般的な呼称。1827年ヘーゲルは、自分を支持する主としてベルリン在住の哲学者・神学者を集めて「学的批判協会」を設立し、翌年機関誌として『学的批判年報』を発刊した。時代の文化のなかの誤った一面的な思想を摘発し、有限なものの有限性を明らかにする批判を通じて、哲学が絶対者の認識に奉仕するという哲学観に基づくものとはいえ、実状は、アカデミーに参加することのできなかったヘーゲルが、シュライエルマハーに対抗するために設立した集団であった。
 ヘーゲルが1831年に没したとき、ヘーゲル学派は大学の講座を占める有利な地位にあったが、その優位は長続きはしなかった。1835年D・シュトラウスの『イエス伝』がヘーゲル学派を混乱に陥れた。人間の自己意識的理性とプロテスタンティズムの信仰とが、人間の絶対者認識=神の自己認識という形で両立するというヘーゲルの宗教哲学に亀裂(きれつ)が生じた。シュトラウスは、信仰の表象が共同体の理念であるというヘーゲル的な方法と、聖書の記載を分析する実証的な手法とを駆使して、聖書の不合理性を際だたせる形で福音書(ふくいんしょ)の再解釈を行った。ヘーゲル哲学こそが理性と信仰の調和を保証すると考えていた当時のヘーゲル主義者にとって、シュトラウスの『イエス伝』は、ヘーゲル主義こそがキリスト教批判となる「危険」を示唆していた。
 正統派ヘーゲル主義からの批判に答えるべく、シュトラウスは1837年『論争集』を刊行して、そこにヘーゲル学派を、右、中央、左と分類した。分類の尺度は、ヘーゲルが啓示宗教としてのキリスト教の本質だとみなした「神的本性と人間的本性との統一の理念」(神人統一の理念)が、聖書のイエス伝という表象と一致するか否かである。全面的肯定が右派(ゲッシェル、ガープラー、のちに左派に転向するバウアー)、部分的肯定が中央派(ローゼンクランツ)、全面的否定が左派(シュトラウス自身)である。以後、シュトラウスの表現に従って、「右、中央、左」にヘーゲル学派は分類されるが、分類の内実はシュトラウスのままではない。
 他方、歴史家ハインリヒ・レオの『ヘーゲルの徒輩(とはい)』(1838)は、「青年ヘーゲル党」を鋭く批判していた。彼らは無神論の立場をとって、福音は神話にすぎないと語り、しかも一般には理解されない隠語を使って自分たちをキリスト党であるかのように偽装しているというのである。ここから「若いヘーゲル学派」はヘーゲル哲学を革新し、「老いたヘーゲル学派」が墨守・保存するという観念が生まれ、「青年ヘーゲル学派=ヘーゲル左派」という見方が出てきた。やがてシュトラウスの規準を離れて革新と保守に対応させて左右を分類するようになり、『ヘーゲル全集』の刊行に努力したヘニング、ホトー、フェルスター、マールハイネケ、ヒンリクス、ダウプらが「老ヘーゲル学派」といわれる(レーウィット)ようになる。
 1848年ドイツ三月革命でヘーゲル左派が消滅し、20世紀初頭から第一次世界大戦までに「ヘーゲル復興」を掲げて登場した「新ヘーゲル派」は、ファシズムの成立とともに分解したが、『ヘーゲル全集』の改訂という成果を残した。[加藤尚武]
『レーヴィット著、麻生建訳『ヘーゲルとヘーゲル左派』(1974・未来社) ▽大井正著『ヘーゲル学派とキリスト教』(1985・未来社) ▽バウアー著、良知力・廣松渉編『ヘーゲル左派論争4 ヘーゲルを裁く最後の審判』(1986・御茶の水書房)』

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世界大百科事典内のヘーゲル学派の言及

【シュティルナー】より

…政治的には,過激なアナーキズムの立場をとり,大きな影響を残した。ヘーゲル学派【加藤 尚武】。…

【シュトラウス】より

…シュトラウスはその著《イエスの生涯》2巻(1835‐36)において聖書の批判的研究を試み,福音書に記されているイエス・キリストの事績は歴史的事実ではなく,原始キリスト教団が〈無意識的〉に生み出した〈神話〉である旨を指摘しつつ,ヘーゲルの宗教哲学を継承する方向で独特のキリスト教論を展開した。彼は歴史的事実と信仰的真理とを区別し,その所説は信仰的真理をなんらそこなうものではないと主張したが,正統派の神学者たちからはもとより,ヘーゲル学派からも激烈な批判を浴びることになった。シュトラウスの問題提起を機縁にした内部論争ひいては対外論争を通じて,ヘーゲル学派はいわゆる左派・中央派・右派に分裂するに至る。…

【新ヘーゲル学派】より

…ヘーゲルの死後,ヘーゲル学派は左派,右派,中央派に分裂したが,それらの影響は1848年から70年にかけて,ほとんど失われた。しかし世紀末から再び生まれてきた〈精神〉を重視する立場が強くヘーゲルの影響を受けていたために〈新ヘーゲル学派〉と総称され,ファシズム期の終りまで影響を残した。…

【フォイエルバハ】より

…人間が〈類〉としては不死であるというヘーゲルの〈自然哲学〉の概念を拠り所にして,ヘーゲルの〈精神〉概念を批判するフォイエルバハは,身体をそなえ,感覚を持つ自然的人間の学を樹立する。ヘーゲル批判の論点それ自体がヘーゲルの概念に依存している点に,ヘーゲル学派としての特色を示す。この立場は,マルクス,エンゲルスをはじめ同時代人に強い影響を与え,宗教批判の方法を政治批判にまで徹底するという形で,彼らの思想的出発点を形づくった。…

【マルクス】より

…1830年にトリール市内の名門ギムナジウムに入学,35年にボン大学法学部に入学,翌36年にベルリン大学法学部に移る。当初は詩人になることを志していたが,ベルリン時代に神学講師B.バウアーらとの交友もあり,ヘーゲル左派(ヘーゲル学派)の一員として思想形成の途につく。41年にイェーナ大学で哲学の学位を取得。…

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