[菅 愛子]
スペイン黄金時代の演劇界でカルデロン・デ・ラ・バルカと双璧(そうへき)をなす彼は、セルバンテスが与えた呼称「自然の怪物」にふさわしく波瀾(はらん)に富んだ生涯を送り、劇作品だけで1500編を超えるとされるほどおびただしい数の作品を著した。著作と恋愛に情熱的で放縦(ほうしょう)に生きた彼は、12歳で初の芝居を書き、20歳で人妻との恋愛事件を起こしてマドリード追放の刑を受ける。数年後には別の女性と強引に結婚。ほどなく「無敵艦隊」に乗り組み艦中でも作品を書く。その後、アルバ公ほかの貴族に仕え、妻子に死別後さらにいくつかの恋愛を経て再婚、ふたたび死別、52歳で司祭に叙品(じょほん)されるが色恋沙汰(いろこいざた)はやまず、2年後に若い人妻女優と大恋愛。やがて彼女は盲目となり精神に異常をきたして死亡。3年後に彼が73歳で死去したとき、大作家としての評判は高く、人々はこぞって哀悼の意を表した。
[菅 愛子]
彼は叙情性の豊かさで優れた作品が多く、小説では『アルカディア』(1598)や『ベツレヘムの牧人達(たち)』(1612)など牧歌的なもの、散文で対話形式を用いた『ラ・ドロテア』(1632)、さらに『ラ・ドラゴンテア』(1598)や無敵艦隊船上で書いた『麗しのアンヘリカ』(1602)などの叙事的な詩があり、独自の作劇法(ドラマツルギー)を示した『劇作新技法』(1609)は、アリストテレスの規範に基づく従来の演劇形式を否定してスペイン国民演劇の基盤となった。多数の叙情詩もあるが、彼の本領は劇作品に発揮され、400編といわれる聖餐神秘劇(アウト・サクラメンタル)や聖史劇に加え、1日以内に即興的に書き上げたものが100編はあると自認するコメディアは韻文が用いられ、そのなかには、『まぬけお嬢様』(1613)で知られ「合羽(かっぱ)と太刀(たち)の劇」と称される風俗劇や、内外の史実や伝説に材を得たいくつかの名作がある。すなわち、『ペリバニェスとオカニャの地頭(じとう)』(1605~08)、王を正義の象徴とする『上なき判官これ天子』(1620~23)、同じく『フェンテ・オベフーナ』(1619)は村民の連帯が描かれた代表作だが、愛と死の戯れを叙情あふれる作品に著した『オルメドの騎士』(1615~26)も彼の資質がうかがえる秀作である。彼は興味ある楽しい筋立てのなかに体面(オノール)意識を取り入れ、女性を登場させて劇の進展に重要な役割をもたせたり、現実の鋭い観察者としての道化(グラシオーソ)の劇中での存在を確固たるものとするなど、スペイン演劇の伝統となる試みを実践した。
[菅 愛子]
『永田寛定訳『上なき判官これ天子』(『古典劇大系4』所収・1922・近代社)』▽『永田寛定訳『フェンテ・オベフーナ』(1948・日本評論社)』
こと座のα(アルファ)星の固有名。アラビアで、こと座のζ(ゼータ)星とε(イプシロン)星とあわせて「落ちる鷲(わし) Al Nasr al Waki」とよんでいたが、その名称の後半部が変形した。漢名は織女星(しょくじょせい)、和名は織姫(おりひめ)といい、天の川を挟んで相対する牽牛星(けんぎゅうせい)(アルタイル)とともに、古来から、七夕(たなばた)の星として日本人には親しみ深い。日本では織姫のほか、棚機(たなばた)、棚機津女(たなばたつめ)ともよばれていた。夏の夜空で、わし座α星のアルタイル、はくちょう座α星のデネブと結んで「夏の大三角」をつくる。平均の実視等級は0.03等であるが、周期0.19日で0.09等以下の幅の変光を示している。天球上の位置は、2000年分点の座標で、赤経18時37分、赤緯プラス38度47分。地球からの距離は牽牛星の17光年よりはやや遠く、25光年ある。スペクトル型はA0型の主系列星。表面温度は約9500Kで、青白い光を放っている。質量、半径とも太陽の約3倍で、牽牛星(質量は太陽の1.7倍、半径1.8倍)よりはかなり大きい。毎秒14キロメートルで地球に近づきつつある。ベガで注目されるのは、塵(ちり)の雲が半径140天文単位もの円盤状に広がって取り囲んでいることである。これらの塵の雲はベガが星間雲から誕生したときに、星になりきれなかった塵粒子が大量に残されたためと考えられている。この塵雲のなかに惑星の存在の可能性を指摘する天文学者もいる。
[岡崎 彰]
スペインの劇作家。ローペ・デ・ベガとも呼ぶ。国民演劇の創始者で,カルデロンとともに〈黄金世紀〉を代表する。若くして知りあったエレナ・オソリオとの恋愛が因でその家族と対立し,その結果カスティリャ地方から8年間の追放刑に処されたが,間もなくイサベル・デ・ウルビーナと結婚,直後に無敵艦隊に加わる(1588)。バレンシアで刑期を終了。イサベルの死後,人妻ミカエラ・デ・ルハンと恋におちるが(1595),一方,フアナ・デ・グアルドと再婚し二重生活をおくる。フアナの死後もヘロニマ・デ・ブルゴスと恋愛事件をおこす(1613)。1614年に聖職者となるが,18年には女優マルタ・デ・ネバーレスと恋におちる。晩年はマルタの失明と発狂,娘の失踪などにより傷心の日々を過ごした。こうした数々の恋愛の相手は,作品の中にフィリス(エレナ),ベリサ(イサベル),カミラ・ルシンダ(ミカエラ),アマリリスあるいはマリア・レオナルダ(マルタ)として現れる。自分の思いどおりの生き方をしただけに敵も多かったが,文学上はゴンゴラやルイス・デ・アラルコンとの対立が有名である。セルバンテスから〈自然の怪物〉と評された多作家で,劇作品だけでもコメディア1800編,聖餐神秘劇400編を書いたと言われ,現存するものだけでも約470編ある。国民演劇の創始者としての彼の劇作術は《現代戯曲新作法》(1609)に詳しいが,おもな点は,〈三統一の法則〉を初めとする古典の法則にこだわらず,あくまで民衆の好みを第一として,悲劇的なものと喜劇的なものとを混交させ,主筋と脇筋をからませた3幕構成で,人物のリアリティを重んじ,特に,ものの言い方に気をくばり,さらに,場面によって韻律を使い分けるものとした。名誉に関する事柄は人々を深く感動させるものであるとして,最良のテーマにしている。また,舞台と観客とのつなぎ役を果たし,主人公とは対極にあって,しばしば警句をはく道化役〈グラシオーソgracioso〉をつくり出した。歴史や伝説,民衆詩などに題材を求めた作品に傑作が多く,《フエンテ・オベフーナ》《ペリバーネエスとオカーニャの騎士団長》《オルメドの騎士》《国王こそは無二の判官》などがその代表的作品である。また,必ず大団円で終わる風俗恋愛劇〈合羽と剣の劇comedias de capa y espada〉をつくり出したのも彼である。彼には,カルデロンのような完成度の高さはないし,また,ティルソのような心理描写もない。ドン・クレスポ(カルデロンの《サラメアの村長》の主人公)やドン・フアン(ティルソの《セビリャの色事師と石の招客》の主人公)のような性格創造もない。しかし,〈スペインの不死鳥〉〈才能の不死鳥〉と評されたように,想像力の豊かさでは彼の右に出る者は一人もいなかった。筋立てを第一とした展開のおもしろさ,エネルギーこそは彼の演劇の最大の魅力である。
執筆者:乾 英一
こと座のα星。北天屈指の白色の輝星。アラビア名のナスル・アルワーキーal-Naṣr al-wāqi`は〈落ちゆくワシ〉の意である。両わきのε,ζ2星を含めたV字形を翼をたたんで落下するワシの姿に見た。中国名の織女(しよくじよ)も同様にベガを中心とした3星の呼称と考えられる。この名の起源は古く,《小戴礼》(前漢,戴聖(たいせい)の撰)中の〈夏小正〉に記されている。和名の〈おりひめ〉〈たなばた〉〈めんたなばた〉などは,中国より伝来した七夕説話の影響とみなせる。もっとも〈棚機つ女(たなばたつめ)〉という固有の和名もあり,この名を織女星にあてた文化史的背景は深いと思える。アッシリア人はベガを天の審判者と呼び,デンデラ(エジプト)の神殿ではその出没が観測されたと伝えられる。このように,ベガは古代世界でことさら重視された痕跡をもつ。おそらく,この星がはるか1万年以上昔の北極星であった事実に無縁ではあるまい。また,たなばたつめ=水の女とする折口信夫の考証を,女神(=大地母神)と牡牛(=牽牛(けんぎゆう))を結ぶ汎(はん)世界的古代神話の解釈へと広げることもできよう。女神は豊穣多産を象徴することから水との関連が不可欠である。一般に,七夕の起源は中国の漢水流域(漢は銀河の意でもある)に求められているが,一説には,張子房(前200ころ)によって西方より伝えられたともいわれ,七夕説話成立(後漢のころ)以前からこの星が注目されていた理由とともに,今後の考究が望まれる。なお,天文学では,ほぼ同時期に初の年周視差測定に成功した三つの星のうちの一つとして知られる。また,恒星の中で初めてダゲロタイプに記録された記念すべき星でもある。概略位置は赤経18h37m,赤緯+38°47′。午後9時の南中は8月中旬である。A0型のスペクトルをもつ主系列星で,実視等級は0.0等。距離は25光年。
執筆者:茨木 孝雄
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1562~1635
スペインの劇作家。生涯で約2200の作品を書き,その多作ぶりをセルバンテスは「自然界の怪物」と評した。古典演劇の法則にとらわれず,民衆の好みに合致した新しい演劇「コメディア」をつくり出した国民演劇の創始者として知られる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…このISEE3は82年6月ラグランジュ点から移動を開始,85年9月ジャコビニ・ツィンナーすい星に接近,観測を行った後,86年3月にはハリーすい星の観測も行った。76年周期で太陽に接近するハリーすい星にはこのほかソ連が2機(ベガ1,2),ESAが1機(ジオット),日本が2機(MS‐T5,PLANET‐A)の探査機を送った。パイオニア計画バイキング計画ボエジャーマリナー計画【上杉 邦憲】
【惑星現象】
地球上から観望した諸惑星の天球上の位置,動きに関連する現象を惑星現象という。…
…しかし,この古典主義からはずれたところに〈黄金世紀〉の国民演劇があった。ローペ・デ・ベガこそは,このスペイン独特の劇作術を創造した作家である。悲劇的なものと喜劇的なものを混交させ,民衆の嗜好を尊び,わかりやすさを第一とした。…
…17世紀になると政治的衰退による社会の混乱や,他の国にまして深く根をおろした反宗教改革の影響によって,この世を虚偽に満ちたはかない夢と見なす厭世的な幻滅思想が広がり,その上にスペイン・バロック文学が花をひらくことになる。
[詩]
スペイン・ルネサンスの新しい詩はソネットをはじめとするイタリア様式を導入したガルシラソ・デ・ラ・ベガに始まるが,彼の《牧歌》は愛の感動,美しい自然描写,音楽性が完璧な形式と調和した絶唱である。その後このイタリア詩派はスペインの伝統と融合し,ルイス・デ・レオン率いるところの,地味な響きと深い精神性を重視するサラマンカ派と,フェルナンド・デ・エレラFernando de Herrera(1534‐97)を領袖とし,形式美と華麗さを強調するセビリャ派に分かれた。…
…モリエールの《人間嫌い》は深刻な結末をもつ喜劇といってもいいだろう。少し前の時代のスペインのローペ・デ・ベガは,高位の人物と庶民が出会うことから起こる事件を悲喜劇と見ていた。また,W.シェークスピアの作品が,悲劇性と喜劇性を同じ作品のなかで同時に示していることはよく指摘されるが,よく観察すると,それは交互におこるのではなく,喜劇的な要因が,悲劇的な相関関係のなかに深く根をおろしており,それがコントラストの効果を生みだしているのである。…
…生涯に400編(うち80編が現存)の戯曲を書き,そのジャンルは聖人伝,史劇,幕間狂言,聖餐神秘劇など多岐にわたっている。文体がローペ・デ・ベガのそれに酷似しており,彼との間に〈原作者〉の問題もおこるほどであったが,《ラベーラの山家娘》は,同じ題名のローペの作を凌ぐできと評された。彼の名声を高めたのは《王は血より重し》《死後に君臨す》の二つの史劇である。…
…おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。…
…ギリシア神話では楽人オルフェウスの持物である亀の甲でつくった楽器にかたどる。α星は光度0.0等,スペクトル型A0の輝星で固有名はベガ,東洋では七夕の織女星として有名である。最近の赤外線観測によればこの星の周辺に惑星系が存在するという。…
…地上にある2000K程度の近似黒体と,大気外の高温の星を同一器械で観測しなければならない。現在もっともよいとされるのはV=0.03のこと座のベガの5556Åの波長で3.45×10-9erg/s/cm2/Åである。このように観測されたものを見かけの等級(小文字mで表す)という。…
※「ベガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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