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イタリア最大のメディア企業オーナー出身でヨーロッパ有数の資産家、第二共和制で何度も首相を務めた中道右派の政治指導者。ミラノ生まれ。「騎士il Cavaliere(イルカバリエーレ)」ともよばれる。
銀行員を務める父と母の中産階級家庭に生まれ、ミラノ大学で法律を修める。1960年代、ミラノ郊外の都市開発など不動産事業からビジネスの世界で活動が知られ始め、1970年代にテレビ放送局を買収し、メディア産業にも急速に影響力を広げる。彼の企業フィニンベスト社は、民放、新聞、出版社などを含む複合的メディア企業に成長。サッカーのACミランのオーナーとしても世界に知られるようになった。急速な成長の背景には、ミラノの有力政治家、首相クラクシ(社会党)との緊密な関係があったといわれる。
1990年代初頭、「タンジェントーポリ(汚職都市)」とよばれる大規模な政治腐敗の露呈を機に汚職摘発の手が政財界に及ぶと、彼も関与を取りざたされた。中道保守勢力を立て直すべく、総選挙が年明けに迫った1993年末、中道右派政党フォルツァ・イタリアの旗揚げを表明する。傘下のメディアと企業を総動員した選挙運動も奏功して1994年の総選挙で勝利を収め、首相の座についた。しかし、脱税疑惑や経済改革をめぐる連立政党との不和、不慣れな政権運営など障害が重なり、同年末政権崩壊に追い込まれる。
中道右派の最有力政治家としての地位を確立し、政権復帰に向けて攻勢をかけた結果、2001年総選挙に大勝して首相の座に返り咲く。多数の力を背景に、労働市場の規制緩和など社会経済改革だけでなく、自らの裁判に有利な司法制度改革を実現し、「ベルルスコーニ時代」は最盛期を迎えた。2006年の選挙で惜敗したものの、2008年には中道右派の合同を成し遂げた自由国民(PdL)の指導者としてただちに首相に復帰し、ふたたび長期政権が訪れたかにみえた。しかし、ユーロ危機が波及し国債デフォルトの危機が迫るなかで有効な対策を打ち出せず、未成年者との買春スキャンダルなどで急速に内外の信認を失った結果、2011年末に首相の座を追われ、自由国民も分裂した。その後の裁判の判決で議員資格剥奪(はくだつ)処分を受け、再組織したフォルツァ・イタリアの支持も低下した。しかし、中道左派勢力の混乱を背景に、依然として政界への影響力を保持し、2018年公職に立候補可能な資格を回復した。
[伊藤 武 2018年6月19日]
その後、2019年にヨーロッパ議会選挙にフォルツァ・イタリアの候補として出馬し当選。2022年のイタリア総選挙では上院議員に返り咲いたが、白血病を患い、翌2023年に死去した。
[編集部 2023年7月19日]
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