コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ペシャワル Peshāwar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペシャワル
Peshāwar

パキスタン北部,カイバル・パクトゥンクワ州の州都。ペシャワル県の県都。アフガニスタンとの国境越えの要衝カイバー峠の東方 40kmに位置し,早くから西アジアインド亜大陸との交通の要地として開け,シルクロードの支線も通った。カニシカ王の時代にクシャン朝の首都となり,ガンダーラ美術の中心としても繁栄。その後エフタル朝,ガズニー朝,デリー諸王朝,ドゥラーニー朝の支配を受けた。19世紀前半には,アフガニスタン,マラータ同盟,シク教徒イギリス東インド会社に争奪され,1849年から 1947年までイギリス領。城壁に囲まれた旧市街には,古い伝統をもつ大市場があり,干し果実,羊毛,絨毯,羊皮などが取り引きされる。手工芸が発達し,真鍮細工,皮革製品などの伝統的産業が盛んなほか,綿織物,製糖などの工業も発達している。西郊には大規模な兵営がある。王宮,砦,僧院,ヒンドゥー寺院など歴代の遺跡,純白のモスクなどがある。歴史的にプルシャプラベグラムなどの名で呼ばれてきたが,ムガル帝国アクバル帝により,「国境の町」を意味する現在名がつけられた。住民の多くはパターン人(→アフガン人)。ガンダーラ美術の収集で知られる博物館,ペシャワル大学などがある。大都市圏人口 130万3000(2007推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

大辞林 第三版の解説

ペシャワル【Peshawar】

パキスタン北部、カイバル峠の東30キロメートルに位置する都市。アフガニスタン国境に近い交通上の要地。絹・綿・毛織物などの手工業で知られる。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペシャワル
ぺしゃわる
Peshawar

パキスタン北部、ノース・ウェスト・フロンティア(北西辺境)州の州都。人口98万8005(1998)。カブール川に潤される肥沃(ひよく)なペシャワル谷に位置し、周辺は灌漑(かんがい)水路の発達もあって農業が盛んである。小麦、タバコ、砂糖を集散するとともに、食品加工、紡績、薬品などの工業も立地する。中央アジアからインド亜大陸への門戸にあたるカイバー峠東麓(とうろく)の要衝として古くから栄えてきた。かつて隊商が行き交った時代には、遠く中央アジアのサマルカンドやブハラからも商人が集まり、じゅうたん、金糸、宝石、乾果などと香料、穀物、砂糖、茶などとを交易した。市街は、19世紀前半のシク王国時代に再建された旧市と、その西方のイギリス領時代に建設された新市との双子都市をなす。[応地利明]

歴史

16世紀にムガル皇帝アクバルが命名したといわれ、「辺境の町」を意味する。古名はプルシャプラで、インド亜大陸と西・北方との交通の要衝にあり、古来多くの民族・王朝の往来・進入路、前進基地となった。紀元前6~前4世紀にイランのアケメネス朝属領ガンダーラの都で、アフガン系部族が住んでいた。後1~3世紀にクシャン朝の首都としてシルク・ロードの遠隔地貿易を支配し、ヘレニズム様式の仏教美術などガンダーラ文化を生んだ。7世紀前半に唐僧玄奘(げんじょう)は「周囲四十余里の大都城」での仏教の衰えをみた。10世紀末にアフガニスタンのガズナ朝に征服され、以来ムスリム(イスラム教徒)諸王朝下でアフガン(パシュトゥン)住民のイスラム化が進んだ。1848年にはシク戦争でイギリスに征服された。1901年以来、47年のパキスタン独立を経てずっと北西辺境州の州都である。[浜口恒夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

パルムドール

カンヌ国際映画祭で、最優秀作品に与えられる賞。[補説]多く「金のシュロ」と訳されるが、日本原産のシュロ(ワジュロ)ではなく、ヤシ科のナツメヤシがモチーフとなっている。ナツメヤシは、西洋では勝利・栄誉の...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ペシャワルの関連情報