翻訳|wild man
字義どおりには〈野生の人〉〈野蛮人〉をいうが,特にヨーロッパで伝承される異人を指して用いることが多く,一般に深い森に住み,人語を解さず,恐るべき怪力を持ち,全身毛に覆われた人間として表象される。辺境の民族,都市や村から離れた森や山岳の住民が,一種の〈怪物〉と考えられた例は,洋の東西,古今を問わず多く,文明と野蛮,中心と周縁をめぐる人類学的考察に格好の素材を提供しているが,野人伝説はその一つのあらわれである。ギリシア人=ヘレネスに対するバルバロイ(〈訳のわからない言葉を話す者〉の意),大プリニウス《博物誌》にある〈口無し人(アストミAstomi)〉(以上の2例がコミュニケーションの断絶を示唆するのは興味深い),古代以来の地誌,旅行記に語られる異形の人々など,ヨーロッパにおける野人伝説形成にあたって働いたと思われる要因は多様である。より直接的にはアジアやアフリカの類人猿がそのモデルとなったとも考えられるが,基本的には共同体,キリスト教などある秩序の〈外〉にある人々に対する両義的な感情が生んだものといえよう。
一方,《ギルガメシュ叙事詩》で主人公ギルガメシュが野人エンキドゥと戦い無二の友としたように,古来,人間離れした力を持つ者を従者として味方につけ,畏怖しつつもこれを教化してその異能にあずかるという話も多い。中世ヨーロッパでユニコーンや野人がキリスト教の威光に容易には服さない野生の力の象徴とされ,これを捕らえ馴化することが教会の勝利の寓意であったのは,逆にいえばそのような力をとりこみ利用することでもある。また領主が信頼に足る騎士を養成すべく,しばしば山で見つかる捨子をひきとることも実際あったようで,アーサー王伝説や《神仙女王》に野人が登場するゆえんとなっているが,これも同様の心性に基づくものといえよう。
以上のような野人のイメージは,こうして中世人に浸透し,その日常生活に深く関与するまでになった。毛むくじゃらの体で腰には鹿の毛皮を巻き,太い棍棒をかついだ野人に扮装し,祝宴の席に突如あらわれて参加者を驚かせるなどの趣向が宮廷で流行した。北欧やドイツ,スイスでは土着の祭りに野人の踊りが加えられ,野人の仮面を付けた道化に余興を演じさせ旅人をもてなす宿屋もあったという。仮装行列(ページェント)に野人が登場する例は,現在でもバーゼルの祭りなどにみることができる。
野人は中世からルネサンスにかけて紋章や寓意図にも盛んに採り入れられた。ヨーロッパでは約200もの旧家が野人を紋章に用いているといわれ,その由来も土着祭祀の主宰者であるとか武門の一族であることを誇るものなど多岐にわたる。デンマーク王家,旧プロイセンの王家,ハノーファー=ブラウンシュワイク家の紋章がその例である。また野人が盾を支える図柄は,頼もしい友軍の寓意として用いられた。18世紀以降では,ディドロやルソーが未開あるいは自然状態の社会を賛美したことにより,野人にはアメリカ・インディアンなどとともに〈高貴なる野蛮人〉〈善良なる野蛮人〉のイメージが加わった。近くは一連のターザン物がこの系譜の中にあるといえよう。なお最近,中国において〈野人〉の発見ないし捕獲のニュースがしばしば報じられ,いわゆる〈雪男〉の話題も依然として根強いなど,野人伝説はヨーロッパに限らず東洋でも生き続けている。
→怪物 →野生児
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ページェントは,カーニバルの起源をなすギリシア,ローマの豊穣祈願の祭礼における仮装行列,ヨーロッパの民間行事などから形成されたものであり,キリスト教以前の異教的な慣習をとどめている。ここでは,巨人や野人wild man(木の葉をまとった〈野性の人〉)といった存在を登場させるのもそのためである。春や秋の祭りに民間で行われてきた行事は,やがて都市の発達によって,大がかりな都市の祝祭へと集成されてゆく。…
※「野人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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