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マウリヤ朝 マウリヤちょう Maurya

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マウリヤ朝
マウリヤちょう
Maurya

古代インドマガダ国の王朝 (前 321頃~185頃) ,孔雀王朝と漢訳される。始祖チャンドラグプタは,ガンジス川流域を支配していたナンダ朝を倒すとともに,アレクサンドロス3世 (大王) インダス川流域に残したギリシア勢力を駆逐し,インド史上初めて両大河にまたがる帝国を建設した。

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デジタル大辞泉の解説

マウリヤ‐ちょう〔‐テウ〕【マウリヤ朝】

Maurya》古代インド、マガダ国に興った王朝。前317年ごろ、チャンドラグプタナンダ朝を滅ぼして建設。都はパータリプトラ。第3代アショカ王のころ全盛期となり、インド史上最初の統一国家を築いたが、王の没後急速に衰え、前180年ごろスンガに滅ぼされた。仏教を全インドとその周辺に広めた。孔雀王朝。

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百科事典マイペディアの解説

マウリヤ朝【マウリヤちょう】

古代インド初の統一帝国。前317年ころ―前180年ころ存続。中国では孔雀(くじゃく)王朝と記す。前4世紀後半マガダ国からチャンドラグプタが出,宰相カウティリヤの助力を得てナンダ王朝をくつがえし,マウリヤ朝を創始した。
→関連項目タキシラマガダ南アジアメガステネス

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世界大百科事典 第2版の解説

マウリヤちょう【マウリヤ朝 Maurya】

インドに最初の統一帝国をうちたてたマガダ国の王朝。前317ころ‐前180年ころ。
[帝国の成立]
 マウリヤ朝はナンダ朝を倒したチャンドラグプタ(在位,前317ころ‐前293ころ)によって創始された。彼は都のパータリプトラで即位したのち,ただちに西北インドからギリシア勢力を一掃した。また前305年ごろシリアセレウコス朝の軍を退けてこれと講和を結び,アフガニスタンの東半を含むインダス川西方の地を獲得した。

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大辞林 第三版の解説

マウリヤちょう【マウリヤ朝】

インド最初の統一帝国を築いたマガダ国の一王朝(前317頃~前180頃)。創始者はチャンドラグプタ。アショーカ王の時代にほぼ全インドを統一、仏教を広めたが、その死後衰退。都はパータリプトラ。孔雀くじやく王朝。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マウリヤ朝
まうりやちょう
Maurya

古代インドの王朝(前317ころ~前180ころ)。紀元前6世紀から拡大してきたマガダ王国の領土を継承して、インドを初めて統一支配した王朝。漢訳仏典では孔雀(くじゃく)王朝という。アレクサンドロス大王の北西インド侵入(前327~前325)のあと、前317年ごろ、初代チャンドラグプタ(在位前317ころ~前296ころ)はマガダ国のナンダ朝を倒して、パータリプトラ(今日のパトナ)に都して新王朝を建設した。彼はインド統一国家の完成を目ざして、北インド一帯を領土とし、ついでアレクサンドロス大王が北西インド辺境に残したギリシア人勢力を駆逐し、アフガニスタンに進出した。そこでセレウコス朝のセレウコス1世と対峙(たいじ)したが、和議によってアフガニスタン南半を割譲させた。
 チャンドラグプタの統治は24年に及んだといわれ、その間に未曽有(みぞう)の大帝国を建設した。南インド征服は彼のときに始められたのであろうが、それは彼の子ビンドゥサーラによって達成されたのであろう。第3代が有名なアショカ(在位前268ころ~前232ころ)であって、彼は広大な領土を継承したうえ、即位9年目にカリンガを征服した。彼はこの征服戦争の悲惨さを反省して、仏教にいっそう帰依(きえ)するとともに、普遍的倫理(ダルマ)に基づく政治を理念として掲げて、彼自身がその実現に精力的に努力し、官吏に命じて人民の倫理遵守の徹底を期せしめた。だが彼の死後には、この政治理念は失われ、帝国は衰運に傾いた。そのあとには6人の王の名が文献に伝えられているが、彼らの事績はほとんど知られず、前180年ごろ将軍シュンガ家プッシャミトラが王権を奪い、この王朝は滅びた。
 この時代は、インド史で初めて明確な年代が知られる時代であり、現存碑文はこのときから始まり、遺跡も遺物もその前代よりもはるかに多く残っている。また、セレウコス朝の使節メガステネスMegasthenesの旅行記、マウリヤ朝の宰相カウティリヤの『アルタ・シャーストラ(実利論)』といった支配体制や社会経済についての貴重な資料がある。それらによれば、この王朝の領土は、当時農業生産がきわめて発展していたガンジス中流域を中心として、その他の開発された諸地域とそれらを結ぶ交通路を支配した。王朝の権力の支柱は軍隊と官僚であって、メガステネスの記述では、軍隊は歩兵、騎兵、車兵、象兵の4軍からなり、ほかに水軍と輸送の部隊があって、その体制が整備されていた。官僚は都と地方に分かれ、地方官吏の職務は行政、司法、徴税、灌漑(かんがい)施設と道路の管理、農業技術の監督と多方面に及んだ。これによって農民を強力に支配し、貿易、商業と手工業を管理した。この王朝の統一支配のもとで領域内の各地方は開拓が進み、ガンジス中流域の高度の文化を摂取して著しく発展した。アショカのあとのこの王朝の衰退に伴って、各地方では、この発展を背景として新しい勢力が台頭する。仏教はアショカの庇護(ひご)のもとで急速に広がって、各地に僧院がつくられた。伝承によれば、アショカのときに仏典結集(けつじゅう)が行われたという。[山崎利男]
『山崎元一著『アショーカ王とその時代』(1982・春秋社)』

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世界大百科事典内のマウリヤ朝の言及

【インド】より

…王は農業の拡大を背景として権力を増し,それまでの部族的束縛を破って,都城を築き,自己の軍隊と官吏をもって領域を支配した。その中でマガダ国は近隣諸国を併合して最も有力な国家となり,その国家体制を完成させたのがマウリヤ朝の古代統一国家である。この発展過程で,ヒマラヤから大洋に至る広大なインド亜大陸はひとつの世界として意識され,ひとりの国王(チャクラバルティンCakravartin,転輪聖王(てんりんじようおう))が支配するのが理想とされた。…

【チャンドラグプタ】より

…古代インド,マウリヤ朝の創始者。在位,前317‐前293年ころ。…

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