マッカーシー(英語表記)McCarthy, Eugene J.

  • Eugene Joseph McCarthy
  • Mary McCarthy
  • McCarthy, John
  • McCarthy, Joseph Raymond
  • McCarthy, Lillah
  • McCarthy, Mary (Therese)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1916.3.29. ミネソタ,ワトキンズ
[没]2005.12.10. ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の政治家。フルネーム Eugene Joseph McCarthy。1935年セント・ジョーンズ大学を卒業し,高校で教えながらミネソタ大学で修士号を取得した。1940~43年セント・ジョーンズ大学の教壇に立つ。第2次世界大戦中,国防省で文民の情報技術者として働いたが,終戦後教育の世界に戻った。1948~58年ミネソタ州選出下院議員,1958~71年同上院議員を務めた。1968年の大統領選挙でベトナム戦争反対を掲げて民主党の大統領候補の指名獲得を目指したが,民主党全国大会でヒューバート・H.ハンフリー候補に敗れた。しかし選挙運動初期におけるマッカーシーの成功は,インドシナ半島へのアメリカの介入停止へと民主党指導部の政策を転換させるのに貢献した。詩人コラムニストとしても著名
[生]1908.11.14. ウィスコンシン,アップルトン近郊
[没]1957.5.2. メリーランド,ベセズダ
アメリカの政治家。ウィスコンシン州マーケット大学卒業後,弁護士,巡回判事となった。第2次世界大戦では海兵隊員として従軍。民主党員であったが 1946年ウィスコンシン州の連邦上院議員選挙に共和党の指名を獲得して当選,52年再選。この間,50年2月上院特別調査委員会の委員長として「赤狩り」に乗出し,反共旋風を巻起した。しかし,あまりにも極端なため反発を受け,54年 12月上院の非難決議により急速に影響力を失った。 (→マッカーシズム )  
[生]1875.9.22. グロスターシャーチェルトナム
[没]1960.4.15. ロンドン
イギリスの女優。 1895年デビュー,グリート劇団などでシェークスピア劇のヒロインを演じていたが,のちに J.ベドレン,H.グランビル=バーカーの活躍するロイヤル・コート劇場に出演,G.B.ショーの多くの作品に主演して,近代劇の名女優としての名声を築いた。一時グランビル=バーカーと結婚 (1906~18) 。著書に自伝『わが生涯』 My Life (30) ,『私と友人たち』 Myself and My Friends (33) がある。
[生]1912.6.21. アメリカ,ワシントン,シアトル
[没]1989.10.25. アメリカ,ニューヨーク
アメリカの女流作家。バッサー女子大学卒業後,『ネーション』誌などの書評,『パーティザン・レビュー』誌の劇評を担当。4回の結婚のうちの2番目の夫で批評家の E.ウィルソンの影響下に小説『彼女の仲間たち』 The Company She Keeps (1942) を発表して認められた。離婚後バード大学その他でしばらく教鞭をとったのち,『オアシス』 The Oasis (49) ,『学園の森』 The Groves of Academe (52) ,『不死身』A Charmed Life (55) など知識人の弱点を鋭く観察した小説を発表して注目され,特に 1930年代を背景に名門大学を卒業した8人の女性の人生を描いた『グループ』 The Group (63) は大胆な性描写で話題を呼んだ。ほかに,反戦を唱えた『ベトナム』 (67) ,「国際状況」小説『アメリカの渡り鳥』 Birds of America (71) ,ウォーターゲート事件を追及した『国家の仮面』 The Mask of State: Watergate Portraits (74) など。
[生]1927.9.4. マサチューセッツボストン
[没]2011.10.24. カリフォルニア,スタンフォード
アメリカ合衆国の数学者,コンピュータ科学者,認知科学者。人工知能 AI分野の先駆的研究者として知られた。1951年プリンストン大学で数学博士号を取得,その後,ダートマス・カレッジマサチューセッツ工科大学スタンフォード大学の教授を務めた。常識的知識の形式化を研究し,1955年に「人工知能」という用語を初めて用いた(→ダートマス会議)。1958年に開発したプログラム言語LISPは当初,おもに人工知能や情報技術 ITの分野で利用された。1990年代にはあまり使われなかったが,21世紀に入ると,特にオープンソース利用者の間で注目されるようになった。また,人間の発話行為をベースにしたプログラム言語 Elephant2000の開発にもかかわった。1988年京都賞,1990年ナショナル・メダル・オブ・サイエンス,2003年ベンジャミン・フランクリン賞など数々の賞を受けた。

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百科事典マイペディアの解説

米国の作家。雑誌の編集に関わり,演劇評論家としても活躍していたが,1942年に実験的な構成の《彼女の仲間たち》で作家としてデビュー。《学園の森》(1952年)ではマッカーシイズムを批判したり,ベトナム三部作でベトナム戦争の停止を訴えたり,という政治的発言でも知られる。文芸評論家エドマンド・ウィルソンは2番目の夫(のち離婚)。ハンナ・アレントとの交友も名高い。晩年にはリリアンヘルマン論争。代表作に《グループ》(1963年),《アメリカの渡り鳥》(1971年)など。
アメリカの政治家ミネソタ州生れ。セント・ジョーンズ大学卒業。大学教授を経て,民主党の下院議員,上院議員を務める。1968年の大統領選挙で,民主党の候補者指名(予備選)に立候補した。当初は泡沫候補と見られていたが,ベトナム戦争終結を訴えたことで〈マッカーシー・ムーブメント〉と呼ばれる一大旋風を巻き起こし,当時のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)の予備選からの撤退,すなわち引退への一因となった。候補者指名はこうした動きに触発されたロバート・ケネディ出馬があり,ケネディは一躍最有力候補に躍り出たが,同年6月5日に暗殺された。その結果,マッカーシーも予備選に残れず,最終的には予備選に立候補していなかった当時のヒューバート・ハンフリー副大統領が民主党の大統領候補となった。なお,この時の大統領選挙では共和党のリチャード・ニクソンが勝利し,大統領となっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

1916‐
アメリカの政治家。1968年の大統領選挙で同じ民主党の現職ジョンソン大統領に対抗して,ベトナム戦争終結を唱えて名のりをあげ,60年代末のアメリカ政治に新風をまきおこした。ミネソタ州生れ。同州セント・ジョン・カレッジ卒業,ミネソタ州立大学修士。高校,カレッジで経済学などを教えたのち48年,ミネソタ民主農民労働党Democratic‐Farmer‐Labor Party of Minnesotaから連邦下院議員に当選
1912‐89
アメリカの評論家,作家。シアトルに生まれ,6歳のとき両親が病没。バッサー女子大学卒業。《ネーション》や《ニュー・リパブリック》などに寄稿する。1930年代初期のトロツキズム運動に関与。34年創刊の《パーティザン・レビュー》の編集に加わり,文芸評論家E.ウィルソンと2度目の結婚をしたがのち離婚し,4回の結婚を経験した。40年代から小説を発表しはじめる。ベストセラーとなった長編小説《グループ》(1963)では,1933年にバッサー女子大を卒業した8人の女性がニューディール政策下のアメリカ社会でたどった人生を通して,〈進歩(プログレス)という観念〉への幻滅が描かれ,大胆率直な性描写と知識階級への痛烈な風刺をこめた悲喜劇が展開される。

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