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マーシャル諸島 マーシャルしょとう Marshall Islands

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マーシャル諸島
マーシャルしょとう
Marshall Islands

正式名称 マーシャル諸島共和国 Republic of the Marshall Islands。面積 181km2。人口 5万5000(2011推計)。首都 マジュロ。西太平洋ミクロネシアの東端にあるサンゴ礁群を占める国。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

マーシャル諸島

太平洋ミクロネシア海域に浮かぶ島々からなる共和国。19世紀末はドイツ領だったが、第1次世界大戦開戦後に日本が占領し、1920年から委任統治。第2次大戦後、国連信託統治領として米国の施政下に。日本の漁船第五福竜丸も含む多大な人的被害を出した54年3月のビキニ水爆を始め67回の核実験で国土が使われた。86年独立。91年に国連へ加盟したが、米国との協定により、米国が防衛を負担する代わり、一部の環礁をミサイル実験場として使用している。

(2016-04-25 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

マーシャル‐しょとう〔‐シヨタウ〕【マーシャル諸島】

Marshall
太平洋中西部、ミクロネシア東部にある諸島。東側のラタックラダック)、西側のラリックの2諸島からなり、環礁(かんしょう)が多い。
からなる共和国。首都マジュロ。1788年に英国のマーシャル船長らが来航。1899年にドイツ領、第一次大戦後は日本の委任統治領、第二次大戦後は米国の信託統治領を経て、1986年に独立。コプラを産する。正式名称、マーシャル諸島共和国。人口7万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

マーシャル諸島【マーシャルしょとう】

◎正式名称−マーシャル諸島共和国Republic of the Marshall Islands。◎面積−181km2。◎人口−5万3000人(2011)。
→関連項目ミクロネシア

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大辞林 第三版の解説

マーシャルしょとう【マーシャル諸島】

〔Marshall〕
中部太平洋、ミクロネシア東部にある珊瑚礁さんごしようの島々。ラタックとラリックの二列島からなる。
を領土とする共和国。もと日本委任統治領(南洋群島)。1947年アメリカ合衆国の信託統治領になったが、79年自治政府を発足させ、86年独立。コプラを産する。首都マジュロ。面積200平方キロメートル。人口5万( 2003)。正称、マーシャル諸島共和国。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マーシャル諸島
まーしゃるしょとう
Republic of the Marshall Islands

中部太平洋、ミクロネシア東部の環礁群島国家。正称マーシャル諸島共和国Republic of the Marshall Islands。全体の陸地面積は181平方キロメートルで小島が連なっており、首都マジューロ(マジュロ)が置かれるマジューロ(マジュロ)環礁でも総面積は10平方キロメートルである。かつては日本が統治していた南洋群島の一部だった。人口5万2000(2006年推計)、6万1026(2009年、世界銀行)で、1986年10月にアメリカ施政下の国連信託統治領から独立した。マーシャル語のほか、英語を公用語にしている。[小林 泉]

自然・地誌

マーシャル諸島とは、ハワイとオーストラリアの中間地点に広がる五つの島と29環礁をさす。環礁は南北に平行して延びる東側がラタック列島、西側がラリック列島で、マーシャル語では前者が「日の出」、後者が「日の入り」の意味である。マジューロ環礁は64の島が連なっており、空からの美しい景観は「真珠の首飾り」ともいわれている。ダラック、ウリガ、ダリックの3島はコーズウェー(環礁島間の浅瀬を埋め立ててつくった道路)で結ばれ、ここがこの国の中枢部であり、全人口の約半数が居住している。ラリック列島の中央部に位置するクウェジェリン(クワジュリン)環礁の中心島クウェジェリン(クワジェリン)島(16平方キロメートル)には、アメリカ軍の迎撃ミサイル発射試験基地が設置されており、これに隣接するイバイ島には、基地労働者とその家族1万数千人が住む(2010年時点)。
 海洋性熱帯気候で、年平均気温は28℃前後である。一定の降雨量があれば穏やかですごしやすい。とはいえ、大半が環礁島からなる国土はいずれも海抜数メートルの平坦地であるため、植物相も貧弱で居住可能な人口は限られており、人々は天水と環礁地下のレンズ水(サンゴ礁に浸透した雨水が、比重差によって海水の上に薄くレンズ状に浮いた状態の水)からくみ上げる井戸に頼るばかりの素朴な暮らしであった。しかし、近年はマジューロ中心部やイバイ島には人口が集中し、多額の現金とともに大量の消費物資が流れ込み、本来の環礁島の環境とは異なる社会が出現している。[小林 泉]

歴史

地層分析によって2000年以上前の人類居住形跡が確認されている。記録では、1528年にスペイン人アルバロ・デ・サーベドラが島々を「発見」。諸島名は1788年にこの地を通過したイギリス人船長ジョン・マーシャルの名にちなんで命名された。19世紀に入るとこの付近に捕鯨船が行き交い、イギリス人、スペイン人の宣教師の活動も目だち始めた。1884年(明治17)には、日本政府の命により後藤猛太郎(ごとうたけたろう)(1862―1913)、鈴木経勲(すずきつねのり)(1853―1938)らもマーシャルを探検航海している。「マーシャル付近で日本の船舶が襲われ乗組員が殺された」との情報があり、これを調査するためで、これが記録に残る日本人初のマーシャル訪問であった。1885年にはドイツがヤルート環礁を占領し、領有権を主張した。この地域を自国領土だとしていたスペインは、ドイツの動きに慌てて、1886年にはこれら周辺諸島とカロリン諸島、マリアナ諸島の領有権を宣言したが、国家的関与はほとんどなく、1899年に米西戦争に敗れてアメリカ領となったマリアナ諸島のグアムを除き、すべてのミクロネシア領有権をドイツに売却した。ドイツは小さな環礁島にもココヤシを植えてコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)生産に力を注いだ。1914年に第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると日本が占領し、南洋群島と称して統治を始め、1920年に国際連盟の委任統治領に認められた。これにより現地住民への日本語教育や神社の建立などの日本化を進めた。日本はマジューロではなくヤルート環礁に南洋庁支局を置いたが、面積が小さく、日本からもっとも遠い南洋群島の島ゆえに移住した民間人は少なく、最盛期の1940年時点で680人と記録されている。太平洋戦争では、中部太平洋攻防のためマーシャル諸島方面に数万の守備兵力が送り込まれ、クウェジェリン、ヤルート、エニウェトク、メリレンなどでの激しい戦闘の結果、ほとんどの島で日本軍は全滅した。
 日本敗戦後はアメリカが占領し、1947年には南洋群島全体が国連(国際連合)信託統治領となり、他のミクロネシアの島々とともにアメリカの施政下に入った。アメリカはクウェジェリン環礁を軍事基地化し、1946年から1958年にかけてはビキニ、エニウェトクの両環礁で66回の原水爆実験を繰り返し、近隣環礁住民や日本漁船第五福竜丸が被曝(ひばく)する事態を起こした。
 1969年、信託統治終了後の島々の政治地位について、アメリカとの交渉が始まった。当初、信託統治領ミクロネシアは一丸となって自治または独立を目ざす方針を立てていたが、軍事基地の借地料収入や多額の被曝補償費を基礎財源とした国家建設を指向したマーシャル諸島は、ミクロネシア連邦から離脱。1979年に一地区だけで自治政府を立ち上げ、1986年10月にアメリカとの自由連合関係の下に独立した。[小林 泉]

政治

政体は共和制で、ニチジェラとよばれる一院制議会があり、議員数は33で任期は4年。議員により大統領が選出され、大統領が閣僚を指名する議院内閣制である。そのほかに、立法権はないものの、内閣に対し意見表明し、慣習・土地所有権に関する法案の再審議を求めることのできるイロイジとよぶ酋長評議会がある。憲法上に大統領の多選禁止規定がないため、自治政府発足時から大統領を務めていた伝統大酋長アマタ・カブアAmata Kabua(1926―1996)が、卓越したリーダーシップでこの国の政治を治めてきた。だが、1996年にカブアが病死した後は、若い新興勢力やカリスマ性を失った伝統社会のリーダーたちの間での主導権争いが収まらず、国内政治の不安定化が続いている。
 国際政治では、小国家ゆえに近隣国との関係に気を配っており、毎年ミクロネシア三国(ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオ)との地域サミットを開催し、太平洋諸島フォーラム(PIF)にも加盟している。独立時は台湾と外交関係を結んだが、1990年には中国と外交関係を結び、台湾と断交した。しかし、1998年には中国と断交し、ふたたび台湾と外交関係を樹立した。中国か台湾かの選択もまた、国内の政治的争いを助長する要因になっている。[小林 泉]

自由連合協定Compact of Free Association

「自由連合国は、憲法の下に主権を有するが、防衛と安全保障についてはアメリカが全面的権限と責任を負う。同時に、アメリカは15年間にわたり財政支援を行う」。これが、ミクロネシア三国がアメリカと結んだ協定の骨子である。経済協定は2001年で終了したが、計画通りに経済自立への基盤が整わなかったため、2004年から20年間に限り財政支援の継続協定が結ばれた。「自由連合」の名称由来は、どちらか一方の申し出で自由に協定の解消ができるところから来ており、協定自体に有効期限が付けられていない。アメリカの軍事基地の存在を前提にした国家建設であったから、自由連合関係はマーシャル諸島にとっての必要条件になっている。[小林 泉]

経済・社会

狭隘(きょうあい)な環礁、しかも広域に散在する国土の不利性から、産業化社会への条件は厳しい。そこで期待されているのが周辺の好漁場を生かした漁業と観光立国への道である。2010年には原水爆実験地であったビキニ環礁が世界遺産に登録され、これも追い風にしたい考えである。しかし、独立後四半世紀を経過し、みるべき地場産業の発展がないのも現実である。それでもマジューロ中心部は、ラッシュ時には車が渋滞し、複数階の新築ビルが立ち並んでいる。これは、アメリカからの協定援助金(コンパクトマネー)、アメリカ軍基地借地料、被曝補償基金が流れ込み、さらには基地での労働雇用の恩恵を被っているからである。政府はさらに収入の道を探り、便宜置籍船制度も導入した。そのため、国民1人当りのGNI(国民総所得)は2990ドル(2010年、世界銀行)と比較的高水準である。国民の約半数が都市化したマジューロ、イバイに住み、そのほかは自給経済が中心の離島住民であることから、都市住民の実質的水準としての1人当りGNIは6000ドルを超えるとみられる。使用通貨はアメリカ・ドル。
 離島では母系社会を基盤とした村落共同体が生きている。一方、都市生活ではこうした伝統関係が急激に薄れつつあるが、国民の大半が所属するキリスト教の会派ごとのコミュニティができつつある。マーシャル語のほか、英語を公用語にしている。
 教育制度は初等教育が8年、中等教育が4年で、教育言語は英語。国民の80%超が小学校を卒業する。国内の高等教育機関としては、首都のあるマジューロにマーシャル諸島短期大学があり、看護師・教員養成コースや職業訓練コースが設置されている。本格的な大学教育を求める者は、奨学金を得てグアムやハワイ、アメリカ本土の大学に進学する。国民の高等教育への進学率は20%弱。[小林 泉]

日本との関係

日本が占領していた時代の、マーシャル諸島在留日本人数は多くなかったがそれ以前から沖縄の漁業者らが渡っており沖縄系の姓を名のる日系住民数は多い。初代および三代目の大統領も日系人であった。日本語を話す世代は少なくなったが、この国の親日度は高い。日本との外交関係樹立は1988年(昭和63)で、1991年(平成3)には東京にマーシャル諸島の在日大使館が開設された。日本は1997年、マジューロに駐在官事務所を開設、2008年(平成20)から駐ミクロネシア大使が兼轄している。
 2009年(平成21)までの累積ODA(政府開発援助)供与は163.51億円。近年は、日本から常時30名前後の青年海外協力隊員が派遣されている。[小林 泉]
『中原聖乃・竹峰誠一郎著『マーシャル諸島ハンドブック』(2007・凱風社) ▽森住卓著『楽園に降った死の灰』(2009・新日本出版社)』

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