ミチューリン(読み)みちゅーりん(その他表記)Иван Владимирович Мичурин/Ivan Vladimirovich Michurin

デジタル大辞泉 「ミチューリン」の意味・読み・例文・類語

ミチューリン(Ivan Vladimirovich Michurin)

[1855~1935]ソ連果樹園芸家。ダーウィン学説指針に耐寒性品種育成研究。300種以上の品種を作り出した。

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精選版 日本国語大辞典 「ミチューリン」の意味・読み・例文・類語

ミチューリン

  1. ( Ivan Vladimirovič Mičurin イワン=ウラジミロビチ━ ) ソ連の植物育種家。環境生物関係を重視し、多くの果樹の品種改良を行なった。(一八五五‐一九三五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミチューリン」の意味・わかりやすい解説

ミチューリン
みちゅーりん
Иван Владимирович Мичурин/Ivan Vladimirovich Michurin
(1855―1935)

ロシア・ソ連の育種家。コズロフ(現、ミチューリンスク)に生まれる。当時の貧しいロシアを「花咲く大地」に変える努力をし、約300種の優良品種(おもに果樹)を育成した。

 ミチューリンの育種法の特徴は、交雑種の選択と雑種植物の育成法にある。交雑を新品種育成の出発点と考え、雑種の特徴は両親の遺伝的形質によるだけでなく、その多くが両親や雑種植物の育成過程の生活条件(管理)によること、とくに植物の生育初期が可変性、適応性に富んでいることを実証した。おもな育種法に遠隔交雑法とメントール(養育者)法がある。前者は地理的あるいは類縁的に離れた交雑親を選ぶことで、後者接木(つぎき)変異を誘起させる場合、影響を与えようとする台木は成熟したものを選び、影響を受ける側の穂木は若い実生(みしょう)苗を選ぶことで、望ましい形質を子孫に導入する方法である。また遠縁交雑を容易にするための混合花粉受粉法、栄養接近接木法なども考案した。日本には彼の名にちなんだ「日本ミチューリン会」(東京)がある。

[柳下 登]

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改訂新版 世界大百科事典 「ミチューリン」の意味・わかりやすい解説

ミチューリン
Ivan Vladimirovich Michurin
生没年:1855-1935

ソ連邦の植物育種家。コズロフ(現,ミチューリンスク)の園芸家の息子として生まれる。鉄道員のかたわら果樹栽培をし,のちそれに専念。革命後業績をレーニンによって認められ(1922),コズロフ国営果樹育成所所長。1931年レーニン勲章を受ける。35年ソ連科学アカデミー会員。生物と環境との関係を重視し,ロシアの気候風土に適した果樹の育成方法を工夫,品種改良を行う。接木,遠縁交雑などの技術はその代表的なもの。これらはのち,T.D.ルイセンコによってミチューリニズムとして推奨され,一時期ソ連の生物学界を支配する方法論となり,日本にも多くの同調者を生んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミチューリン」の意味・わかりやすい解説

ミチューリン
Michurin, Ivan Vladimirovich

[生]1855.10.27. ロシア帝国,ドルゴイ近郊
[没]1935.6.7. ロシア=ソビエト連邦社会主義共和国,ミチューリンスク
ソビエト連邦の園芸家,育種学者。遠隔交雑,栄養接近法,メントール法など,いわゆるミチューリン農法の創出者で,300種以上の品種を開発した。鉄道に勤務しながら,果樹の栄養雑種を研究。1897年のカナダの異常寒気に際しミチューリンの育成したサクランボの品種だけが寒害を免れたことで,高い評価を得た。1917年革命後ウラジーミル・レーニンの支持を受け,ミチューリンの育種場は農業人民委員会の管理に移され,ソ連の育種事業の中心となった。1948年,トロフィム・ルイセンコがメンデル遺伝学に反対する立場から生物学理論を構築した際に,ミチューリンの研究を基礎に理論形成を行ない,これをミチューリン生物学と名づけたが,その後ルイセンコは失脚した(→ミチューリン学派)。

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百科事典マイペディア 「ミチューリン」の意味・わかりやすい解説

ミチューリン

ソ連の育種家。モスクワ南方360kmのコズロフ(現ミチューリンスク)で,C.ダーウィンの著書《家畜と栽培植物の変異》などを手引にして,果樹の耐寒性品種の育成に努力。メントール法や遠隔雑種法を創始した。帝政ロシア時代には異端視されたが,ロシア革命後広範な援助が与えられ,彼の圃場(ほじょう)はソ連の育種研究の中心となった。のち彼の立場を普遍化してルイセンコはミチューリン生物学を提唱。
→関連項目ヤロビ農法

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世界大百科事典(旧版)内のミチューリンの言及

【農学】より

…土壌肥沃度,単一土壌形成,牧草輪作体系などを中心として研究を展開したV.R.ウィリヤムス(1863‐1939)も土壌学者であり農学者であった。また果樹の品種改良を中心に,独自の方法を開発した園芸育種家I.V.ミチューリン(1855‐1935)の存在も見落とせず,さらに栽培植物の起源を問い,世界各地から栽培種,野生種を収集した遺伝学者N.I.バビロフ(1887‐1943)は,旧ソ連が現在保有する豊富な遺伝資源の礎を築いている。ただ若き日には優れた〈植物生育発展段階説〉を提唱したT.D.ルイセンコ(1898‐1976)が,一方でメンデリズムを否定し,さらに農学研究を忘却して政治的に動いたのは残念であった。…

※「ミチューリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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