フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー潟のセートまでラングドック地方を横断する運河。全長241km。ラングドック運河,両洋運河ともいう。トゥールーズからは,かつてはガロンヌ川により,現在はガロンヌ川側設運河(1856完成)により,大西洋と連絡できる。早くから地元では運河開削を要望していたが,絶対王政期の17世紀に,王権は対外政策上スペイン経済の衰退を期待し,ジブラルタル海峡に代わり地中海と大西洋を結ぶ国際水路として運河開削の意義を認めた。とくに,財務総監コルベールは重商主義政策を推進するため交通輸送機関の拡充を急ぎ,ミディ運河の開削を許可した。開削工事は徴税請負などで財をなした地元の有力者,リケPierre-Paul Riquetへ委託した。工事は1666年に始まり81年に完成した。総工費約1525万リーブルは国費,ラングドック州費,リケの私財によった。リケはこの功績により貴族に列せられ,運河の所有権などを与えられた。運河は閘門(こうもん)式で,正確にはトゥールーズのバザクル堰堤の南約1kmの地点からセート港まで丘陵と平野を貫いていく。両岸には4万5000本の木が植えられた。運河用水はノアール山地のサン・フレオル貯水池から分水界のノルーズで給水される。水門は64ヵ所(100門),運河幅は最大で約19m,水深約2m。運河の完成はラングドック経済に大きな刺激となったものの,輸送貨物はもっぱら国内の,とくに内陸地方の貨物の輸送路として利用され,ついに王権の意図したジブラルタル海峡に代わる国際水路となることはなかった。運河の輸送量は19世紀に頂点に達したが,第1次世界大戦を境に低下し,さらに自動車貨物輸送の急成長に伴って低落傾向が続いている。輸送貨物は農作物,肥料,木材,建材などであるが,輸送にあたる川船の数の減少も著しい。しかし,通過船舶として,夏季には地中海に向かう個人のバカンス用ヨットが少なくない。
執筆者:宮崎 洋
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フランス南部、地中海とガロンヌ川上流の都市トゥールーズを結ぶ内陸艀(はしけ)運河。地中海岸のマルセイランよりベジェル、ナルボンヌ、カルカソンヌなどを経て、トゥールーズでガロンヌ川並行運河(長さ約193キロメートル、閘門(こうもん)53か所)に結ばれている。長さ約240キロメートル。閘門101か所、途中で地中海斜面と大西洋斜面の分水嶺(ぶんすいれい)を越える。幅10メートル、深さ1.8メートル。17世紀後半のルイ14世時代に開通した歴史の古い運河である。ガロンヌ川の航行困難な区間を避けるため、1856年にガロンヌ川並行運河が開通してミディ運河と結ばれた。フランスの幹線系内陸水路の一つで、地中海と大西洋のジロンド河口、ビスケー湾を結ぶ水路の一部となっている。この運河は1996年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[青木栄一]
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…積極的な運河建設は,ヨーロッパ大陸では,中央集権的な絶対王制のもとでの重商主義政策のなかで遂行された。フランスでは,コルベールのもとで1624年,ロアール川をセーヌ川に結びつけるブリアール運河が完成され,1666‐81年にはガロンヌ川を地中海に結びつける,65個の閘門をもつ241kmのミディ(ラングドック)運河が建設された。18世紀にも建設は活発に進められ,革命前にすでに延べ1000kmに達した。…
※「ミディ運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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