ミラボー(英語表記)Mirabeau, Honoré Gabriel Riqueti, Comte de

  • Honoré Gabriel Riqueti Mirabeau
  • Honoré Gabriel Riqueti,comte de Mirabeau
  • Honoré Gabriel Victor Riqueti, Comte de Mirabeau
  • Mirabeau, Victor Riqueti, Marquis de
  • Victor Riqueti,marquis de Mirabeau

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1749.3.9. セーヌマルヌ,ピニヨン
[没]1791.4.2. パリ
フランス革命期における立憲王政派の政治家。憲法制定国民議会での最もすぐれた雄弁家であり政治的英才として知られた。重農主義者ミラボー侯ビクトル・リケティの長男。青年時代放蕩を重ね監禁,放浪の生活をおくったが,この間啓蒙思想の影響を受け反専制のパンフレットなどを書き,J.ブリッソーの「黒人友の会」にも参加。プロバンスのエクスから第三身分代表として全国三部会に選出され,全国三部会および国民議会に主導的役割を果し,「人権および市民権の宣言」の起草に参画し,1791年1月国民議会議長となった。一方,立憲王政を目指し,野心家オルレアン公ルイ・フィリップ・ジョゼフとも結びつき,王室とひそかに取引するなど行動に不信がもたれた。青年時代の放蕩,再三の獄中生活,議会の激務などがたたって病気がちとなり,91年3月演説中に過労で倒れた。人民の深い哀悼のうちに,盛大な儀式によりパンテオンに葬られたが,92年8月の民衆蜂起の際,宮廷とミラボーの緊密な関係を実証する書類が発見されたため,94年9月遺体は国民公会の命令でパンテオンから除去された。
[生]1715.10.5. ボクリューズ,ペルチュイ
[没]1789.7.13. バルドアーズ,アルジャントゥイユ
フランスの重農主義者。ミラボー伯オノレ・ガブリエル・リケティの父。初め軍隊に入り,その後パリ近郊のビニョン所領内で研究に没頭。 1756年『人間の友』L'Ami des hommes,ou traité de la populationを発表し,人口増加と富の増進の関係を分析して,同じく重農主義者の F.ケネーとの親交を得た。 60年徴税請負制を批判し課税体系の改革を主張した『租税論』 Théorie de l'impôtをわし,告発されて投獄されたが,ケネーやポンパドゥール侯夫人の努力によって釈放された。次いでケネーの経済理論を忠実に展開した『農事哲学』 Philosophie rurale,ou économie générale et politique de l'agriculture (1763) を公刊してこの学派の普及に貢献した。

ドラアベンヘッダ」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディアの解説

フランス革命の指導者。小貴族の出。父は重農主義経済学者。啓蒙主義の影響を受け,諸外国に滞在し,文筆活動による収入で放蕩(ほうとう)生活を送った。第三身分から三部会に選出され,国民議会の成立に努力して議長となり,山岳派の指導者ともなったが,立憲君主制の立場をとって党主流と決裂。死後,宮廷と通謀していたことが判明し,反逆者と目された。
→関連項目カバニス

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世界大百科事典 第2版の解説

1749‐91
フランスの政治家。パリ南方オルレアン地方のロアレで生まれる。父は著名な重農主義の経済学者。はじめは軍人となるが,軍隊生活に飽きて1770年に除隊し,その後は放蕩生活におぼれて破産愛人オランダに逃亡して著述業に従事した。77年に捕らえられてフランスに送還され,42ヵ月間バンセンヌ牢獄に監禁された。釈放後,再び著述活動を再開する一方イギリスなどに旅行し,86年には財務長官カロンヌにより秘密交渉のためプロシア政府に派遣された。
1715‐89
フランスの重農主義派の経済学者,啓蒙思想家。革命政治家ミラボーの父にあたる。1757年《人間の友,あるいは人口論》を著し,この書の成功のために彼は〈人間の友〉と呼ばれた。その後同じ重農主義者ケネーの崇拝者となり,その思想の普及に努めた。60年《租税理論》を公刊し,統制経済体制と徴税請負人を厳しく批判したため,一時バンセンヌ牢に投獄された。また《穀物流通に関する書簡》(1768)では,穀物流通の全面的自由の必要性とあらゆる独占廃止を説いた。

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367日誕生日大事典の解説

生年月日:1715年10月4日
フランスの重農主義者
1789年

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精選版 日本国語大辞典の解説

[一] (Honoré Gabriel Riqueti, Comte de Mirabeau オノレ=ガブリエル=リクティ、コント=ド━) フランスの政治家。フランス革命の初期に三部会の第三身分の代表として活躍、国民議会成立に重要な役割を果たしたが、のち宮廷側に買収され、王と議会の妥協を計った。雄弁で知られる。(一七四九‐九一
[二] (Victor Riqueti, Marquis de Mirabeau ビクトール=リクティ、マルキ=ド━) フランスの経済学者。(一)の父。ケネーの門弟で、重農主義経済学の発展に寄与。主著「農業哲学」など。(一七一五‐八九

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1749〜91
フランス革命初期の政治家で,自由主義貴族の代表
立憲君主主義の指導者で,憲法制定議会を組織した中心人物。雄弁をもって知られ,議会では国王側近に攻撃を集中し,王を利用してブルジョワジーの利益を守ろうとした。しかし,その死後,王室と裏取引きをはかったことが露見し,パンテオンに葬られた遺体は捨てられた。

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世界大百科事典内のミラボーの言及

【重農主義】より

…18世紀の後半,フランス絶対王政は,特権的独占商人や奢侈品(しやしひん)工業の保護育成を中心とするフランス型重商主義政策(コルベルティスムcolbertisme)や,金融政策を中心とする商業主義(ジョン・ローの体制)によって,経済的にも財政的にも破綻(はたん)に(ひん)し,体制的危機に直面した。その再建策として大農経営の発展を提唱したF.ケネーを創始者とし,その自然法思想や政策的主張や経済学説を祖述し発展させたV.R.ミラボー(ミラボー侯),P.S.デュポン・ド・ヌムール,メルシエ・ド・ラ・リビエール,A.N.ボードー(ボードー師),G.F.ル・トローヌ,A.R.チュルゴなどを代表者とする一団の経済学者に共通する経済思想・政策的主張・理論体系を一括して示す名称。…

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