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ムスリム同胞団 ムスリムどうほうだん

大辞林 第三版の解説

ムスリムどうほうだん【ムスリム同胞団】

1929年エジプトで結成された急進的なムスリムの政治団体。イスラムの徹底化を唱え、大衆活動を展開。のちシリア・スーダンなどにも広がる。

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知恵蔵の解説

ムスリム同胞団

エジプトを中心に活動する穏健派のイスラム原理主義組織。1928年、サラフィーヤ主義(復興主義)の影響を受けたハサン・アル・バンナーが、スエズ運河沿いのイスマイリアで設立した。当地は、事実上イギリスの支配下にあり、イスラムの弱体を憂えたバンナーは、その教えの原点に立ち戻り、民衆にシャリア(イスラム法)の実践を説いた。そして病院設立、労組結成、就職斡旋、貧困者への金銭援助など、様々な奉仕活動を展開し、多くの人々を引きつけていった。また、出版、鉄鋼、繊維などの企業も経営し、40年代末には数十万人の巨大組織に成長させた。やがて政治参加も要求するようになり、そのネットワークは周辺のアラブ諸国にも拡大していった。しかし、それを脅威とする政府によって非合法化され、49年には創始者バンナーが暗殺される。その間、一時合法化されたものの、組織は分裂状態になり、地下組織化した一部の過激分子がゲリラ活動に走った。なお、パレスチナのガザ地区で強い支持を得るハマス(87年結成)も、同地区のムスリム同胞団を母体とする。
その後、54年のナセル暗殺未遂事件を契機に再び非合法化され、ナセル大統領の政権下(56~70年)、次第に影響力を失っていった。しかし70年代以降、アラブ世界でイスラム復興運動が高まるなか、組織を整えた同胞団は社会奉仕活動を再開し、合法の範囲内での政治活動も進めていった。ムバラク政権下の84年の人民議会選挙では、合法の他党との連合によって初めて議席を獲得。その後着実に議席数を増やし、内外の民主化圧力の下で実施された2005年の選挙では88議席を得て、与党・国民民主党(NDP)と対抗できる最大野党になった。しかし、原理主義派の膨張を恐れる当局の弾圧が始まり、その後の選挙では大幅に議席を減らしている。
現在、同胞団は都市部から農村部まで張り巡らされた草の根ネットワークを持ち、エジプト国民の2~3割の支持者がいると見られる。ムバラク後の国政に大きな役割を担うことを期待する声がある一方、宗教と政治の一体化が進むことに拒絶反応を示す国民も少なくない。とりわけ世俗志向の若者の間には、穏健派とはいえ厳格なシャリアの実践を唱える思想に反発を持つ者が多いと見られる。また、リアルな外交・政治の運営能力も不透明で、国政を担うにふさわしいカリスマ的指導者の不在も指摘されている。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2011年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ムスリム同胞団

イスラム教に基づく社会政治組織。1928年にエジプトでハサン・バンナー氏が創設した。「イスラムこそ解決」という標語を掲げ、草の根的な社会活動を展開する一方、選挙を通じて政治に参加し、理想のイスラム社会の建設を目指す。教師や医師、技師など非宗教者が活動を担っているのが特徴。

(2012-08-21 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

ムスリム‐どうほうだん〔‐ドウハウダン〕【ムスリム同胞団】

1928年、エジプトで結成されたイスラム教社会運動の団体。コーランを憲法とする国家の建設を主張。エジプト最大の政治団体となったが、ナセル狙撃事件を機に1954年に解体。その後、1970年代に組織を再建し、アラブ諸国で活動を続けている。

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百科事典マイペディアの解説

ムスリム同胞団【ムスリムどうほうだん】

エジプトのイスラム運動団体。イスラム同胞団とも表記される。近代のイスラム改革運動家ムハンマド・アブドゥフの思想の流れに連なるハサン・アルバンナーが1928年にイギリス支配下のエジプトで結成。
→関連項目イスラム復興運動エジプトエジプト革命サイイド・クトゥブモルシ

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世界大百科事典 第2版の解説

ムスリムどうほうだん【ムスリム同胞団 Ikhwān al‐Muslimīn】

20世紀エジプトで生まれたイスラム宗教社会運動の団体。ハサン・アルバンナーを中心に秘密結社として1929年4月イスマーイーリーヤで結成,33年,本部はカイロに移った。30~40年代を通じてしだいに都市の労働者,職人,小商人,学生の間に拡大し,公然たる運動となった。現代生活の全局面でのイスラムの徹底化を主張し,コーランを憲法とするイスラム国家の建設と社会的正義(アダーラ)の実現とを要求し,ウンマの内側に生じた腐敗・堕落を排撃して,巨大な大衆動員力をもつ政治・社会団体となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムスリム同胞団
ムスリムどうほうだん
al-Ikhwān al-Muslimūn; Muslim Brotherhood

イスラム教の国際的な宗教・政治組織。道徳的腐敗や不平等の拡大を排撃し,『コーラン』や『ハディース』などの教えに立ち返って理想的な現代イスラム国家を建設することを主張する。1928年エジプトイスマーイーリーヤでハサン・アル・バンナーによって創設され,1930年代に宗教,教育に重点を置き,社会活動を通じて成員を急増させた。1930年代後半に政治運動を始め,第2次世界大戦中はエジプトの政権党だったワフド党に対抗。エジプト政府に解散を迫られると 1948年に首相を暗殺した。まもなくハサン・アル・バンナーも殺害されたが,これは政府による暗殺とみられている。エジプト革命後,1954年にガマル・アブドゥル・ナセル大統領の暗殺を企てたが失敗,弾圧を受け,以来合法化と非合法化を繰り返している。1960~70年代を通じほぼ秘密裏に活動。1980年代イスラム諸国で生じたイスラム復興運動(→イスラム原理主義)のなかで組織を改変,反欧米を掲げ,勢力を盛り返して 1980年代半ばからエジプトや中東諸国の議会で議席を獲得し始めた。2011年民主化運動「アラブの春」のなかでエジプトのムバラク政権が倒されたのち,自由公正党を設立して政治参加,2012年同党のムハンマド・モルシが大統領に就任した。しかし 2013年の軍事クーデターでモルシが解任され,まもなくムスリム同胞団も非合法化された。創設以来,エジプトのほか,スーダンシリアパレスチナレバノン,北アフリカ諸国などに拡大しており,各地で影響力をもつ。1987年にはパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスがムスリム同胞団のメンバーらによって設立された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ムスリム同胞団
むすりむどうほうだん
Muslim Brotherhood

アラブ諸国で、イスラム教の宗教的価値観に沿って社会を改革し、西洋支配から脱することを目標に活動している組織。イギリスの間接支配下にあったエジプトのイスマイリアで、1928年に教育者ハサン・アルバンナーasan al-Bann(1906―1949)によって結成された。当初は労働者や学生らが参加した政治結社で、病院設立、教育提供、貧困層援助などの慈善活動に力を入れ、草の根の支持を広げた。1940年代以降、周辺イスラム諸国に支部を設け、中東全体に影響を及ぼすようになった。しかし、1954年にエジプトのナセル大統領に弾圧されて以来、歴代政権から弾圧され、長く非合法・野党勢力であった。このため、団員数などは秘密にされているが、幹部は学者、医師、企業経営者らが多い。2010年末から広がったアラブ世界の民主化運動(「アラブの春」)では、反政府デモに参加するなど大きな役割を果たした。エジプトではムバラク政権が倒れた後、合法組織となり、2012年、ムスリム同胞団が擁立したムハンマド・ムルシMuammad Mursi(1951― )がエジプトの大統領に就任した。
 エジプト以外の国々では、トルコで2002年にムスリム同胞団に似た穏健派の公正発展党が政権につき、モロッコでも2011年にトルコを手本とする穏健派の公正と発展党が第一党になった。チュニジアでは2011年末、ムスリム同胞団の流れをくむイスラム政党エンナハダ中心の政権が生まれている。一方、ムスリム同胞団を母体とするパレスチナのハマスはイスラエルに対して武闘路線をとっており、またシリアのムスリム同胞団はアサド政権に対抗する反政府勢力の中心である。このためムスリム同胞団は国によって穏健派から強硬派までさまざまな側面をもっている。[編集部]

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世界大百科事典内のムスリム同胞団の言及

【シリア】より

…その代表は,宗教と国家を分離しシリア主義を唱えファシズムに影響されたサアーダの率いるシリア民族主義党(PPS)と,アラブの統一を基本命題としミシェル・アフラク,サラーフ・ビタールの率いるバース党である。また,イスラム教徒のムスリム同胞団や,クルドやキリスト教徒などに支持を得た共産党も活動を展開していた。 46年の独立以後は,フランス委任統治時代に導入された議会民主制のもとで政党政治が行われ,ナショナル・ブロックから分裂した人民党や国民党が政権を掌握し,伝統的支配者や商・工業ブルジョアジーによる門閥支配,金権政治が展開された。…

【スーダン】より

…72年3月ヌメイリーは,南部の反政府勢力アニャニャAnya Nyaとの間にアジス・アベバ協定を結んで,独立以来続いてきた内戦に終止符を打ち,南部自治政府を認めた。また74年には,イスラム諸勢力の結集した反政府国民戦線とも和解,ムスリム同胞団勢力をヌメイリー政府に入閣させた。83年9月,同胞団の主導でイスラム法(シャリーア)が導入された。…

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