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中世ロシアの大公国。13世紀後半ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの末子ダニイルの分領として生まれた。イワン・カリタはじめ歴代の大公のたくみな対タタール政策,ロシア正教会の支持などで急速に発展し,トベーリ公国との競争に勝ってウラジーミル大公位をほぼ独占した。ドミトリー・ドンスコイがクリコボの戦でタタールを破り,その後の諸公は再三のリトアニアの干渉も退け,〈北東ロシア〉の統一を進めた。
→モスクワ・ロシア
執筆者:鳥山 成人
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1271年ダニール公がモスクワ公国を設立して以来,地の利に恵まれてしだいに台頭,北東ロシアの指導的位置につくようになり,14世紀前半イヴァン1世のとき,モスクワ大公国と呼ばれるに至った。ついで北東ロシアの諸国を併せ,「タタールのくびき」から脱して,16世紀初めには国土統一を完成。イヴァン4世は,モスクワ大公にして全ロシアのツァーリと認められるに至った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
14~16世紀ロシアの独立と統一を達成した国。13世紀後半に創立されたモスクワ公国は、しだいに北東ロシアで重きをなした。イワン1世(在位1325~40)がキプチャク・ハン国から大公位を獲得(1328)、以後全ロシアの大公として歴代のモスクワ大公は領域の拡張に、またハン国からの独立運動の指導的勢力として活動。とくにイワン3世(在位1462~1505)よりイワン4世(在位1533~84)にかけてハン国よりの独立、キプチャク・ハン国の分裂後の諸ハン国や諸公国の併合により、多民族国家への道を開いた。
[伊藤幸男]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…これがクレムリンの起源である。1237‐38年モンゴル・タタールの侵入軍によって砦は破壊されたが,71年にはアレクサンドル・ネフスキーの末子ダニイルDaniil Aleksandrovich(1261‐1303)がこの地を本拠と定め,モスクワ大公国を開いた。当初は眇(びよう)たる小国であったが,モスクワ川を擁して交易路の要衝にあったことと,ダニイルの後を継いだ歴代の支配者の手腕によって,モスクワはしだいに領土を広げ,権威を高めていく。…
…モスクワ国家Moskovskoe gosudarstvoともいう。国号はモスクワ大公国。ウラジーミル大公国内でのモスクワ公国の発展をうけて,モスクワ大公イワン3世は〈北東ロシア〉(ウラジーミル大公国とノブゴロド)の政治的統一に向かい,〈タタールのくびき〉にも終止符を打った。…
※「モスクワ大公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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