モスクワ大公国(読み)モスクワだいこうこく

精選版 日本国語大辞典 「モスクワ大公国」の意味・読み・例文・類語

モスクワ‐だいこうこく【モスクワ大公国】

  1. 一四世紀前半のイワン一世に始まるロシアの封建制国家。一三世紀後半に建設されたモスクワ公国の勢力伸長に伴い、イワン一世が一三二八年大公の位を獲得して大公国を建て、一四八〇年にはイワン三世がキプチャク汗国支配を脱した。その後次第に、大公の専制的権力が強まり、一五四七年、イワン四世がモスクワ大公にして全ロシアのツァーリと認められ、ロシア帝国が始まる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「モスクワ大公国」の意味・わかりやすい解説

モスクワ大公国【モスクワたいこうこく】

13世紀後半北東ロシアに成立したモスクワ公国の後身。1328年イワン1世(イワン・カリタ)のときに大公国となり,1480年には約250年に及ぶ〈タタールのくびき〉を断ち,キプチャク・ハーン国を破って近隣諸国併合。16世紀初めイワン3世が北東ロシアの統一完成,16世紀半ばイワン4世(雷帝)はツァーリを称して全ロシアに君臨した。政治・文化の中心がモスクワにあった,ほぼ15世紀半ばから17世紀末までのロシアを《モスクワ・ロシア》と呼ぶ。
→関連項目キエフ・ロシアモスクワリューリク朝ロシア

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モスクワ大公国」の意味・わかりやすい解説

モスクワ大公国
モスクワたいこうこく
Moskovskoe Velikoe Knyazhestvo

モスクワを都とする中世ロシア国家。 13世紀初頭ウラジーミル=スズダリ公国分裂とともに自立しはじめたが,完全に独自の歩みを進めるようになったのは,アレクサンドル・ネフスキーの子ダニールがここを領有 (1276頃) して以来のことである。 14世紀初頭にはコロムナペレヤスラブリ・ザレスキー,モジャイスクなどを合せて急速に拡大。ダニールの子ユーリーは 1318年早くもウラジーミル大公位を獲得。特にイワン1世 (カリタ)キプチャク・ハン国助力を得て,宿敵トベーリを圧倒し,モスクワを北東ロシア最強の国とした。 14世紀後半ドミトリー・ドンスコイ公はキプチャク・ハン国の支配に反旗を翻し (→クリコボの戦い ) ,一時ロシアを独立させた。 15世紀に入ると内乱に悩まされたが,イワン3世 (大帝)の治世には,キプチャク・ハン国からの最終的独立が達成され,大公権が強化され,東ロシアのほとんどがモスクワの支配に服した。大公国の発展は,16世紀中頃イワン4世 (雷帝) 治世に成立するモスクワ帝国によって継承される。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「モスクワ大公国」の意味・わかりやすい解説

モスクワ大公国 (モスクワたいこうこく)
Moskovskoe velikoe knyazhestvo

中世ロシアの大公国。13世紀後半ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの末子ダニイルの分領として生まれた。イワン・カリタはじめ歴代の大公のたくみな対タタール政策,ロシア正教会の支持などで急速に発展し,トベーリ公国との競争に勝ってウラジーミル大公位をほぼ独占した。ドミトリー・ドンスコイがクリコボの戦でタタールを破り,その後の諸公は再三のリトアニアの干渉も退け,〈北東ロシア〉の統一を進めた。
モスクワ・ロシア
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「モスクワ大公国」の解説

モスクワ大公国(モスクワたいこうこく)

1271年ダニール公がモスクワ公国を設立して以来,地の利に恵まれてしだいに台頭,北東ロシアの指導的位置につくようになり,14世紀前半イヴァン1世のとき,モスクワ大公国と呼ばれるに至った。ついで北東ロシアの諸国を併せ,「タタールのくびき」から脱して,16世紀初めには国土統一を完成。イヴァン4世は,モスクワ大公にして全ロシアのツァーリと認められるに至った。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスクワ大公国」の意味・わかりやすい解説

モスクワ大公国
もすくわたいこうこく

14~16世紀ロシアの独立と統一を達成した国。13世紀後半に創立されたモスクワ公国は、しだいに北東ロシアで重きをなした。イワン1世(在位1325~40)がキプチャク・ハン国から大公位を獲得(1328)、以後全ロシアの大公として歴代のモスクワ大公は領域の拡張に、またハン国からの独立運動の指導的勢力として活動。とくにイワン3世(在位1462~1505)よりイワン4世(在位1533~84)にかけてハン国よりの独立、キプチャク・ハン国の分裂後の諸ハン国や諸公国の併合により、多民族国家への道を開いた。

[伊藤幸男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「モスクワ大公国」の解説

モスクワ大公国
モスクワたいこうこく

14〜16世紀,モスクワを中心にロシアを統一した中央集権的封建国家
1271年ダニール公がキプチャク−ハン国の支配下に建国。14世紀前半イヴァン1世が大公を称し,イヴァン3世のときキプチャク−ハン国から独立(1480)した。のち諸公国を併合して統一を完成,1547年イヴァン4世(雷帝)は公式に全ロシアのツァーリ(皇帝)を称した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のモスクワ大公国の言及

【モスクワ】より

…これがクレムリンの起源である。1237‐38年モンゴル・タタールの侵入軍によって砦は破壊されたが,71年にはアレクサンドル・ネフスキーの末子ダニイルDaniil Aleksandrovich(1261‐1303)がこの地を本拠と定め,モスクワ大公国を開いた。当初は眇(びよう)たる小国であったが,モスクワ川を擁して交易路の要衝にあったことと,ダニイルの後を継いだ歴代の支配者の手腕によって,モスクワはしだいに領土を広げ,権威を高めていく。…

【モスクワ・ロシア】より

…モスクワ国家Moskovskoe gosudarstvoともいう。国号はモスクワ大公国ウラジーミル大公国内でのモスクワ公国の発展をうけて,モスクワ大公イワン3世は〈北東ロシア〉(ウラジーミル大公国とノブゴロド)の政治的統一に向かい,〈タタールのくびき〉にも終止符を打った。…

※「モスクワ大公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android