改訂新版 世界大百科事典 「モノモタパ王国」の意味・わかりやすい解説
モノモタパ王国 (モノモタパおうこく)
南アフリカ,現在のジンバブウェ共和国を中心に,北はザンベジ川,南はトランスバール,西はボツワナ東部,東はインド洋に及ぶ,ショナ族Shonaおよびロズウィ族Rozwiを中心とする部族連合王国。11~19世紀に栄え,モノモタパMonomotapa期(11~15世紀)とマンボMambo(〈王〉の意)期(15~19世紀)に分けられる。
この王国の繁栄の基礎は豊かな鉱物資源と広範囲な海外貿易にあり,首都ジンバブウェをはじめ,各地に多くの石造の建築や階段状構築などをつくった。ジンバブウェに最初の石造建築がつくられたのは11世紀で,このことは遺跡から中国の宋代の磁器の破片が出土することからも確証される。この期の建築用石材は不整形で,屋根は草またはダガ(蟻塚を砕いてつくった一種の粘いセメント)でふかれた。この様式に属する最も壮大な建築は,ジンバブウェの北東約130kmにあるマテンデレMatendereの囲壁で,建設したのはショナ族である。15世紀中ごろショナ族はジンバブウェを一時的に放棄し,再び戻ったが,やがてロズウィ族に追われた。ロズウィ族は新しい技術で次々に石造建築を建てた。ジンバブウェの〈神殿〉と呼ばれる長径100m,短径80mの楕円形建築や,カーミKhami,ドーロ・ドーロDhlo Dhloなどの壮大な建造物は,その代表的なものである。ロズウィ族の繁栄の基礎は金にあった。彼らは金を輸出し,インドやインドネシアから綿布やガラス玉,中国から青磁や染付磁器,ヨーロッパや近東から金属製品やガラス製品を輸入した。また,石柱の頭部に鳥を彫刻した鳥神殿をつくったが,これらは現に行われている宗教に関係するもので,ジンバブウェの丘上の囲壁内に置いた壇の上に建てられた。19世紀初めに南からヌグニ族Nguniが侵入し,1834年に最後のマンボであったチリサムルChirisamuruが殺されたため,ロズウィ族はザンベジ川を渡って,北方に移住した。
→ジンバブウェ
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報