パキスタンのシンド州ラールカナの南36kmにあるインダス文明都市期最大の都市遺跡。モエンジョ・ダーロとも呼ばれる。1922年にバネルジーR.D.Banerjiがハラッパーと同じ遺物を発見したことにより注目され,22-27年にはJ.マーシャルが,27-31年にはE.H.マッケイが大規模に発掘し,遺跡の性格を明らかにした。50,65年にも小規模な発掘があったが,地下水位が異常に高く,自然層はおろか,地表下5m以下の遺構状態は全く不明であり,この都市の歴史のごく一部しか判明していない。他のインダス文明の都市と同じく,東に市街,西に城塞をおく計画都市といわれ,両者間に約200mの空隙がある。市街地南西隅で市壁の一部が検出された以外は,たび重なるインダスの氾濫により周辺部は崩壊し,そのため正確には城塞・市街の範囲を認めがたいが,市街は城塞の12倍の面積を示す。城塞は,マーシャルによると,大きく3時期の建築期があり,南部が高さ約5~6m,北部が約10~12mで,北部には3~4世紀の仏教寺院跡もある。日乾煉瓦と土泥から成る城塞の築壇は,2回目の建築期(最盛期)につくられた。その上には,プール状の沐浴場を中庭に,東に列室,北に列柱をもつ広間などから成る大建造物(南北170m,東西110m),その三方を通路を隔てて囲む長方形大建築がまずつくられ,のちに沐浴場建物の南西に接するように穀物倉が造営された。南部には,会堂と名づけられた建物等があり,南東隅に要塞,南西部に突角堡とみられる遺構がある。市街地は4区域で発掘がおこなわれ,その結果,東西南北各2本の直線道路が推定され,小路がこれと直交している。住宅は城塞の建物と同じく,焼煉瓦を構造材とし,2室から数十室に及ぶものがあり,戸口はみな小路に開く。住宅の間には社らしい平面形をもつ区画もあるが,市街の特色は室内の井戸,水使用の室やここより大通りの本溝に向かう排水の溝管が整備されている点である。特異な三角形小陶板がこの溝中から多数出土する。城塞・市街を問わず,〈祭司像〉などの石製男子像9,青銅女性像2,テラコッタ製女性・動物像多数,凍石製印章1232個が出土。陶板はカーリーバンガンの祭祀場で出土したので,ここの陶板も祭具と考えられ,井戸や排水溝も水による浄化・潔斎などの祭式用施設である。従来この都市の焼煉瓦建築やその他の特色はインダス文明全体に見られるものとされてきたが,モヘンジョ・ダロもインダス文明の一形式にすぎない。
執筆者:桑山 正進
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…インダス川流域を中心に前2300‐前2000年ごろ最盛期をむかえたインドの古代文明。1920年ハラッパーがサハニD.R.Sahaniにより,ついでモヘンジョ・ダロがバネルジーR.D.Banerjiにより発見され,22‐27年にマーシャルJ.Marshallが,27‐31年にマッケーE.J.H.Mackayがモヘンジョ・ダロを,また33‐34年にバッツM.S.Vatsがハラッパーを発掘した。
[王宮・王墓を欠く文明]
遺跡分布の最大限は,東はデリー付近,西はアラビア海沿岸のイラン国境付近,南はボンベイの北200km,北はシムラ丘陵南端に及び,オクサス河岸にも1ヵ所ある。…
※「モヘンジョダロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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