翻訳|moratorium
政府が法令に基づいて債務の支払を一定期間猶予させることで,〈支払猶予〉と訳される。転じて,義務履行の猶予期間や(敵対・危険活動の)一時的停止の意味にも用いられる。国民経済が正常な状態にあるときには取引は信用のうえに立って円滑に進行するが,戦争,天災,恐慌などの異常事態に際しては信用の回転が円滑でなくなる。たとえば銀行は債権回収の見込みがたたない一方,預金はその性質上ただちに支払の請求に応じなければならないので銀行取付け,休業に追い込まれやすく,また一般債権の回収を強行すれば企業の連鎖倒産などの懸念が生じる。そこで,そうした混乱,その激化を避けるため,政府は支払猶予令を発して債務の支払をある期間猶予し,時間をかせぎつつ根本的な経済安定策を探るわけである。非常対策であり,正常な取引を阻害し,また経済界の常態復帰を遅らせる懸念があるだけに,実施の例は少ない。日本では1923年関東大震災時が最初のケースであり,関東地方において私法上の金銭債務支払を30日間延期した。27年金融恐慌時にも全国的な取付けに対処して3週間のモラトリアムを実施した(〈昭和恐慌〉の項参照)。ともに緊急勅令〈私法上の金銭債務の支払延期および手形等の権利保存行為の期間延長に関する件〉(略称,支払猶予令)に基づいて行われた。アメリカでも大不況時の33年2月,ミシガン州で取付け激化に対しモラトリアムを実施,取付けが各州に広がるに及んで3月には全国的なモラトリアムが行われた。また国際的モラトリアムでは,31年,賠償支払と国際的な資金引揚げに悩むドイツに対し,フーバー・アメリカ大統領はフランスの反対に抗して政府間債務につき1年間のモラトリアムを実施した(フーバー・モラトリアム)。
執筆者:島 謹三
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国家が法令によって民間や国家の債務の支払いを一定期間強制的に猶予させる措置をいう。「支払猶予」と訳され、その目的は信用秩序の維持である。歴史上、日本では1923年(大正12)の関東大震災のときに震災地に限定して30日間、1927年(昭和2)の金融恐慌では全国的に3週間の支払猶予令が出された。またアメリカでは、大不況の1933年に国内的なモラトリアムが実施された。国際的モラトリアムとしては、1931年に政府間債務に対して行われた「フーバー・モラトリアム」がある。しかしながらモラトリアムは、今日の民主主義の時代には考えられない措置であるから、まさに歴史上の事柄といえる。
第二次世界大戦後は、国際通貨基金(IMF)体制と世界銀行を柱に国際金融秩序が維持されるシステムになったことから、このような問題にはIMFが前面に出て解決する方法がとられている。たとえば、国際金融の世界で1980年代前半に開発途上国において累積債務問題が起こり、ブラジル、アルゼンチンの中南米諸国、それにフィリピン、エジプト、旧ユーゴスラビアなどが債務の支払いを猶予させながらIMFの指導と融資によって、それぞれの国の国民経済の再建を実行させることで金融危機を回避する方法がとられた。このIMF方式は、1994年のメキシコの通貨危機、97年のタイの通貨危機などによる金融危機においても利用されている。
[石野 典]
もともとは「支払猶予」を意味する経済用語。非常事態において債務の決済を一定期間延期し、経済の崩壊を防止する措置のこと。精神分析家のE・エリクソンがこの用語で、子供と大人の中間にあたる青年期の心理的特徴を示唆した。すなわち、青年期というのは単なる子供から大人への過渡期ではなく、それ自身が一つの文化をもつ時期なのである。大人になるためには多くの困難に遭遇するが、モラトリアムは将来のことを顧慮することなく、役割演技などによってさまざまな実験を試み、自己の問題を創造的に展開する時期であり、成長のための猶予期間である。こうしたモラトリアムを提供することで、社会は青年にさまざまな同一視を経験させ、自我同一性(アイデンティティ)の確立をサポートする。日本では、自我同一性を確立できず、いつまでたってもモラトリアムを抜け出せない青年が増加し、否定的な意味で用いられることも多い。
[外林大作・川幡政道]
『小此木啓吾著『モラトリアム人間を考える』(1982・中央公論社)』▽『小此木啓吾著『モラトリアム人間の時代』(中公叢書)』
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(田中信市 東京国際大学教授 / 2007年)
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[引き延ばされた青年期]
産業社会の進展は,青年期を引き延ばしつつ,青年期後期をそれ以前の青春期adolescenceから区別される独自のユースyouthの時期に造型してきた。ユースとしての青年は,産業社会のモラトリアム(人生の免責・猶予期間)の矛盾が生み出した存在といえる。すなわち産業社会は,生産力を増大して,一方では,すでに性的に成熟した個体が,成人の負う社会的責任や義務を免除され,自由な遊びと実験の中にアイデンティティ(自己の存在証明,自己同一性)の形成におもむくモラトリアムを社会的に制度化するとともに,他方ではそのモラトリアムを主として学校教育に編入し,アイデンティティの自由な振幅を禁圧して,勤勉,合理性,競争,独立性,能率などを偏重する技術主義的な自我を育成しようとする。…
※「モラトリアム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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