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モンターレ モンターレMontale, Eugenio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モンターレ
Montale, Eugenio

[生]1896.10.12. ジェノバ
[没]1981.9.12. ミラノ
イタリアの詩人,評論家。ウンガレッティ,クァジーモドと並んで,20世紀イタリア純粋詩の主流エルメティズモの代表的存在。ウンガレッティが美の結晶のような短詩を書き,クァジーモドが抵抗運動のなかで古代ギリシア風の抒情を歌ったのに比べて,モンターレはファシズムという困難な時代のなかで,いわば荒寥たる礫土の下に美を封じ込めたような,苦渋に満ちた,暗く響き渡る連作の詩篇を書いた。 1922年に G.デベネデッティや S.ソルミらと『プリーモ・テンポ』 Primo tempo誌を創刊,『ソラーリア』誌の編集にも加わったが,第2次世界大戦中は反ファシズムのゆえに職を追われた。 48年以降は『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙の文芸欄を編集し,文芸批評と音楽批評を執筆した。 67年,終身上院議員となり,1970年代に入って一層活発にすぐれた詩作品を発表し,75年度ノーベル文学賞を受けた。主著,詩集『いかの骨』 Ossi di seppia (1925) ,『機会』 Le occasioni (39) ,『嵐とその他』 La bufera e altro (56) ,評論『ディナルド広場の蝶』 Farfalla di Dinard (56) ,『ズベーボとの往復書簡』 Lettere con Svevo (66) ,『異端宣告』 Auto da fé (66) ,『家の外で』 Fuori di casa (69) ,後期の詩集に『サートゥラ』 Satura (71) ,『71年と 72年の日記』 Diario del '71 e del '72 (73) ,『4年間のノート』 Quaderno di quattro anni (77) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

モンターレ

イタリアの詩人。ウンガレッティとともに〈エルメティズモ〉と呼ばれるイタリア現代詩の潮流を代表する。詩集《烏賊(いか)の骨》《機会》《嵐,その他》があり,連作《地中海》は初期の代表作で,大海のうねりを伝える詩句に生の不毛さ・はかなさの意識が表白されている。
→関連項目パスコリ

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世界大百科事典 第2版の解説

モンターレ【Eugenio Montale】

1896‐1981
イタリアの詩人,批評家。20世紀イタリア詩の主流〈エルメティズモ〉の立役者の一人。北イタリアの海港ジェノバの富裕な商家に生まれ,幼少年時代から青年時代にかけて,リグリア東海岸の風光明美な土地レ・チンクェ・テレに一年の半ばを過ごした。とりわけ,別荘のあった入江の町モンテロッソの海と山は,モンターレの詩的世界の源泉となった。しかし初めはオペラ歌手を志して,声楽家エルネスト・シーボリの弟子になったが,舞台に立つ直前に師が急死し,歌手になるのを断念した。

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大辞林 第三版の解説

モンターレ【Eugenio Montale】

1896~1981) イタリアの詩人。両大戦間の実存的不安をうたった「烏賊の骨」で脚光を浴び、その韜晦とうかいした詩風からエルメティズモの代表的存在とされた。詩集「動因」、散文集「ディナールの蝶」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モンターレ
もんたーれ
Eugenio Montale
(1896―1981)

イタリアの詩人。ジェノバの富裕な商家に生まれる。10代の終わりにはオペラ歌手を志していたが、私淑していた個人教授の死去と第一次世界大戦従軍のため断念。戦後の1922年から『プリーモ・テンポ』誌に詩を発表し始め、革命的自由主義者ゴベッティの勧めで処女詩集『烏賊(いか)の骨』(1925)を刊行した。幼少年時代を過ごしたリグリア東海岸、とりわけ別荘のあったモンテロッソの風景が、詩想の源泉となった。海へ落ち込む断崖(だんがい)、身をよじる松の巨木、瓦礫(がれき)を呑(の)んで呻吟(しんぎん)する地中海の轟(とどろ)きが、初期詩編には好んで歌われる。幼いときから「生きるという悪」の意識に苦しみ続けたモンターレの詩は、荒々しく重い韻律を響かせるため、同じく第一次世界大戦に参加し、死に囲まれた塹壕(ざんごう)の中で、いっさいの虚飾を払い落とし霰(あられ)のごとき詩を書き留めたウンガレッティの詩編と、際だった対照をみせる。また、やや遅れて第二次世界大戦の惨禍を叙情的な抵抗詩に歌った、シチリア島出身のクアジーモドとともに、モンターレは20世紀イタリア詩壇の主流エルメティズモの立役者となった。
 1925年、哲学者クローチェの提唱した知識人の反ファシズム宣言に署名。1927年にはフィレンツェに居を移して出版社ベンポラッドの編集に加わり、翌1928年にはビウシウー図書館長となったが、ファシスト党員でないため解任された。両大戦間には、ビットリーニ、ガッダ、パベーゼらと『ソラーリア』誌に加わり、検閲と弾圧の強まるなかで、シェークスピア、H・メルビル、T・S・エリオットら英米文学の翻訳を行った。その間に詩集『機会』(1939)を発表、反ファシズム闘争の際には行動党に所属し、解放後は、1946年から『コルリエーレ・デラ・セーラ』紙に拠(よ)って文芸時評を担当した。1948年になるとミラノに居を移し、音楽時評にも健筆を振るうようになった。詩集『嵐(あらし)とその他』(1956)、『サートゥラ』(1971)、『4年間のノート』(1977)を出版。また、散文集『ディナールの蝶(ちょう)』(1956)、『信仰証書(アウト・ダ・フエ)』(1966)、『詩について』(1976)なども発表して、1975年ノーベル文学賞を授与された。[河島英昭]

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世界大百科事典内のモンターレの言及

【エルメティズモ】より

…ただし,その適用に大別して二つの方向性がある。第一は,19世紀から20世紀初めにかけての三大詩人,カルドゥッチ,パスコリ,ダヌンツィオに代表される旧来の修辞法と鋭く対立し,新たに自由な韻律の口語詩をあらわしたウンガレッティ,モンターレ,クアジモドらの純粋詩を総称する。これは批評家アンチェスキの《20世紀イタリアの詩法》(1953)に見られるごとく,イタリアの純粋詩〈エルメティズモ〉を,象徴主義とりわけマラルメからバレリーにかけてのフランス現代詩の流れと重ね合わせようとする態度で,より広く支持されている。…

※「モンターレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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