翻訳|York
イギリス,イングランド北東部ノース・ヨークシャーの都市。人口13万7505(2001)。〈イングランドの首席主教〉であるヨーク大主教の座所として宗教上の一大中心地となっている。陸運交通の要衝で,農畜産物の集散地。また観光地としても知られる。ローマ時代はEboracumと呼ばれ属州ブリタニアの首都で,306年コンスタンティヌス1世はここで軍隊により皇帝に推された。アングロ・サクソン時代はEorforwicと呼ばれノーサンブリア王国の首都となる。エドウィン王は627年洗礼を受け,またこの地に司教座が設立された。7世紀末に大司教座となり,8世紀にはカール大帝の宮廷で学問を講じたアルクインを送り出すなど,西方キリスト教世界の文化的中心地となった。その後デーン人に攻略され,デーン語に由来する現地名が命名された。ノルマン征服以降はヘンリー2世により都市の諸特権が授与されるに至って復興した。14世紀には市長が置かれて州と同格の地位を得,また北部の行政中心として〈北方院Council of the North〉(1482-1641)が置かれた。宗教改革の時代,1536年,ヨークは〈恩寵の巡礼〉の反徒の攻撃を受けて荒廃した。さらにピューリタン(清教徒)革命に際してチャールズ1世はその援軍をこの都市に求め攻囲占領したが,1644年議会派の軍の前に敗北した。1688年の名誉革命のころヨークは人口約1万といわれる。その後イングランド北部に工業諸都市が興隆するに及んで,ヨークの商工業は急速に衰退し,また1918年には国会議員が2名から1名に削減されるなど政治的にもその比重は後退した。
執筆者:佐藤 伊久男
大聖堂(ミンスター。正称はセント・ピーター)と市壁,城門を残した一画は,中世都市の様相をとどめている。大聖堂はロマネスク期の古い基礎の上にゴシック様式で長期にわたって(1220ころ-1474)建造されたため,初期イギリス様式,装飾様式,垂直様式の諸様式を包含している。身廊,トランセプト(交差廊)ともに三廊式。1291年起工された身廊の規模はイギリス最大であり,北トランセプトの青灰色のステンド・グラスは華麗さを示す。北トランセプトに隣接した八角形のチャプター・ハウスはとくに美しい建造物として知られている。
執筆者:馬杉 宗夫
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突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...