デジタル大辞泉
「ヨーク」の意味・読み・例文・類語
ヨーク(York)
英国イングランド 北東部の都市。古代ローマ時代に建設されたエボラクムが起源。7世紀には大司教座が置かれた。オーストラリア 、西オーストラリア州南西部の町。パース の東約100キロメートル、エイボン川沿いに位置する。1831年に入植が始まった同州最古の町の一。19世紀半ばに建てられた建物が多く残っている。
ヨーク(yoke)
洋服の肩・胸やスカートの上部などに切り替えを入れてつける布。装飾や補強のために用いられる。
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ヨーク
( York ) イギリス 、イングランド北東部の都市。ハンバー川 の支流、ウーズ川とフォス川との合流点にある。ローマ時代から発達した、イングランド北部の中心都市で、七王国時代 のノーサンブリア王国 の首都。一四世紀以降、羊毛・皮革工業によって栄えた。中世の遺跡にみるべきものが多い。
ヨーク
〘 名詞 〙 ( [英語] yoke ) 洋服をからだに添わせて立体的に仕上げるため、また装飾も兼ねて、上衣の胸や肩やスカート・ズボンの腰の部分などに、切り替え線を入れてはめ込んだ別布。
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ヨーク York
目次 美術 イギリス,イングランド北東部ノース・ヨークシャー の都市。人口13万7505(2001)。〈イングランドの首席主教〉であるヨーク大主教の座所として宗教上の一大中心地となっている。陸運交通の要衝で,農畜産物の集散地。また観光地としても知られる。ローマ時代はEboracumと呼ばれ属州ブリタニアの首都で,306年コンスタンティヌス1世はここで軍隊により皇帝に推された。アングロ・サクソン時代はEorforwicと呼ばれノーサンブリア王国の首都となる。エドウィン王は627年洗礼を受け,またこの地に司教座が設立された。7世紀末に大司教座となり,8世紀にはカール大帝 の宮廷で学問を講じたアルクイン を送り出すなど,西方キリスト教世界の文化的中心地となった。その後デーン人に攻略され,デーン語に由来する現地名が命名された。ノルマン征服以降はヘンリー2世により都市の諸特権が授与されるに至って復興した。14世紀には市長が置かれて州と同格の地位を得,また北部の行政中心として〈北方院Council of the North〉(1482-1641)が置かれた。宗教改革の時代,1536年,ヨークは〈恩寵の巡礼〉の反徒の攻撃を受けて荒廃した。さらにピューリタン (清教徒)革命に際してチャールズ1世はその援軍をこの都市に求め攻囲占領したが,1644年議会派の軍の前に敗北した。1688年の名誉革命のころヨークは人口約1万といわれる。その後イングランド北部に工業諸都市が興隆するに及んで,ヨークの商工業は急速に衰退し,また1918年には国会議員が2名から1名に削減されるなど政治的にもその比重は後退した。 執筆者:佐藤 伊久男
美術 大聖堂(ミンスター。正称はセント・ピーター)と市壁,城門を残した一画は,中世都市の様相をとどめている。大聖堂はロマネスク期の古い基礎の上にゴシック様式 で長期にわたって(1220ころ-1474)建造されたため,初期イギリス様式,装飾様式,垂直様式の諸様式を包含している。身廊,トランセプト (交差廊)ともに三廊式。1291年起工された身廊の規模はイギリス最大であり,北トランセプトの青灰色のステンド・グラスは華麗さを示す。北トランセプトに隣接した八角形のチャプター・ハウスはとくに美しい建造物として知られている。 執筆者:馬杉 宗夫
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ヨーク(イギリス) よーく York
イギリス、イングランド北東部にあるユニタリー・オーソリティーUnitary Authority(一層制地方自治体)の都市。リーズの東北東30余キロメートル、ウーズ川と支流フォス川との合流点に位置する。人口18万1131(2001)。13~15世紀建造のヨーク・ミンスター寺院を中心に、中世のおもかげを一部に残す中心市街を長さ約4キロメートルの城壁(14世紀)が取り囲む囲壁都市。ローマ時代の要塞(ようさい)塔も保存されており、ヨーク・ミンスター寺院のステンドグラス はイギリス最古で1150年ごろの製作と伝えられる。鉄道の要衝で、国立鉄道博物館がある。観光が重要産業であるが、周辺農業地域の商取引、チョコレート 製造、精密機械製造が行われるほか、鉄道工場がある。ヨーク大司教の所在地。1963年創立のヨーク大学もある。
[久保田武]
ブリトン人の居住跡も残っているが、古代ローマの支配下ではエボラクムEboracumとよばれ、第六軍団が駐留する軍事的要衝となった。ハドリアヌス 帝がここを訪れ、スコットランド人に対する長大な防壁(ハドリアヌスの長城)を築造させたことは有名である。また、コンスタンティヌス大帝は306年この地で皇帝を宣言して大陸に渡った。当時の旧市域を囲む城壁に設けられた四つの主門はよく保存されている。アングロ・サクソン人の来住後、ノーサンブリア王国の首都となるが、7世紀には早くも大司教座が置かれ、カンタベリー と宗教上の首位権を争った。ここの教会(ヨーク・ミンスター寺院)は「大会堂」(ミンスターminster)とよばれ、「大聖堂」(カテドラルcathedral)と区別されている。8世紀のヨークは、古典文化と教育の中心として全ヨーロッパにその名を知られた。これは、近郊ジャロウ修道院に住む教会史家ベーダの深い学識が彼の弟子エグバートEgbert(ヨーク大司教。766没)によりヨークに建てられた学校に継承されたことと、教師アルクインがカール大帝に招かれ、アーヘン(現ドイツ)の宮廷学校を開いて、いわゆる「カロリング朝ルネサンス 」の文化を育てたことによる。12世紀後半ヘンリー2世から特許状を受け自治都市となったヨークは、中世後期から近代初めにかけて、後背地特産の良質の羊毛を加工するヨークシャー地方の毛織物工業 の発展により、市場として繁栄した。現存する「冒険商人組合 」Merchant Adventurersの大ホールに、ハンザ商人 と対抗した彼らの活躍がしのばれる。
[松垣 裕]
ヨーク(アメリカ合衆国) よーく York
アメリカ合衆国 、ペンシルベニア州南部の都市。人口4万0862(2000)。17、18世紀に宗教的自由を求めて移住したドイツ系住民の集まるペンシルベニア・ダッチ・カントリー の中心に位置し、肥沃(ひよく)な土地に産する各種農産物の市場・加工地として重要な地位を占める。また、食品加工をはじめ農機具、繊維、製紙、建設機材、タービン、冷蔵庫など工業の中心地でもある。1735年にクェーカー教徒 により町が開かれ、77年から1年間はアメリカ植民地の首都として大陸会議の開催地ともなった。1887年より市制施行。ペンシルベニア・ヨーク大学(1789創立)の所在地でもある。
[作野和世]
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ヨーク York
イギリス ,イングランド 北東部の都市。単一自治体(ユニタリー unitary authority)。旧ヨークシャー 県に属する。1974年の自治体再編でノースヨークシャー県 の一部となり,1996年に単一自治体となった。ロンドン の北北西約 280kmにあり,ハンバー川 水系のウーズ川 とフォス川の合流点に位置する。ローマ時代にはエブラクム Eboracumと呼ばれ,ブリタニア 北部の重要な軍事拠点であったところで,皇帝ハドリアヌス も訪れ,コンスタンチヌス1世 はここで皇帝即位を宣言した。アングロ・サクソン時代にはノーサンブリア王国 の首都となり,大司教座が置かれてイングランド北部の宗教中心地としても発展。中世には羊毛取引の中心地となり繁栄。その後ロンドンとの競争に敗れて経済的には衰えたが,政治,宗教の中心地としてとどまった。農牧地帯の集散地で,鉄道設備,製菓,精密機器などの工業がある。ローマ時代の要塞跡,中世の城壁,ミンスターとして知られる聖ピーター大聖堂(13~15世紀)やその北翼廊の『ファイブ・シスターズ』(1260)をはじめとする多数の聖堂や修道院,貿易商組合ホールなど,歴史を反映する史跡や古い建築物が多く,観光業も盛ん。古くから交通の要地でもあり,放射状に鉄道,道路が延びる。面積 272km2 。人口 19万1800(2006推計)。
ヨーク(公) ヨーク[こう] York, Richard, 3rd Duke of
[生]1411.9.21. [没]1460.12.30. ヨークシャー,ウェークフィールド近郊 イングランド王位要求者。エドワード4世 ,リチャード3世 の父。初代ケンブリッジ伯リチャードとアン・モーティマー の子。伯父の2代ヨーク公エドワードを継いで3代ヨーク公となり,母方の叔父エドマンド・モーティマーからマーチ伯,アルスター伯を譲られて広大な土地を領有,最有力貴族となった。ヘンリー6世 が精神に障害をきたしたとき (1453) 摂政になり,血統による王位継承の優先権を主張,ヘンリー6世の回復とともに王との妥協が成立。王死後の王位を約束されたが,王子の廃嫡に不満の王妃マーガレット ,サマセット (公) エドマンド・ボーフォートらランカスター派との抗争が生じ (→バラ戦争 ) ,1460年 12月 30日ウェークフィールドで包囲され,殺害された。王位への要求は,長男エドワード4世によって実現した。
ヨーク York, Henry Benedict Maria Clement, Cardinal Duke of
[生]1725.3.6. ローマ [没]1807.7.13. ローマ近郊 イギリスの王家スチュアート家 出身の枢機卿。国王ジェームズ2世 の孫,大王位僭称者 J.F.E.スチュアート の次男,小王位僭称者 C.E.スチュアート の弟。スチュアート家の王位回復を目指すジャコバイト 派の反乱に参加したが失敗し,1747年以後ローマ教会の聖職に専念,47年枢機卿,59年コリント大司教,61年トゥスカルムの司教となる。イタリア初の神学校の創立で知られ,教皇選出会議メンバーとして信望を得た。政治への積極的参加は望まなかったが,88年兄スチュアートの死後,スチュアート家正統を主張し,イギリス王ヘンリー9世と称する旨の宣言を発したが,彼の没後スチュアート家直系の血統は絶えた。
ヨーク(公) ヨーク[こう] York, Edward, 2nd Duke of
[生]1373頃 [没]1415.10.25. アザンクール イングランド王エドワード3世 の孫。初代ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの長男。リチャード2世 の寵臣で,重く用いられたが,ヘンリー4世 の即位後はこれに仕え,1402年王の代理としてアキテーヌ に駐在中,父の死により2代ヨーク公となる。 05年の反王陰謀の容疑で一時投獄されたがまもなく釈放され,百年戦争 に参加してアキテーヌに行き,アザンクールの戦い で戦死。彼はまたイングランド最古の狩猟書『狩猟の名人』 Master of Gameの著者でもある。
ヨーク Yorke, Francis Reginald Stevens
[生]1906.12.3. [没]1962.6.10. イギリスの建築家。バーミンガム の建築学校を卒業後,ヨーロッパ各国に遊学,『近代住宅』 Modern House (1934) ,『近代アパート』 Modern Flat (37) などを書いた。保守的だったイギリス建築界に国際様式 を紹介し,みずからも多数の近代住宅の設計を試みた。 1935~37年は M.ブロイアーと共同し,44年以降,E.ローゼンバーグ,C.マードールと共同事務所を経営し,住宅や病院,学校などを手がけた。個人的色彩の強い仕事としては,サセックス県ギャッツウィック空港ターミナル (58) ,ロンドンのヨーク事務所ビル (61) がある。
ヨーク(公) ヨーク[こう] York, Edmund of Langley, 1st Duke of
[生]1341.6.5. キングズラングリー [没]1402.8.1. キングズラングリー イングランド王エドワード3世 の第5子,ヨーク家の創始者。本名エドマンド・オブ・ラングリー。妻はカスティリア =レオン王ペドロ1世 の娘イザベル。1362年ケンブリッジ伯,1385年ヨーク公となる。平凡な人物で,しばしば大陸に遠征したが成果はなく,またランカスター公ヘンリーが 1399年リチャード2世 を廃して即位し,ヘンリー4世 を称したときも抵抗することなくこれを承認した。
ヨーク(公) ヨーク[こう] York (and Albany), Frederick Augustus, Duke of
[生]1763.8.16. ロンドン [没]1827.1.5. ロンドン イギリスの軍人。国王ジョージ3世 の次男。 1780年陸軍に入り,81~87年ハノーバーで軍事教育を受け,84年陸軍中将に昇進,ヨークおよびオールバニ公に叙せられた。 93~95年フランドル派遣軍司令官,95年陸軍元帥,98~1809年イギリス陸軍総司令官,1799年オランダに遠征。軍事上の功績には顕著なものが認められなかったが,兵士の福祉のための種々の改革を行い人気を得た。今日の陸軍大学校 や陸軍士官学校 の前身となった軍人養成学校の創立者としても知られている。
ヨーク York
アメリカ合衆国,ペンシルバニア州南東部にある都市。ハリスバーグの南南東約 45kmに位置する。サスケハナ川以西のペンシルバニア州最初の定住地で,1741年ライン地方のドイツ人とイギリス人が入植。 77年イギリスがフィラデルフィアに進攻したとき,大陸会議がヨークに移り,ここに翌年まで首都がおかれた。豊かな農業地帯を背景とする商業の中心地。冷凍,空調設備,水力タービン,ピアノなどの工業も発達。ペンシルバニア州立大学ヨーク校,クェーカー教会堂,ファークワー公園がある。人口4万 2192 (1990) 。
ヨーク York
アメリカ合衆国,メーン州南西部の大西洋に面する古い町。ポートランドの南西約 65kmに位置する。 1624年建設され,41年にジョージアナ市として認可。アメリカ大陸最初のイギリス人都市となったが,92年にはインディアンとの戦いでほとんど全滅した。現在は地方の行政中心地,また観光・保養地となり,多くの歴史的な建物が復元されている。人口 9818 (1990) 。
ヨーク yoke
服飾では本来衣服の肩やスカートの腰の部分の当て布をさすが,広くは単にこれらの部分を上下に切替えた上の部分をさす。ヨークの下側にはプリーツ ,タック,ギャザー などを入れて,ゆとりをもたせることが多い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ヨーク
英国,イングランド北東部,ノース・ヨークシャー州の都市。ウーズ川に沿う交通の要地。ヨークシャー農業地帯の中心。チョコレートやココアの製造,皮革,ガラスなどの工業が行われる。古代ローマ時代にはエブラクムと呼ばれ,ブリタニア北部の軍事拠点であった。7世紀以来宗教上の中心でヨーク大聖堂 があり,中世の城壁,毛織物貿易商人会館などの史蹟に富む。19万8051人(2011)。 →関連項目ばら戦争
ヨーク
イギリスの女優。ロンドンの出身。王立演劇学校で学ぶ。1960年,映画デビューし,《トム・ジョーンズの華麗な冒険》(63年,トニー・リチャードソン監督)で国際的に注目される。60年代後半に,《わが命つきるとも》(66年,フレッド・ジンネマン監督)《素晴らしき戦争》(69年,リチャード・アッテンボロー監督)《空軍大戦略》(69年,ガイ・ハミルトン監督),と話題作に立て続けに出演,イギリスを代表する女優となった。69年,《ひとりぼっちの青春》(シドニー・ポラック監督)でアカデミー助演女優賞にノミネートされる。72年,ロバート・アルトマン監督の《イメージズ》でカンヌ国際映画祭女優賞を獲得した。
出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディアについて 情報
ヨーク York
イングランド北部の都市。ローマ都市エボラクムを起源とする。7世紀にカンタベリ と並んで大司教 座が置かれ,以後宗教,学術の一中心となり,市場としても栄えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ヨーク
ディスプレイの陰極線管(ブラウン管)内の偏向コイル。電子ビームの光を偏向することで、蛍光体全面に当たるようにする機能を持つ。
出典 ASCII.jpデジタル用語辞典 ASCII.jpデジタル用語辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の ヨークの言及
【ヨーク岬半島】より
…オーストラリア北部,クイーンズランド州北部の半島。北端のヨーク岬はオーストラリア大陸の最北端(南緯10゜41′)である。半島東部は大分水嶺山脈の北端部にあたるが,西部は低平である。…
【アッパー・カナダ】より
…ケベック植民地へ入植した人びとは五大湖周辺に居住したが,荘園主や教会の影響濃厚な政治・経済形態を忌避し,1791年,〈憲法条例〉の制定により,ケベックはアッパーおよび[ロワー・カナダ]植民地に二分され,アッパー・カナダではイギリス式の代議制,土地制度が導入された。ヨーク(現,トロント)を中心に発展した植民地は,19世紀前半多くのイギリス系移民を迎え,カナダにおけるイギリス系文化の温床となり,教育制度も充実した。植民地の成熟に伴い,植民地の支配層である〈家族盟約〉を打倒しようとする抵抗運動が起こり,1837年の[W.L.マッケンジー]の反乱をみるが,この結果41年両カナダは統合され,アッパー・カナダは連合カナダ植民地の一行政区カナダ西部に再編された。…
【トロント】より
…この地へ入った最初の白人はフランスの毛皮商人で,1750年にはフランス人によって砦がつくられた。定住集落ができたのは96年で,当時[アッパー・カナダ]と呼ばれたイギリス支配のオンタリオ地方の行政中心地としてヨークYorkと呼ばれた。1834年にトロントと改名された。…
【度量衡】より
…そこで,面積の単位は,古くから長さの単位の平方(2乗)で,例えば古代ローマではラテン語でペスの平方と定められてきたが,それらとは別に,(ニ)の系統の能力方式による面積単位が各地各様に用いられていた。ラテン語ユグムjugumは牛につけるくびき,ユンゴjungoはくびきをつけて牛を働かせることを意味するが,これらの語から出たユゲルムjugerumが面積単位の名になり,イギリスではヨークyoke,ドイツではヨッホJoch,ユックJuckなどと呼ばれるに至った。くびきでつながれた牛が1日の間に耕すことのできる耕地面積といった内容のものであるが,当時の農作業のありさまに即して評価をし直すのは困難であるから,これらの面積単位の実態をつきとめることは不可能に近い。…
※「ヨーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」