フランスの詩人,政治家。身分の低い貴族の家に生まれ,幼少時代をブルゴーニュのマコン近くの領地で過ごし,17歳のときまでカトリックの神父たちのもとで勉強を続け,その後は自由な読書と旅と恋と書くことで青春を送った。第1次王政復古のとき,ルイ18世の近衛を務めたが,〈百日天下〉でスイスに亡命し,軍籍を退き,文学を自らの天職と定め,悲劇を書き始めた。1820年に出版した《瞑想詩集》は,熱狂的に迎えられ,ロマン派の抒情詩の時代の幕明けとなった。同年外交官となり,ナポリ,フィレンツェに駐在するが,その間,《ソクラテスの死》(1823),《詩的宗教的諧調詩集》(1830)など多くの抒情詩,叙事詩を書いて,フランス詩に宇宙的な広がりと深みをもたらし,響きあうハーモニーを創造した。七月王政の時代に入ると,外交官を辞し,東方に旅をし,叙事詩《ジョスラン》(1836),《天使の失墜》(1838)などを世に問うが,世評がかんばしくなくなってきたので,抒情詩集《静思》(1839)を最後に,1833年から代議士に選出されていた政治に専念するようになる。政治の面では,秩序と力を尊重していたが,民衆の正義と自由への渇望を理解し,ギゾーの政府に反対した。叙事詩的な息吹きで生き生きとしている《ジロンド党史》(1847)を書いて民衆に呼びかけ,二月革命への道を切り開いた。48年2月24日には,パリ市庁舎で共和国を宣言,数週間の間にすぎなかったが,臨時政府の首班となった。しかし5月15日の暴動,6月22~26日の騒乱に際して無力であったので,人気は急速に衰え,執行政府の首班はカベニャックとなり,12月10日の大統領選挙では,ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)に完敗して政治の表舞台から姿を消す。51年12月2日のクーデタの後は,それまでの放漫な生活のための膨大な借金を返済するために文筆に専念し,多くの歴史書,自伝的物語,文学講座などを書いて晩年を過ごした。
執筆者:高木 進
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1790~1869
フランスの詩人。『瞑想詩集』(1820年)でロマン派抒情詩人の第一人者となる。七月王政期に政界に出,47年の選挙法改正運動に参加,二月革命臨時政府の外相となる。ついで大統領に立候補し,ルイ・ナポレオンに敗北。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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