ラーマ(英語表記)Rāma

改訂新版 世界大百科事典 「ラーマ」の意味・わかりやすい解説

ラーマ
Rāma

インドの二大叙事詩の一つ《ラーマーヤナ》の主人公。アヨーディヤーを首都とするコーサラ国王ダシャラタの長男で,文武に秀で,ビデーハ国王ジャナカの娘シーターを妻にする。しかし,継母の陰謀のために亡命を余儀なくされ,シーターとともにダンダカの森で生活する。ランカーを首都とする羅刹の王ラーバナに妻を誘拐されるが,神猿ハヌマットと猿の軍隊の支援のもとに,ランカーを攻撃し,ラーバナを殺してシーターを救出する。アヨーディヤーに凱旋した彼は王位に就くが,国民の間にシーターの貞節を疑う声のあるのを知り,心ならずも彼女を捨てる。この悲劇的な英雄の物語はインドの人々にこよなく愛好され,数種のラーマ劇をはじめとする幾多の文芸作品により語り継がれてきた。元来はガンガーガンジス)川中流域に進出したアーリヤ民族が南方に遠征する際に活躍した英雄たちの業績を,ラーマという一人の理想的な偉人の冒険譚に託して伝説化したものと推定されるが,すでに《ラーマーヤナ》のうちで後代に成立したと思われる個所において,彼はビシュヌ神の化身(アバターラ)の一つとみなされている。後世,カースト制を否定したラーマーナンダは,ラーマとシーターの崇拝を中心にして宗教運動を行った。なお,インド神話において〈ラーマ〉と呼ばれる英雄には,このラーマ王子(ラーマチャンドラRāmacandra)のほかに,やはりビシュヌの化身の一つであるパラシュラーマParaśurāma(斧を持つラーマ)と,クリシュナの兄バララーマBalarāmaとがいる。
ラーマーヤナ
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラーマ」の意味・わかりやすい解説

ラーマ(5世)
らーま
Rama V Chulalongkorn
(1853―1910)

タイのバンコク朝第5代の王(在位1868~1910)。タイ国近代化の最大の功労者としてチュラロンコーン大帝とよばれて全国民に敬愛されている。摂政期間中、即位後、アジア各地を巡幸して、ヨーロッパ諸国の植民地統治の実状を視察し、近代国家の実態を学んだ。1873年成年に達すると、ただちに行政改革に着手したが、旧勢力に阻まれて挫折(ざせつ)、時機の到来を待った。1892年、初めて近代的な内閣制度を発足させた。その後、有能な王弟ダムロンDamrongの協力により内政の整備に努め、外に向かっては柔軟な外交政策によって外圧を防いだため、イギリス・フランス両植民地勢力に挟まれながらも、ついにその政治的独立を全うすることができた。

石井米雄


ラーマ(4世)
らーま
Rama Ⅳ Mongkut
(1804―1868)

タイのバンコク朝第4代の王(在位1851~68)。チョムクラウ王が正しいが、幼名にちなんでモンクット王と通称する。父王ラーマ2世の死後、王位を異母兄(ラーマ3世)に譲って僧籍に入り、27年間僧侶(そうりょ)生活を送った。その間、積極的に外国人と交際して意欲的に欧米先進文明の摂取に努め、開明的エリートの中心的存在となった。出家中、復古的仏教改革運動であるタマユット派をおこした。王位につくと、それまでの閉鎖的対外政策を改め、1855年イギリスとの間に「ボーリング条約」を締結したのを手始めに、西洋列強と次々に通商条約を締結して門戸を開いた。5世王チュラロンコーンの家庭教師としてイギリス婦人レオノーウェンスA. H. Leonowensを招聘(しょうへい)した。彼女の自伝『シャム宮廷のイギリス人教師』(1870)などに基づいてミュージカル『王様と私』が脚色された。

[石井米雄]


ラーマ(1世)
らーま
Rama Ⅰ Chaophraya Chakri
(1736―1809)

タイのバンコク朝(チャクリ朝ラタナコーシン朝)の創設者(在位1782~1809)。1782年精神錯乱に陥ったタークシンの後を受けてタイ国王に推挙されると、王宮をトンブリー対岸に移し、ここに新都を建設して、クルンテープ(通称バンコク)と名づけた。アユタヤ朝の繁栄の再興を目ざした王は、まず国民の精神的統合の中核を仏教に求め、経律の「結集(けつじゅう)」によって弛緩(しかん)した仏教サンガの規律を確立し、乱れていた法制の再建を図るため『三印法典』を制定して国内秩序回復の基礎を置いた。王はまた盛んに文芸を奨励した。『ラーマキエン』『イナオ』『サームコック(三国志)』などはこの時代の作品である。

[石井米雄]

『L・サヤマナン著、二村龍男訳『タイの歴史』(1978・近藤出版社)』


ラーマ(7世)
らーま
Rama Ⅶ Prajadhipok
(1893―1941)

タイのバンコク朝第7代の王(在位1925~1935)。ラーマ5世の王子、ラーマ6世の弟にあたる。イギリスのイートン校で自由主義を学び、フランスで近代軍事教育を受けて1924年帰国。即位後は、絶対君主政治を改革して立憲君主政治を実現しようと努めたが、王族重臣の抵抗を受けて失敗した。1932年6月には西欧留学経験者たちが指導した立憲革命を承認し、立憲君主政治を推進しようと望んだが、革命政権の議会政治権力の把握、王党派の失脚、王権の衰退などに失望し、1934年イギリスへ移住した。同国で1935年退位を宣言し、1941年客死した。

[市川健二郎]

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百科事典マイペディア 「ラーマ」の意味・わかりやすい解説

ラーマ

古代インドの伝説上の英雄。《ラーマーヤナ》の主人公。ビシュヌ神の化身で,コーサラ国の王子。理想の人物として描かれ,恋人で後の王妃シーターSitaとともにインド民衆の敬愛を受け続けている。
→関連項目アヨーディヤーカビールトゥルシーダース

ラーマ[1世]【ラーマ】

タイのラタナコーシン朝(バンコク朝)の始祖(在位1782年―1809年)。アユタヤ朝末期の部将プラヤ・タークシンの部下で,名はチャオ・ピア・チャクリといったが,タークシンが王となり,それに従って戦功があったため,タークシンの没後,推されて王位についた。カンボジア攻略,ビルマ(現ミャンマー)との戦争を行った。また首都をトンブリーからバンコクに移し,法典の収集改訂を行い《新法典》を編纂(へんさん)。

ラーマ[5世]【ラーマ】

チュラロンコン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーマ」の意味・わかりやすい解説

ラーマ
Rāma

インドの大叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公。ビシュヌ神の第7の化身として広くインドから東南アジアにわたって崇拝されている。コーサラ国の都アヨーディヤーの王ダシャラタの長子として生れ,ジャナカ王の娘シーターを妻とする。讒言によりシーターと弟ラクシュマナを伴って 14年間の放浪の旅をするはめに陥り,魔王ラーバナにシーターを奪われるが,猿軍の援助を得て激戦の末ラーバナを倒し,シーターを取戻し,アヨーディヤーの王位につく。彼とシーターとの波乱万丈の生涯は古代インドの美的,倫理的理想にあふれ,2人は王族 (クシャトリヤ ) の理想的人格として今日にいたるまでインド民衆の熱狂的尊敬を受けてきた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラーマ」の解説

ラーマ(5世)
Rama Ⅴ

1853〜1910
タイ,チャクリ(バンコク)朝第5代の王(在位1868〜1910)
通称チュラロンコーン。ラーマ4世の子で,イギリス人女性の家庭教師に学ぶ。治世の間,チャクリ改革とも呼ばれる,欧米諸国にならった近代的な行政・司法・徴税制度の確立,陸・海軍の近代化,全国的な郵便・通信事業の導入,鉄道建設など,中央集権的な改革につとめた。対外的には,英・仏の要求に屈して,治外法権の部分的撤廃と引き換えに,1904年,現在の国境以東をフランスに,以南をイギリスに割譲した。タイの近代化に大きく貢献し,国民からは大王と呼ばれた。

ラーマ(4世)
Rama Ⅳ

1804〜68
タイ,チャクリ(バンコク)朝の第4代国王(在位1851〜68)
通称モンクット王。父王没後27年間僧籍に入り,また西欧の文化や言語にも通じた。即位後,列強の圧力のもと開国に踏み切る。1855年イギリスと通商航海条約(ボウリング条約)を締結したのをはじめ,アメリカ・フランス・ドイツなどと不平等条約を結んだ。また,次王によって開始される近代化改革の基礎をつくった。

ラーマ(1世)
Rama Ⅰ

1735〜1809
タイのチャクリ朝の創始者(在位1782〜1809)
アユタヤ朝の末期,戦功によりチャクリの称号を授けられた。みずから王位につきラーマ1世と称し,首都をバンコクに移す。このためチャクリ朝をバンコク朝ともいう。王は外征のほか新法典も作成。

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世界大百科事典(旧版)内のラーマの言及

【タイ】より

… 現在のタイの核心域をなすメナム川流域は,11世紀以来アンコール朝の支配下にあったが,13世紀の前半にいたり,二つのタイ族〈ムアン〉連合軍が,クメール族太守支配下のスコータイを攻略し,ここにタイ族最初の国家スコータイ朝を建設した。スコータイの版図は,第3代の王ラーマカムヘン(在位1275ころ‐99ころか1317ころ)のとき最大規模に達した。同王の碑文によると,その勢力は,北はルアンプラバン,東はビエンチャン,西はペグー,南はナコーンシータマラートにまで及んだが,王の死後,急速に衰微した。…

【タイ】より

… 現在のタイの核心域をなすメナム川流域は,11世紀以来アンコール朝の支配下にあったが,13世紀の前半にいたり,二つのタイ族〈ムアン〉連合軍が,クメール族太守支配下のスコータイを攻略し,ここにタイ族最初の国家スコータイ朝を建設した。スコータイの版図は,第3代の王ラーマカムヘン(在位1275ころ‐99ころか1317ころ)のとき最大規模に達した。同王の碑文によると,その勢力は,北はルアンプラバン,東はビエンチャン,西はペグー,南はナコーンシータマラートにまで及んだが,王の死後,急速に衰微した。…

【ラタナコーシン朝】より

…タイの現王朝。トンブリー朝のタークシン王が精神錯乱に陥った後を受けて,軍の最高司令官チャクリ(のちのラーマ1世)が1782年バンコクを首都として創始した。始祖の名にちなんでチャクリ朝またはバンコク朝とも呼ばれる。…

【宮廷音楽】より

…日本の例としては,遊女から習った今様(いまよう)を廷臣に教えた後白河法皇の行為が挙げられる。また,19世紀中ごろのタイのラーマ4世は,禁止していた宮廷の舞踊,演劇,音楽の模倣を許可する一方,宮廷音楽家が地方の音楽家から技術を学ぶのを奨励したともいわれている。 正統性の意識は,宮廷音楽を自国の音楽で構成するとは限らなかった。…

【モンクット】より

…在位1851‐68年。プラ・チョームクラウ王,ラーマ4世Rama IVとも呼ぶ。最高位の王位継承権をもちながら,政治的理由で位を異母兄に譲り,王位につくまで27年の僧院生活を送った。…

【チュラロンコン】より

…タイ国王ラーマ5世。在位1868‐1910年。…

【ラタナコーシン朝】より

…タイの現王朝。トンブリー朝のタークシン王が精神錯乱に陥った後を受けて,軍の最高司令官チャクリ(のちのラーマ1世)が1782年バンコクを首都として創始した。始祖の名にちなんでチャクリ朝またはバンコク朝とも呼ばれる。…

【ワチラウット】より

…在位1910‐25年。一般にラーマRama6世と呼ばれる。歴代国王中最初の留学経験者。…

【プラチャーティポック】より

…在位1925‐35年。一般にラーマ7世Rama VIIと呼ばれる。1906年に13歳でイギリスに留学,主として軍事学を修める。…

【ラタナコーシン朝】より

…タイの現王朝。トンブリー朝のタークシン王が精神錯乱に陥った後を受けて,軍の最高司令官チャクリ(のちのラーマ1世)が1782年バンコクを首都として創始した。始祖の名にちなんでチャクリ朝またはバンコク朝とも呼ばれる。…

【インド文学】より

…ベーダ文学は時代の推移に伴い,神話的のものから神学的,哲学的,祭儀的となった。
【二大叙事詩とプラーナ】
 インドの国民的二大叙事詩《マハーバーラタ》と《ラーマーヤナ》は,古代文学と中古文学の中間にあってインド文学史上重要な地位を占め,その影響は国外にまで及んでいる。《マハーバーラタ》はバラタ族に属するクルとパーンドゥの2王族間の大戦争を主題とする大史詩で,18編10万余頌の本文と付録《ハリ・バンシャHarivaṃśa》から成り,4世紀ころに現形を整えるまでに数百年を経過したものと思われ,その間に宗教,神話,伝説,哲学,道徳,制度などに関するおびただしい挿話が増補されて全編の約4/5を占めているが,それらのうち宗教哲学詩《バガバッドギーター》,美しいロマンスと数奇な運命を語る《ナラ王物語》,貞節な妻《サービトリー物語》などは最も有名である。…

【ダシャハラー】より

…これはドゥルガー女神が,あらゆる男神たちから武器を贈られて,神々をも苦しめた水牛の魔マヒシャを殺した故事によるという。またこの時期はラーマが羅刹ラーバナを倒した時ともいわれ,9日目のしめくくりの日には,ラーマを記念した祭りを行う場合が多い。この日は〈ラーマリーラー〉と呼ばれ,《ラーマーヤナ》を朗誦し,素人劇団によるラーマ劇が演じられ,夜にはラーバナとその弟の巨大な人形が焼かれる。…

【ビシュヌ派】より

権化とも訳される)ということが強調されている。後世有名なのは〈10化身〉説で,それによれば,ビシュヌはこの世に,魚,亀,野猪,人獅子,小人,パラシュラーマ,ラーマ,クリシュナ,ブッダ,カルキとして現れるという。なかでもラーマとその妃シーター,クリシュナとその妃ラーダーは,しばしば文芸の対象になり,広くインド全土で熱烈に崇拝されてきた。…

【ラーマーナンダ】より

…インドの宗教家。シュリーバイシュナバ派のラーマーヌジャ派系統に属し,1434年ころにワーラーナシーに来てラーマ崇拝,すなわちクリシュナ,ラーダーに対してではなく,ラーマとシーターに対する純粋な信仰を広めた。シュリーバイシュナバ派が下層階級に同情をもちつつもカースト制度を是認していたのに反対し,その差別を撤廃した。…

※「ラーマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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