クシャトリヤ(読み)くしゃとりや(英語表記)Katriya

精選版 日本国語大辞典 「クシャトリヤ」の意味・読み・例文・類語

クシャトリヤ

  1. 〘 名詞 〙 ( [サンスクリット語] Kṣatriya ) インドカーストで、上から二番目階級。王族および武士からなる。刹帝利
    1. [初出の実例]「印度は夙(はや)くから階級の差別社会実際にも個人の感情にも成立ってゐて、婆羅門(ばらもん)種、刹帝利種(クシャトリヤ種、即ち王種)〈略〉四姓が儼として認められ」(出典:プラクリチ(1932)〈幸田露伴〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クシャトリヤ」の意味・わかりやすい解説

クシャトリヤ
くしゃとりや
Katriya

古代インドで成立した四つの社会階層(バルナ)の一つで、王族・武人階層。

 バラモンが祭式を執行するのに対して、クシャトリヤは統治、支配を分担する世俗的権力者とされる。『マヌ法典』では、社会が王を欠いたために混乱に陥ったとき、「主」が王を創造したとし、王の第一の義務として人民の保護を強調している。このような、精神的権威と世俗的権力の早期の段階における分離、分担をインド古代国家・社会の特徴とみなす学説もある(フランスの文化人類学者ルイ・デュモン)。しかし、実際には、古代インドの諸国家の王族にはクシャトリヤとはみなされていない家系も多く、クシャトリヤがどこまで閉鎖的な身分階層であったのか、かならずしも明確ではない。王族がクシャトリヤであることを強調するようになるのは、むしろ、8、9世紀以降の中世になってからで、このころに形成され始めたラージプート・カースト諸集団が北インド各地に政権を樹立すると、古代のクシャトリヤにさかのぼる家系図をつくるようになった。インド中世において、このラージプートだけは広くクシャトリヤと認められたが、他の地方の同様な武人的カーストでクシャトリヤと認められたカーストは存在しない。中世には、クシャトリヤのいない地方の方が多かったのである。

[小谷汪之]

『山崎元一著『古代インドの王権と宗教――王とバラモン』(1994・刀水書房)』『ルイ・デュモン著、田中雅一・渡辺公三訳『ホモ・ヒエラルキクス――カースト体系とその意味』(2001・みすず書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「クシャトリヤ」の意味・わかりやすい解説

クシャトリヤ
kṣatriya

インドの4バルナ種姓)制度において第2位に位置する王侯・武士階級の呼称。《マヌ法典》などのヒンドゥー法典の定めるところによると,このバルナの義務は,自分のための祭式挙行,ベーダ聖典の学習,布施(以上はバラモン,バイシャの両バルナと共通),および政治や戦闘による人民の保護である。しかし,インド史上に出現した諸王朝は必ずしもクシャトリヤ・バルナに属したとは限らない。例えば,ナンダ朝はシュードラ王朝として知られ,マウリヤ朝に続くシュンガ朝はバラモン王朝である。また,土着の諸種族や外来民族が政権を獲得したのちクシャトリヤ出身と自称し,やがてその主張が認められることもあった。そうした例としては,5世紀以後,西インド,中央インドに割拠したラージプート族の諸王朝が名高い。
カースト
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クシャトリヤ」の解説

クシャトリヤ
kṣatriya

インドのヴァルナで第2位の王族・戦士階級。後期ヴェーダ時代に軍事と政治の独占を通じて形成された支配層である。古典では,クシャトリヤの使命は布施と祭祀のほか人民の守護に置かれた。ただインドの諸王朝には,バラモン王朝やシュードラ王朝の例も散見される。8世紀頃から土着や外来の諸地方王侯は,みずからのヴァルナ的正統性を主張するため,クシャトリヤやラージプート出身をしばしば自称した。中世の諸王はクシャトリヤとして正統的秩序の確立に努め,これがヒンドゥー文化と地方文化の融合を促進した。イギリス植民地支配下では,600足らずの藩王国が内政権を認められていたが,独立後は消滅した。今日では各地で政治的・経済的に有力な土地所有カーストもクシャトリヤを称することが多い。

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百科事典マイペディア 「クシャトリヤ」の意味・わかりやすい解説

クシャトリヤ

インドにおけるバルナ(種姓)の一つ。王族・武士階級。漢字では刹帝利と書く。古代インドにおいては行政,司法,外交など政務一般,また国民を外敵から守ることが義務とされた。→カースト
→関連項目プルシャ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クシャトリヤ」の意味・わかりやすい解説

クシャトリヤ
Kṣatriya

インド社会のカーストの第2の種姓。元来は王族や武士の階級であった。王のもとに統率され,軍事や国防を専門に司り,一般人民の保護にあたった階級で,共同社会もその平和を維持するためにこの階級の機能に依存した。主としてインド西部に住むラージプートおよび地主階級に独占されてきた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「クシャトリヤ」の解説

クシャトリヤ

カースト,⇨ ヴァルナ

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世界大百科事典(旧版)内のクシャトリヤの言及

【インド[国]】より

…この報告書には合わせて3743の集団が後進的であるとして記載されている。 マンダル報告書は突如として現れたものではなく,バラモンやクシャトリヤほど上層ではないが,指定カーストや指定部族ほど下層でもなく,カースト制度の中間に位置している諸ジャーティが,独立後に普通選挙権を得たことによって自らの政治的な力を意識しつつ,指定カーストや指定部族なみの特権を要求したことに対応するものであった。中間諸ジャーティへの保護措置は南インドや西インドではすでに独立以前にもみられ,そのきっかけを作ったマドラス州(当時)の反バラモン運動は有名である。…

【カースト】より

…インドではカースト集団を〈生まれ(を同じくする者の集団)〉を意味するジャーティjātiという語で呼んでいる。 一方,日本ではカーストというとインド古来の四種姓,すなわち司祭階級バラモン,王侯・武士階級クシャトリヤ,庶民(農牧商)階級バイシャ,隷属民シュードラの意味に理解されることが多い。インド人はこの種姓をバルナvarṇaと呼んできた。…

【黄】より

…このように黄は地の中央を支配する天子を象徴する色となり,たとえば天子の車を黄屋,天子の鉞(まさかり)を黄鉞,宮城の門を黄門または黄闥と呼んだ。インドでは人民の4階級(カースト)を表す4色(白赤黄黒)のうち黄はクシャトリヤ(王侯・武士階級)の色である。これは支配関係にある異民族の肌色から来たものである。…

【グルジャラ族】より

…5世紀ごろフン(エフタル)族などとともに中央アジア方面から西インドに入って定着し,インド化したとみられているが,この外来説に反対し土着説を唱える史家も多い。6世紀中ごろから有力となり,クシャトリヤ(ラージプート)と称して西インド各地に数王国を建設した。この種族に属し8世紀前半マールワー地方に興ったプラティーハーラ朝は,9世紀初めガンガー(ガンジス)川流域に進出してカナウジに遷都し,北インドに大王国を建設した(11世紀初めまで続く)。…

【バルナ】より

…(1)バラモン 他人のための祭式執行,ベーダ聖典の教授,布施の受納。(2)クシャトリヤ 政治や戦闘による人民保護。(3)バイシャ 農業,牧畜,商業,金貸。…

※「クシャトリヤ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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