リチャード(読み)りちゃーど(英語表記)Richard Ⅰ

デジタル大辞泉 「リチャード」の意味・読み・例文・類語

リチャード(Richard)

英国(イングランド)王。
(1世)[1157~1199]在位1189~1199。ヘンリー2世の三男。即位後、第3回十字軍に出征。帰国後、フランスでフィリップ2世の軍と交戦して戦死。勇敢・寛大で、中世騎士の典型とされた。獅子心王。
(3世)[1452~1485]在位1483~1485。兄エドワード4世の死後、その子エドワード5世を廃位して即位したが、チューダー家のヘンリー(のちのヘンリー7世)と戦って敗死。ヨーク家は断絶し、薔薇戦争も終結。

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精選版 日本国語大辞典 「リチャード」の意味・読み・例文・類語

リチャード

  1. ( Richard )
  2. [ 一 ] ( 一世 ) プランタジネット朝イギリス王(在位一一八九‐九九)。獅子心王。第三回十字軍に出征。帰国後、フランスでフィリップ二世の軍と交戦して戦死。勇敢、寛大で中世騎士の典型とされた。(一一五七‐九九
  3. [ 二 ] ( 二世 ) プランタジネット朝のイギリス王(在位一三七七‐九九)。エドワード黒太子の子。議会を強化して貴族勢力を抑えたが、のちに専制化したため、不平分子を糾合したランカスター家のヘンリーに捕えられ、議会も廃位を決定。かわりにヘンリー四世が即位してランカスター朝を創立。リチャードは暗殺されたといわれる。(一三六七‐一四〇〇
  4. [ 三 ] ( 三世 ) ヨーク朝最後のイギリス王(在位一四八三‐八五)。エドワード四世の末弟。兄王の死後、その子エドワード五世およびその弟をロンドン塔に幽閉して王位についたために国民の支持を失い、八五年、後のヘンリー七世の来攻にあって敗北。(一四五二‐八五

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百科事典マイペディア 「リチャード」の意味・わかりやすい解説

リチャード[1世]【リチャード】

プランタジネット朝イングランド王(在位1189年―1199年)。ヘンリー2世の子。第3回十字軍に参加,エジプトのサラディン(サラーフ・アッディーン)と戦って勇名をあげ,獅子(しし)心王the Lion Heartedの異名を得た。帰途ドイツで捕らえられ,身代金を払って帰国。フランス国王フィリップ2世と交戦中戦死。
→関連項目アイバンホーハインリヒ[獅子公]リマソル

リチャード[2世]【リチャード】

プランタジネット朝最後のイングランド王(在位1377年―1399年)。エドワード黒太子)の子。ワット・タイラーの乱を鎮圧したが,専制的になったため反抗を招き,ランカスター家のヘンリー(後のヘンリー4世)に廃され,殺害された。

リチャード[3世]【リチャード】

ヨーク朝最後のイングランド王(在位1483年―1485年)。エドワード4世の弟。兄の死後即位した甥(おい)のエドワード5世を廃し,自ら即位。エドワード5世とその弟リチャードをロンドン塔で殺害。チューダー家のヘンリー(後のヘンリー7世)のためボズワースの戦場で敗死し,ばら戦争が終結した。
→関連項目ヨーク朝

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リチャード」の意味・わかりやすい解説

リチャード(1世)
りちゃーど
Richard Ⅰ
(1157―1199)

プランタジネット朝2代のイギリス王(在位1189~99)。異名獅子(しし)心王。ヘンリー2世の三男。1169年アキテーヌ公領を受ける。73年兄ヘンリーと弟ジェフリーの父王に対する反乱に加担。83年リチャードの敏腕を懸念した兄ヘンリーの攻撃を受けたが、兄の死で彼に王位継承権が移った。しかし父ヘンリー2世は彼を遠ざけたので、彼はフランス王フィリップ2世と連合して、89年父王を逮捕し、王位の継承を認めさせた。同年父王が没し、リチャード1世として即位、同年末第3回十字軍に参加した。途中シチリアでフィリップ2世と不和となったが、パレスチナにおいて十字軍兵士を指揮して敵王サラディンと戦いエルサレムに迫った。しかし十字軍兵士の分裂とイギリスにおける弟ジョンの暗躍のためサラディンと講和し、92年帰途についた。同年末ウィーンでオーストリア公レオポルトに捕らえられ、93年神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡された。イギリスでは総額10万ポンドの身代金(みのしろきん)が徴収されて王は釈放され、94年ようやく帰国。その後も大陸領経営に専念し、ガイヤール城を築いてフィリップ2世と対峙(たいじ)したが、99年リモージュ辺で戦傷死した。治世大部分を外国で過ごし、イギリス国民には戦費調達のため重税を課したが、イギリスには、それに耐えうる立派な行政、財政組織が発展した。

[富沢霊岸]


リチャード(3世)
りちゃーど
Richard Ⅲ
(1452―1485)

ヨーク朝最後のイギリス王(在位1483~85)。兄エドワード4世が王位につくとグロスター公に叙せられて北部イングランドの統監となり、治績をあげた。また、1483年4月兄の子エドワード5世が即位すると、始めはよく王を補佐したが、6月になると、王が嫡出でないことを理由に廃位し、自ら戴冠(たいかん)して王位に上った。王はまもなく、廃位したエドワード5世とその弟(ヨーク公)をロンドン塔で殺害させた。リチャードは、王位簒奪(さんだつ)の不人気を挽回(ばんかい)するため秩序の維持に努め、貿易をおこして財政改革を志すなど国政に精励したが、十分な成果をあげるまもなく、85年チューダー家のヘンリー(後の7世)とボズワースで戦い、敗死した。かくてランカスター、ヨーク両王家が対抗したばら戦争は終結し、チューダー朝が開かれた。リチャードはシェークスピアの史劇では酷薄非情の悪人に描かれ、その評価は大筋で正しいが、史実と一致しない部分がある。

[松垣 裕]


リチャード(2世)
りちゃーど
Richard Ⅱ
(1367―1400)

プランタジネット朝最後のイギリス王(在位1377~99)。エドワード黒太子の子。祖父エドワード3世の死後即位。未成年の間、叔父ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントらに補佐された。1381年のワット・タイラーの乱を年少ながら反徒たちとの会見に応じ、勇気ある行動をもって鎮圧。しかしその後専制的にふるまい、86年ジョン・オブ・ゴーントのスペイン遠征計画などはでな外交を許して国税の浪費が目だち、その寵臣(ちょうしん)政治とともに88年の議会で批判された。89年自立して親政を宣言し貴族らとの融和を図ったが、97年神聖ローマ皇帝の候補に上ったことからふたたび専制的となり、99年アイルランド遠征中、ジョン・オブ・ゴーントの子でランカスター公ヘンリー(後のヘンリー4世)の挙兵にあい、逮捕され退位させられた。

[富沢霊岸]

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改訂新版 世界大百科事典 「リチャード」の意味・わかりやすい解説

リチャード
Timothy Richard
生没年:1845-1919

イギリスの宣教師。中国名は李提摩太ウェールズに生まれ,英国バプティスト伝道協会に属した。1870年(同治9)に山東省で伝道を開始したが76年(光緒2)に大飢餓を経験し,その救済運動を通じて政治改革の必要を痛感して中国官僚に建言するようになった。洋務派官僚に一定の影響をおよぼしたが,さらに体系的に近代化を促進するため広学会に加入して欧米著述の翻訳につとめた。この結果,変法運動に積極的な影響を与えたが,変法派の挫折以後は政治に消極的になった。漸進的な改革を主張した彼は孫文らの革命派には共感を抱けず,1916年には中国を離れた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リチャード」の意味・わかりやすい解説

リチャード[コーンウォール]
Richard

[生]1209.1.6. ウィンチェスター
[没]1272.4.2. バーカムステッド城
イングランド王ジョンの二男。1227年コーンウォール伯。兄のイングランド王ヘンリー3世にしばしば反抗し,反国王派貴族の一中心であった。1236年十字軍に従軍し武勲をあげた。対外的には大空位時代のドイツ皇帝の継承をめぐる紛争に介入し,皇帝候補者として名のりをあげ,1257年にはローマ王に選出されたが,ドイツに勢力を広めようという野望は実現しなかった。1263年バロン戦争のときには,兄ヘンリー3世を助けたが,王とともに捕えられ,1265年王軍の勝利により解放。1271年息子ヘンリーが暗殺されて致命的な打撃を受け,翌 1272年死亡した。

リチャード
Richard, Thimothy

[生]1845
[没]1919.4.17.
イギリスのバプテスト派宣教師。中国名は李提摩太。中国伝道に尽力し,山東,山西地方の飢饉の際には住民の救済に努力した (1876~77) 。北京でキリスト教および一般知識普及会 Society for the Diffusion of Christian and General Knowledgeの主事となる (91) 。 1891年上海で纏足禁止の運動を起し,また山西大学を設立してその学長をつとめた。

リチャード

「ヨーク(公)」のページをご覧ください。

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367日誕生日大事典 「リチャード」の解説

リチャード

生年月日:1209年1月6日
イングランド国王ジョンの第2子
1272年没

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世界大百科事典(旧版)内のリチャードの言及

【プランタジネット朝】より

…ヘンリー2世からリチャード2世に至る8代245年に及ぶイングランドの王朝。1154‐1399年。…

※「リチャード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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