ドイツの機械製作者。ハンググライダーを開発して自ら飛んだ先駆者。プロイセン王国のアンクラムに生まれる。鳥の飛行にあこがれ、ベルリンで機械工場を経営してかなり成功したあとに飛行の基本的実験を開始した。1889年『飛行術基礎としての鳥の飛行』を出版したが、回転腕による曲面の空気力の考察などは現代でもなお重要な資料である。同じ年から固定翼グライダーの製作を始め翌1890年まで続けたが成功しなかった。1891年からグライダーに改良を加えながらベルリン付近で飛行実験を行った。1893年には飛行場所を移し、ベルリンから鉄道で1時間、ドッセ河畔ノイシュタット南方の丘で実験した。1894年には自分の工場に近いリヒターフュルデに、いまも残る人造丘を築いて練習に使った。彼のグライダーはハング式で、搭乗者は腕で機体につかまり、つり下げた下半身を前後左右に振って制御した。機体が右へ傾いたときは下半身を左へ振って回復するが、これは右へ足を振り出したくなる本能とは反対の操作であった。1896年の8月9日、標準型単葉(複葉もつくった)グライダーで練習中突風のため墜落し、翌日ベルリンの病院で死んだ。リリエンタールは終生スポーツ的な立場で滑空し、炭酸ガス圧の動力も考えてはいたが、滑空距離を伸ばすための羽ばたきに使う計画であった。
[佐貫亦男]
ドイツの航空先駆者。幼時から鳥の飛行に興味をもち,成人してから弟グスタフGustavとともに回転腕により翼型の基礎研究を行って,その結果を1889年に《航空術の基礎としての鳥の飛行》として出版した。彼はそのころベルリンのリヒターフェルデの小鉄工所主で,みずからグライダーを飛ばしたのは91年から没年96年までの約5年間である。彼はその間に10種以上のグライダーを製作し,総計約2000回の滑空飛行を行った。彼の目的はスポーツ的なもので,その販売,あるいは実用まで考えなかった。滑空距離を延ばすため,炭酸ガスボンベからの圧力でシリンダーとピストンを作動させ,羽ばたき飛行をする計画を立てていたが,グライダーで墜死した。
執筆者:佐貫 亦男
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…この迷いから脱して,揚力は固定した翼により,また推進力はプロペラにより,それぞれ別々に発生させるようにしたことが成功の鍵であった。ドイツのO.リリエンタールは,1891年固定翼つきのグライダーで滑空実験を開始し,各国の研究者がこれに続いた。この未開の分野の開拓のため,リリエンタールをはじめ,多くの人が墜落して命を失った。…
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[歴史と傾向]
航空機の事故によって人が死亡した世界最初の例は,1785年6月15日にフランスのピラートル・ド・ロジエPilâtre de Rozierらが気球によるイギリス海峡横断を企てた際,空中爆発を起こして墜落した事故といわれている。空気より重い航空機では,1896年8月9日にドイツのベルリン近郊においてグライダーで飛行中墜落したO.リリエンタールの事件(重傷,翌日死亡)で,また,飛行機事故としては,1908年9月17日にアメリカ陸軍フォート・マイヤー基地で発生したライト・フライヤー型機の墜落(操縦のO.ライト負傷,同乗のT.セルフリッジ中尉死亡)が最初であった。ちなみに日本最初の死亡事故は,13年3月28日に所沢で発生した陸軍ブレリオ機の空中分解による墜落事故である(木村鈴四郎,徳田金二両中尉が死亡)。…
※「リリエンタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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