出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
レスピーギ
れすぴーぎ
Ottorino Respighi
(1879―1936)
イタリア近代の代表的作曲家。生地ボローニャの音楽学校でビオラ、作曲などを学んだ(1891~99)のち、1900年にペテルブルグ歌劇場のビオラ奏者となり、この地でリムスキー・コルサコフの音楽に感銘を受け、作曲と管弦楽法を彼に学んだ。レスピーギの華麗な管弦楽法は、まず師リムスキー・コルサコフ、そしてR・シュトラウスやドビュッシーの影響を受けている。13年、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授となり、のち院長も務め、同地に没した。作曲はオペラ、協奏曲、室内楽、歌曲など多彩だが、ローマの古い音楽的伝統に根ざした彼の豊かな手法は、交響詩の三部作『ローマの泉』(1914~16)、『ローマの松』(1924)、『ローマの祭』(1928)にみごとに結実している。
[船山信子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
レスピーギ
Respighi, Ottorino
[生]1879.7.9. ボローニャ
[没]1936.4.18. ローマ
イタリアの作曲家。ボローニャで音楽を学び,のちペテルブルグでリムスキー=コルサコフ,ベルリンで M.ブルッフに師事,1913年からローマのサンタ・チェチリア音楽院の作曲教授,24~26年は院長をつとめた。古いイタリア音楽を研究し,抒情的で描写的な組曲,オペラ,管弦楽曲などを作曲した。主作品はローマに取材した交響詩『ローマの泉』 (1917) ,『ローマの松』 (24) ,『ローマの祭り』 (29) の三部作,『リュートのための古代舞曲とアリア』 (16,23,31) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
レスピーギ
(Ottorino Respighi オットリーノ━) イタリアの作曲家。ボローニャの音楽学校に学んだのち、リムスキー=コルサコフとブルッフに師事。流麗な抒情に富む純粋器楽曲や交響詩で、二〇世紀初頭のイタリア音楽に新風を吹き込んだ。
代表作は、交響詩三部作「
ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭」。(
一八七九‐一九三六)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
レスピーギ
イタリア・ボローニャ生まれ。モスクワでリムスキー・コルサコフという管弦楽法の大家に教えを受けたこともあり、その流れを受け継いで華麗なオーケストラ作品を残した。特にローマ三部作と呼ばれる「ローマの噴水・ ...続き
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
レスピーギ(Ottorino Respighi)
[1879~1936]イタリアの作曲家。華麗な管弦楽法により、近代イタリア音楽の方向づけに寄与した。代表作は交響詩三部作「ローマの泉」「ローマの松」「ローマの祭」など。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
レスピーギ【Ottoriano Respighi】
1879‐1936
イタリアの作曲家。1891‐99年ボローニャの音楽学校でバイオリンとビオラを修めた後,さらに作曲とピアノを学ぶ。1900年よりペテルブルグの帝室歌劇場第1ビオラ奏者を務め,かたわらリムスキー・コルサコフに師事して強い影響を受けた。室内楽やピアノの演奏活動をしながら09年までベルリンに滞在。13年ローマのサンタ・チェチリア音楽院作曲科教授に迎えられ,24‐26年院長を務めた後も生涯同音楽院にとどまった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報