レスピーギ

デジタル大辞泉 「レスピーギ」の意味・読み・例文・類語

レスピーギ(Ottorino Respighi)

[1879~1936]イタリアの作曲家。華麗な管弦楽法により、近代イタリア音楽の方向づけに寄与した。代表作交響詩三部作「ローマの泉」「ローマの松」「ローマの祭」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「レスピーギ」の意味・読み・例文・類語

レスピーギ

  1. ( Ottorino Respighi オットリーノ━ ) イタリアの作曲家。ボローニャの音楽学校に学んだのち、リムスキー=コルサコフブルッフ師事。流麗な抒情に富む純粋器楽曲や交響詩で、二〇世紀初頭のイタリア音楽に新風を吹き込んだ。代表作は、交響詩三部作「ローマ噴水」「ローマの松」「ローマの祭」。(一八七九‐一九三六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「レスピーギ」の意味・わかりやすい解説

レスピーギ

イタリアの作曲家。生地ボローニャの音楽学校でバイオリンビオラを修め,またG.マルトゥッチ〔1856-1909〕らに作曲を学ぶ。1900年ペテルブルグの帝室歌劇場でビオラ奏者となり,リムスキー・コルサコフに管弦楽法を師事。1913年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授に就任,1924年―1926年の院長時代を含め生涯同音楽院で活動した。《ローマの泉》(1916年),《ローマの松》(1924年),トスカニーニにより初演された《ローマの祭》(1928年)の交響詩三部作,ディアギレフ委嘱によるバレエ音楽《風変わりな店》(1919年,振付L.マシン)などの色彩豊かな管弦楽作品で名声を確立。20世紀前半のイタリアで最も国際的に知られる管弦楽作曲家となった。その後はイタリアの音楽遺産への関心を深め,バイオリンと弦楽オーケストラのための《グレゴリオ聖歌風協奏曲》(1921年),モンテベルディフレスコバルディの音楽による編曲作品などを残した。ほかにオペラ歌曲など。→カセラ/H.ハンソンピツェッティマリピエロ
→関連項目印象主義

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「レスピーギ」の意味・わかりやすい解説

レスピーギ
Ottorino Respighi
生没年:1879-1936

イタリアの作曲家。1891-99年ボローニャの音楽学校でバイオリンとビオラを修めた後,さらに作曲とピアノを学ぶ。1900年よりペテルブルグの帝室歌劇場第1ビオラ奏者を務め,かたわらリムスキー・コルサコフに師事して強い影響を受けた。室内楽やピアノの演奏活動をしながら09年までベルリンに滞在。13年ローマのサンタ・チェチリア音楽院作曲科教授に迎えられ,24-26年院長を務めた後も生涯同音楽院にとどまった。モンテベルディの作品をはじめ多くのイタリアの古い作品の編曲をしていることにもうかがえるように,彼の作品は古来の伝統に根ざしながら,一方R.シュトラウスや印象主義などの影響のもとに,巧みな管弦楽法によって絵画的に描き出すことに特徴がある。代表作である交響詩《ローマの噴水》(1916),《ローマの松》(1924),《ローマの祭》(1928)とならんで,管弦楽曲《ボッティチェリの3枚の絵》《リュートのための古代舞曲とアリア》,合唱曲《キリスト降誕のためのラウダ》,多くの歌曲,オペラ,室内楽曲を残している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「レスピーギ」の解説

レスピーギ

イタリア・ボローニャ生まれ。モスクワでリムスキー・コルサコフという管弦楽法の大家に教えを受けたこともあり、その流れを受け継いで華麗なオーケストラ作品を残した。特にローマ三部作と呼ばれる「ローマの噴水・ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android