イギリスのロンドンにおいて締結された諸条約。近代の外交史のうえで、ロンドンで締結された条約はかなり多い。これは、イギリスが19世紀から20世紀の前半にかけて、国際政治上の比重が高く、ロンドンが多くの国際会議の議場となったことを反映している。ここでは、ロンドンで締結された条約のうち、歴史的に重要なものをあげる。
(1)1827年7月6日、イギリス、フランス、ロシアの間に結ばれたギリシア独立戦争に関する条約。3国は共同して、ギリシア問題の調停をトルコに申し出るが、トルコがこの調停を拒否した場合は、武力によってギリシア、トルコ両交戦国に休戦を強制することを約した。トルコはこれを拒否したため、3国は10月、ナバリノの海戦でトルコ・エジプト連合艦隊を全滅させた。(2)1830年、ベルギーの独立問題に関して、イギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、ロシア5か国がロンドンに国際会議を開いて、12月20日、議定書を作成してベルギーの独立を認め、ついで翌31年1月20日および同月27日の議定書によって、ベルギーを永世中立国とし、オランダとベルギーの境界について定めた。31年10月24日、境界を改定した「二十四か条」をロンドン会議が決議し、同年11月15日ベルギーとの間にロンドン条約を結んだ。39年4月19日に至ってオランダはこのロンドン条約を認めた。(3)1834年4月22日、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルの間に結ばれたもの。スペインのカルリスタ戦争について、ドン・カルロスの王位要求に反対し、ポルトガルについてはドン・ミゲルの王位要求に反対した。(4)1840年7月15日、イギリス、ロシア、オーストリア、プロイセンの間に結ばれたもの。エジプトの太守メフメット・アリーに対して、北部シリア、クレタ島、メッカ、メジナをトルコに返還することを求めた。(5)1841年7月13日、イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセン、フランス、トルコの間に結ばれたもの。ダーダネルス、ボスポラス両海峡において、平時の外国軍艦の通過を禁止した。海峡条約ともいう。(6)1852年5月8日、イギリス、オーストリア、フランス、プロイセン、ロシア、スウェーデンおよびデンマークの間に署名されたシュレスウィヒ・ホルシュタインに関する議定書。シュレスウィヒ、ホルシュタイン両公国の不可分と独立などを承認した。(7)1867年5月11日、イギリス、フランス、イタリア、プロイセン、オーストリア、ロシア、ベルギーの間に結ばれたもの。ルクセンブルクの独立と永世中立を規定した。(8)1913年5月30日、バルカン同盟諸国とトルコとの間に結ばれたもの。第一次バルカン戦争に終結を与えた講和条約で、これによって、トルコはエーゲ海のエノスから黒海のミディアを結ぶ線以西のバルカン半島の領土およびクレタ島を放棄し、コンスタンティノープル周辺の小地域のほかは、ヨーロッパにおける領土を失った。(9)第一次世界大戦中の1915年4月26日、イギリス、フランス、ロシア、イタリアの間に結ばれた秘密条約(正式の署名は5月9日)。これによって、イタリアは戦勝の場合にダルマチア、トレンティーノ地方などの領土獲得を約され、翌月イギリス、フランス側にたって参戦した。(10)1930年(昭和5)4月22日、アメリカ合衆国、イギリス、日本、フランス、イタリアの間に成立した海軍の軍備制限に関する条約。(11)1936年3月25日、アメリカ合衆国、イギリス、フランス間に成立した海軍軍備制限に関するもの。これは、1930年のロンドン条約が5年間の暫定的なものとして成立したのを受けて、改めて軍備制限を問題としたものであるが、艦船の定義など実効のないものであった。
[斉藤 孝]
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ロンドンで締結された条約は近代史上数多いので,主要なものをあげる。
①〔1827〕1827年7月,イギリス,フランス,ロシアの間に結ばれた,ギリシアの独立戦争支持に関するもの。
②〔1831〕1831年10月,イギリス,フランス,ロシア,プロイセン,オーストリアとベルギーの間に結ばれた,ベルギーの永世中立国としての地位を規定したもの。
③〔1840〕1840年7月,エジプトのムハンマド・アリーを牽制するため,イギリス,ロシア,プロイセン,オーストリアの間に結ばれた同盟条約。
④〔1867〕1867年5月締結されたルクセンブルクの永世中立国としての地位を規定したもの。
⑤〔1871〕1871年3月,イギリス,プロイセン,オーストリア,フランス,イタリア,ロシア,トルコの間に結ばれたロシアの黒海再武装化承認,ダーダネルス,ボスフォラス両海峡航行に関するもの。
⑥〔1913〕1913年5月結ばれた第1次バルカン戦争の講和条約。
⑦〔1915〕1915年4月,イギリス,フランス,ロシア,イタリアの間に結ばれた秘密条約。イタリアの参戦の代償として,ダルマツィア,南ティロルなどの領有を約束した。
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…また油汚染の調査については,ユネスコに属する政府間海洋委員会と世界気象機構によって計画が採択され,75年から関係各国で調査が始められた(日本では海上保安庁と気象庁が実施)。油のほか廃棄物などを含めた海洋投棄の規制に関しては,72年ロンドンで締結された〈廃棄物その他の物質の投棄による海洋汚染の防止に関する条約〉(通称ロンドン条約)があり,投棄を禁止する物質として,(1)有機ハロゲン化合物,(2)水銀および水銀化合物,(3)カドミウムおよびカドミウム化合物,(4)耐久性プラスチック,その他の耐久性の合成物質(例えば網,綱)であって,漁業,航行その他の適性な海洋の利用を著しく妨げるような状態で,海上または海中に浮遊するもの,(5)投棄の目的で積載された原油,重油,重ディーゼル油,潤滑油および作動油ならびにこれらの中のいずれかを含有する混合物,(6)高レベル放射性廃棄物(高レベルの定義については,国際原子力機関に委託),(7)形態のいかんを問わず,生物戦用および化学戦用に生産される物質を,また,投棄にあたって特別の措置を必要とするものとして,ヒ素,鉛,銅,亜鉛およびこれらの物質の化合物,有機ケイ素化合物,シアン化合物,フッ化物,駆除剤およびその副産物をあげており,低レベル放射性廃棄物の投棄は,国際原子力機関の勧告を十分に考慮するとされている。 日本の国内法としては,船および海洋施設からの油および廃棄物の海洋への排出を規制した〈海洋汚染防止法〉,陸上施設からの排出による水質汚濁防止を目的とした〈水質汚濁防止法〉が制定されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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