コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ローマ演劇 ローマえんげき Roman theatre

3件 の用語解説(ローマ演劇の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ローマ演劇
ローマえんげき
Roman theatre

ローマ演劇はブドウの収穫を祝う儀式的な芸能などを起源とするが,前 240年頃リウィウス・アンドロニクスによりギリシア悲劇ラテン語訳が導入されてからは,その強い影響のもとに発達した。しかし作品は,前2世紀のテレンチウスプラウツスの喜劇,セネカの悲劇のほかは,エンニウスアッキウスなどの作品の断片がわずかに残っているだけである。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ローマえんげき【ローマ演劇】

古代ローマのラテン語による演劇の総称。古代ローマ文学(ラテン文学)の他のジャンルと同様に,演劇も,古代ギリシアの影響を強くうけている。しかし,その影響を直接こうむっていない芝居もイタリア半島には存在した。例えば,〈フェスケンニウム歌versus Fescennini〉(以下,〈~劇〉等のラテン語綴りはすべて単数形で示す),〈サトゥラsatura〉,南イタリアカンパニア地方の〈アテラナ劇fabula Atellana〉などがそれで,これらの歌舞音曲や朗唱や滑稽な身ぶり等からなる民衆的な芸能が,イタリア半島における演劇の原始的形態であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ローマ演劇
ろーまえんげき

古代ローマの演劇は、自国の土俗的演劇よりも古代ギリシア演劇の影響を受けて展開した。[山内登美雄]

共和政時代

ローマの演劇は、ギリシア人リウィウス・アンドロニクスがギリシア劇をラテン語に翻訳してローマ祭で上演した紀元前240年ころに始まった。もっとも盛んに演じられたのは、ギリシア新喜劇を翻訳してローマ人の趣味にあうように手直ししたり、ときには翻案したりした作品である。これをパルリアタ劇fabula palliataという。代表的作者としては、『アンフィトルオ』『捕虜』『幽霊屋敷』などのプラウトゥスと、『アンドロスの女』『義母』などのテレンティウスがあげられる。2人の喜劇はギリシア新喜劇の単なるローマ化のレベルを超え、真の独創性をもつ。おもだった筋(すじ)は、若い男女の色恋や肉親の再会や和解で、紛糾した事件がめでたく解決するにあたっては、悪賢く頭が回転し弁舌のたつ憎めない奴隷(下僕)が活躍することが多い。頑固だが人のよい父親、放蕩(ほうとう)息子、純情な娼婦(しょうふ)、ほら吹きの軍人や奴隷など定型的な人物が登場する。しかし2人の作風には違いがある。プラウトゥスは庶民的で、滑稽(こっけい)のためには筋の脱線もいとわず、明朗で活発である。一方テレンティウスは貴族的で、構成は精密であり、知的にして典雅である。2人の作品は、キリスト教的主題以外は文学社会で公認されなかった中世でも読まれ続け、近世以降シェークスピア、モリエールなどの劇作家から現代の演劇や映画に至るまで大きな影響を与えている。
 悲劇のほうでは、ギリシア悲劇のうち、はらはらさせる筋、恐ろしい挿話、はでな人物、どぎつい修辞をもつ作品が翻訳されて、ローマ人向きに手直しされた。これをクレピダタ劇fabula crepidataというが、パルリアタ劇ほどは振るわなかった。
 ところがこれらの劇の観客の質は、劇場の近くで剣闘士のショー、拳闘(けんとう)、綱渡りなどが催されていることを知ると、一斉にそちらへ行き、上演をぶち壊すという程度であった。したがって、前3世紀末にカンパニアからローマに入っていたアテルラナ劇fabula attellanaという即興的な仮面笑劇や、ギリシアのミモス劇がローマに入ってローマ化し、実生活の物真似(ものまね)を滑稽に、扇情的に、どぎつく演じてみせるミムス劇mimusが人気を増していくにつれ、パルリアタ劇もクレピダタ劇も共和政が終わる前1世紀ころまでにすっかり衰微した。
 上演は国家が費用を出すさまざまの祭典や儀式で行われた。演劇上演を監督する役人が、今日のプロデューサーにあたる人物に上演を委嘱すると、俳優の一座を抱え、自分も俳優であるこの人物は、作者から当たりそうな戯曲を買い付け、衣装、小道具、音楽も準備する。上演が当たるならば収入が増えるようになっていた。[山内登美雄]

帝政時代

紀元後1世紀前半にストア派の哲学者セネカが『アガメムノン』『メディア』『チュエステス』などのクレピダタ劇を書いたが、それ以外は、ギリシア風の喜劇と悲劇の創作も大衆あての上演もほとんど行われなくなった。かわって愛好されたのは初期にはアテルラナ劇であり、時代を通じてはミムス劇とパントミムス劇pantomimusであった。アテルラナ劇の特徴は、どの劇でも、大食で、好色で、愚鈍なマックス、欲張りで嘘(うそ)つきのブッコなど、数名の定型人物(ストツク・キヤラクター)を使ったことである。ミムス劇の流行は共和政末期でもすさまじかった。かの独裁的な執政官スラや三執政官の1人アントニウスはミムス劇を好み、その俳優たちと親しく交わっていた。カエサルの時代には創作もしており、その部下にはラベリウスという作者もいた。だが帝政時代には卑俗性が際だった。古代演劇としては例外的に女優を使っていたこともあって、色情に訴えるものが少なくなかった。妻の姦通(かんつう)が主題として好まれ、女性の入浴を見せるものもあった。だが主題は多様であり、物真似芸、活劇、裁判を見せ場にするもの、人間と植物の交感を扱う哲学的なものまであったという。
 パントミムス劇は帝政の初めころローマに入ったが、時がたつにつれ、ミムス劇を凌駕(りょうが)する人気を獲得した。主としてギリシアの神話伝説に材料をとり、1人の俳優が仮面と衣装を取り替えながら複数の男女の役を演じ分けた舞踊的な黙劇で、合唱と楽器に伴奏され、台詞(せりふ)はなかった。恋愛ものがとくに人気があり、俳優は優雅でしなやかな姿態で演じたので、西ローマ帝国滅亡(476)まで、上流階級から平民に至るまで全ローマ人が熱狂した。[山内登美雄]

劇場

共和政時代は劇場はほとんど仮設された。木板の壁を背後にもつ舞台と、木の柵(さく)で囲われたほぼ半円形の腰掛のない客席とから成り立ち、上演後は取り壊された。ギリシアの劇場に倣った石造の常設劇場が建てられたのは前55年以後である。石造の劇場は、背後に正面を豪華に装飾したスケネをもつ舞台、その前の半円形のオルケストラ(貴賓席として使う)、これを同心円的に取り囲み、階段状に高くなっていく客席から成り立つ。収容人員は1万から1万5000人であった。[山内登美雄]
『鈴木一郎・岩倉具忠・安富良之訳『古代ローマ喜劇全集』全5巻(1975~79・東京大学出版会) ▽新関良三著『ギリシャ・ローマ演劇史5・6』(1956、1957・東京堂出版) ▽新関良三著『ギリシャ・ローマの演劇』(1960・東京堂出版) ▽菅原太郎著『西洋演劇史』(1973・演劇出版社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のローマ演劇の言及

【古典劇】より

…ただし,古典劇という言葉を日本の演劇史に適用することはまれにしか行われない。 狭義の古典劇の第1は,古代ギリシア演劇,古代ローマ演劇のことである。ギリシア悲劇とギリシア喜劇は前5世紀のアテナイを中心に花開き,三大悲劇詩人のアイスキュロス,ソフォクレス,エウリピデス,古喜劇のアリストファネスたちが活躍した。…

※「ローマ演劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ローマ演劇の関連キーワード学校劇フロララテン文学Αγχίαλοςパラティーノの丘ローマの七丘ローマ風呂ローマンブリテン古代ローマの航跡をたどれロマンス語

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ローマ演劇の関連情報