コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ワイマール共和国 ワイマールきょうわこく Weimarer Republik

6件 の用語解説(ワイマール共和国の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワイマール共和国
ワイマールきょうわこく
Weimarer Republik

第1次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国(1919~33)。ドイツ共和国とも呼ばれる。1919年国民議会ワイマールで開かれ,ワイマール憲法を制定したため,この名がある。初代大統領社会民主党フリードリヒエーベルト

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ワイマール‐きょうわこく【ワイマール共和国】

第一次大戦後成立したドイツ共和国の通称。十一月革命ドイツ革命)を指導した社会民主主義勢力が、1919年にワイマールで国民議会を開き、ワイマール憲法を制定して、18の連邦からなる共和国として成立。1933年、ナチス政権の樹立によって消滅。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ワイマール共和国【ワイマールきょうわこく】

1918年のドイツ革命による第二帝政の崩壊ののち成立した共和制ドイツの通称。憲法制定国民議会ワイマールに召集されたことによる。1919年ワイマール憲法制定。当初,社会民主党の主導の下に中央党や民主党を合わせたワイマール連合によって運営された共和国は,国内の帝政派,右翼勢力,官僚組織を存続させたので,ベルサイユ体制による圧力と相まって,急速に右翼勢力の台頭を許し,1920年にはカップ一揆(いっき)が起こった。
→関連項目エルツベルガーシュミット第1次世界大戦ドイツユンカー

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ワイマールきょうわこく【ワイマール共和国 Weimarer Republik】

1919‐33年に存続したドイツの共和国。
[成立]
 第1次大戦末期,キールの水兵反乱に端を発したドイツ革命は,1918年12月の第1回全国労兵レーテ大会において,(1)国民議会の召集,(2)軍隊の民主化,(3)鉱山の社会化,を決議した。これは,さしあたり議会制民主主義の導入に賛成しつつも,第二帝政の主柱であった反民主的な軍部・重工業を解体しようとしたものであったが,しかし,多数派社会民主党首脳の支配する人民委員政府は,(1)国防軍首脳と多数派社会民主党首脳のいわゆるヒンデンブルク=エーベルト同盟,(2)資本家団体首脳と自由労組首脳のいわゆるシュティンネス=レギーン協定(中央労働共同体協定)をてこに,一方において,直ちに社会主義共和国を樹立しようとするスパルタクス団共産党らの蜂起を鎮圧するとともに,他方,労働者・兵士大衆の要求する重工業社会化・軍隊民主化をも封殺し,こうしてワイマール共和国の基礎を作ったのである。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ワイマールきょうわこく【ワイマール共和国】

ドイツ革命に伴い成立したドイツ共和国(1919~1933)の通称。社会民主党・中央党・民主党が連立内閣を結成、ワイマール憲法を制定。政局は常に不安定で保守勢力が根強く残り、世界恐慌の直撃をうけ、ナチスの政権獲得で消滅した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワイマール共和国
わいまーるきょうわこく
Weimarer Republik

1918年11月のドイツ革命によって生まれ、33年1月のナチス党の政権掌握によって終わりを告げたドイツ最初の共和国。[松 俊夫]

発足

革命によって政権を委譲された社会民主党は、革命派の動きを抑えるために軍部と結び、議会制民主主義の導入に全力をあげた。1919年1月ベルリンで革命派の蜂起(ほうき)が鎮圧されたあと、国民議会の選挙で多数を占めたワイマール連合(社会民主党、中央党、民主党)は、2月にエーベルトを大統領に選び、7月ワイマール憲法を制定して共和国を発足させた。同年6月ベルサイユ条約が調印されると、右派勢力は国民の憤激を利用し、第一次世界大戦の敗北は「背後から、あいくちによって刺された」結果であると宣伝、20年3月には一部の軍人、右翼政治家がカップ一揆(いっき)を引き起こす事態を招いた。一揆は労働者のゼネストによって失敗したが、その影響を受けて同年6月の総選挙では、ワイマール連合が大きく後退し、かわって左右両派が進出した。ナチス党が25か条の綱領を定めたのもこの年である。一方、連合国は21年5月、最後通牒(つうちょう)をもって総額1320億金マルクに上る賠償をドイツに要求した。ドイツはやむなくこれを受諾し、支払いを開始したが、まもなく行き詰まったため、22年4月ソビエト・ロシアとラパロ条約を結び、国際的孤立からの脱却と市場の開拓を図ろうとした。しかしこれは連合国に衝撃を与え、フランスは賠償支払いの遅れを理由に、23年1月ベルギーとともにルール地方を占領、一方、ドイツもゼネストによる「受身の抵抗」で応じたため、ドイツ経済は麻痺(まひ)し、破局的なインフレを招いて深刻な社会不安を引き起こした。そこで同年8月、首相に就任したシュトレーゼマンはただちに抵抗を打ち切り、レンテンマルクを発行してインフレの収拾に努め、左翼勢力の動きやナチス党のミュンヘン一揆を失敗させて危機を克服した。[松 俊夫]

安定

シュトレーゼマンはまもなく辞任したが、引き続き外相にとどまり、「履行政策」を推進した。その結果、1924年8月ドーズ案が成立して賠償支払いの基準が定まり、25年10月にはロカルノ条約が成立し、翌年ドイツは国際連盟に加入して常任理事国となったが、一方、26年4月には独ソ間にベルリン条約も成立し、ドイツの国際的地位は著しく向上した。またドーズ案の成立後、アメリカ資本の導入と合理化によってドイツ経済は再建され、まもなく戦前の水準に達した。それに伴い24年12月の総選挙では、ワイマール連合が議席を回復し、文化も「黄金の20年代」にふさわしい活況をみせ始めた。しかしインフレと合理化によって地位を固めた大資本の影響力は強く、25年エーベルトの死後に行われた大統領選挙では、保守派の推す大戦中の「英雄」ヒンデンブルクが当選、政府もしだいに保守色を強めた。その後、28年5月の総選挙では社会民主党と共産党が進出したが、ワイマール連合はなお過半数を制することができなかったため、社会民主党のヘルマン・ミュラーは人民党をも含む不安定な内閣を組織しなければならなかった。[松 俊夫]

解体

1929年6月、ドーズ案にかわってヤング案が提出されると、右翼は一斉に激しい反対運動を展開し、なかでもヒトラーの活動は一躍国民の注目をひいた。この間、同年10月、アメリカで恐慌が起こると、アメリカ資本に依存してきたドイツ経済は大きな影響を受け、財政難に陥ったミュラー内閣は30年3月辞職した。そのあとブリューニング、パーペン、シュライヒャーの各内閣が成立したが、いずれも議会に基礎をもたない「大統領内閣」で、もっぱら大統領の緊急令に依存して局面の打開を図ろうとした。しかし恐慌の様相はますます深刻化し、32年には失業者数が600万を超える状況に達した。すでに30年9月の総選挙で、ナチス党は恐慌に悩む中間層の支持を受けて大幅に躍進していたが、一方、共産党も著しく進出したため、これを警戒した大資本や大地主はしだいにナチス党の支持に傾いた。その結果、32年4月の大統領選挙では、ヒトラーはヒンデンブルクに迫る票数を獲得、さらに同年7月の総選挙でもナチス党が圧勝した。これに対して社会民主党と共産党は相互の不信感から統一戦線を組みえず、また同年11月の総選挙でナチス党が一時後退した機会をとらえることもできなかった。このような情勢のなかで、33年1月、大統領ヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命し、ここに共和国はその短い歴史を閉じたのである。[松 俊夫]
『ローゼンベルク著、吉田輝夫訳『ヴァイマル共和国史』(1970・東邦出版社) ▽村瀬興雄著『ドイツ現代史』(1954・東京大学出版会) ▽林健太郎著『ワイマル共和国』(中公新書) ▽脇圭平著『知識人と政治』(岩波新書) ▽栗原優著『ナチズム体制の成立』(1981・ミネルヴァ書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のワイマール共和国の言及

【議会】より

…こうして,ロシア革命の衝撃下におかれた西ヨーロッパ世界では,〈左〉からするコミュニズムの切迫感と,それに対抗しようとする〈右〉からの独裁を主張する勢力の拮抗のなかで,〈左〉〈右〉両側からの,議会制民主主義への批判・弾劾がつよまった。そうしたなかで,ワイマール共和国期のドイツでは,ひときわはげしく議会制論がたたかわされた。カール・シュミットは,〈議会制〉と〈民主主義〉のむすびつきをきりはなし,それどころか,その二つを相互排斥的なものとして位置づけ,議会主義への信念は民主主義でなく自由主義の思想界に属するとし,民主主義の名において議会主義を否定した。…

※「ワイマール共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ワイマール共和国の関連キーワードドイツ共和国ドイツ統一ドイツ民主共和国ドイツ連邦共和国西ドイツ東ドイツベルリンドイツ連邦共和国基本法ドイツ基本法統一ドイツ

今日のキーワード

太陽系外惑星

太陽以外の恒星を回る惑星。その存在を確認する方法として、(1)惑星の重力が引き起こす恒星のわずかなふらつき運動を、ドップラー効果を用いて精密なスペクトル観測により検出する、(2)惑星が恒星の前面を通過...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ワイマール共和国の関連情報