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ワグナー ワグナーWagner, Robert Ferdinand

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワグナー
ワグナー
Wagner, Robert Ferdinand

[生]1877.6.8. ナシュタッテン
[没]1953.5.5. ニューヨーク
ドイツ生れのアメリカの政治家。少年時代に渡米。ニューヨーク州で政界に入り,1926年連邦上院議員に当選。 1930年代に全国労働関係法 (ワグナー法 ) や社会保障法など,ニューディールの重要な社会改革立法の制定に重要な役割を演じた。

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ワグナー
ワグナー
Wagner, Honus

[生]1874.2.24. ペンシルバニア,マンスフィールド
[没]1955.12.6. ペンシルバニア,カーネギー
アメリカ合衆国プロ野球選手。本名 John Peter Wagner。大リーグ史上最高の遊撃手といわれている。 1897~99年ルイビル・カーネルズ,1900~17年ピッツバーグ・パイレーツに所属。

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デジタル大辞泉の解説

ワグナー(Adolf Heinrich Gotthilf Wagner)

[1835~1917]ドイツの経済学者。新歴史学派の代表者で、自由放任主義社会主義革命とに反対して、国家社会主義を唱えた。著「財政学」。

ワグナー(Robert Ferdinand Wagner)

[1877~1953]米国の政治家。全国産業復興法などの社会立法を提案し、ニューディール政策に参画、ワグナー法を立案。

ワグナー(Wilhelm Richard Wagner)

[1813~1883]ドイツの作曲家。従来のアリア偏重のオペラに対し、音楽・演劇・詩の統一的な融合による総合芸術をめざして楽劇を創始。晩年、バイロイト祝祭劇場を設立。作品に「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」など。ワーグナーワグネル

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ワグナー Wagner, Gottfried

ワグネル

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

ワグナー

没年:明治25.11.8(1892)
生年:1831.7.5
ドイツの応用化学者,日本近代工業の指導者。ハノーバーに生まれ,ゲッチンゲン大学で博士号を取得したのちフランスほか各国をめぐり種々の職業につく。明治1(1868)年アメリカのホアルシェが長崎で石鹸工場を建設するのを頼りに来日。3年肥前(佐賀)藩の招きで有田の磁器窯の改良を依嘱され,陶磁器とのかかわりを持つことになり,石炭窯・酸化コバルトの使用法などを指導した。6年ウィーン万国博に日本事務局のお雇い外国人として参加し,日本物産が大好評を獲得する立役者となり,『維納大博覧会報告』をまとめた。その後教職にもどり,工部省勧業寮に勤め,陶器の石膏成形・電気鍍金・写真術・合金法などを教えた。このころから陶磁製法に興味を深め,種々の彩色法を考案している。のち京都府立医学校,京都舎密局,開成学校などに勤めた。15年,加藤友太郎が牛込に築窯するに当たって指導し,その後みずから小石川の江戸川に吾妻焼を興した。のち麻布霊南坂,20年に東京職工学校に窯を移し,旭焼と呼んだ。ちなみに,ワグナーの建議を受けて明治14年東京職工学校創立,17年に陶磁科が設けられたが,これが現在の東京工業大学窯業科の前身で,日本陶磁教育の濫觴となった。一時帰国し,25年に再来日,同年東京で病没した。<参考文献>故ワグネル博士記念事業会『ワグネル先生追懐集』

(矢部良明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

ワグナー【Wagner】

〔ワーグナーとも〕
〔Adolf Heinrich Gotthilf W.〕 (1835~1917) ドイツの経済学者。新歴史学派の一人。国家社会主義的な立場からの財政学体系は各国の財政思想に大きな影響を与えた。国家経費膨張の法則は有名。著「財政学」など。
〔Gottfried W.〕 (1831~1892) ドイツの化学者・工芸家。1868年(明治1)来日。有田焼の改良や釉うわぐすりの研究など窯業の技術指導に尽力。また、工芸・製造化学を講ずるなど日本の応用化学の育成に貢献した。作陶もし、旭焼(吾妻焼)の名で知られる。
〔Otto W.〕 (1841~1918) オーストリアの建築家。合理主義の考えを建築に取り入れ、二〇世紀の建築の方向性を示した。代表作にマジョリカハウス・ウィーン郵便貯金局・シュタインホーフ礼拝堂などがある。
〔Wilhelm Richard W.〕 (1813~1883) ドイツ-ロマン派の作曲家。人間の全体・本質を表現する総合芸術を目指し、劇と大規模な管弦楽を緊密に結びつけた楽劇を創造。ドイツの伝説や神話を素材とした台本を自ら書き、楽劇の理想的な上演のためにバイロイト祝祭劇場を設立した。代表作はオペラ「タンホイザー」「ローエングリン」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」(四部作)、「パルジファル」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワグナー
わぐなー
John Peter Wagner
(1874―1955)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグメジャー・リーグ)のルイビル・コロネルズ、ピッツバーグ・パイレーツでおもに遊撃手としてプレー。19世紀後半から20世紀初頭に活躍し、首位打者を8回獲得した大打者である。1917年にはパイレーツで監督も務めた。
 2月24日、ペンシルベニア州チャーティアーズで生まれる。1897年、コロネルズに入団。1999年限りで同球団がナショナル・リーグから脱退すると、他の14選手とともにパイレーツに加入した。新天地1年目の1900年に、打率3割8分1厘で首位打者を獲得。1901年と02年は2年連続して打点王と盗塁王になった。1903年と04年、そして06年から4年連続して首位打者を獲得。この間、1904年、07年、08年には盗塁王となり、08年と09年は打点王との二冠王であった。1903年と09年にはワールド・シリーズに出場、09年は同シリーズを制した。さらに、1911年に首位打者を獲得し、12年は打点王となった。1913年の3割ちょうどを最後に、打率は2割台に低迷するようになり、1917年限りで引退。現役最終年は、5試合だけ監督として采配(さいはい)も振るった。1933年から51年までは、古巣パイレーツでコーチとして後進の指導にあたった。
 選手としての21年間の通算成績は、出場試合2792、安打3415、打率3割2分7厘、本塁打101、打点1732。獲得したおもなタイトルは、首位打者8回、最多安打2回、打点王5回、盗塁王5回。1936年に野球殿堂入り。[山下 健]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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