改訂新版 世界大百科事典 「ワニ」の意味・わかりやすい解説
ワニ (鰐)
alligator
crocodile
ワニ目Crocodiliaに属する水陸両生の大型爬虫類の総称。世界の熱帯,亜熱帯に分布し,少数が温帯地方にも及んでいる。2科9属23種に分けられる。
形態
ワニ類は水中生活に適応した形態をしており,体は細長くやや扁平で,尾部は長く強大で側扁する。頭部は大きく吻部(ふんぶ)は長く扁平で,隆起した吻端上面には1対の外鼻孔が開口する。眼は大きくて突出し,体を水中に沈めたときには,外鼻孔,眼,耳孔だけが水面上に出る。外鼻孔は堅い口蓋によって口腔と仕切られ,内鼻孔と通じ空気が気管に送られる。そのため水中で獲物をくわえても呼吸ができる。水中では外鼻孔と耳孔は弁のようになっていて閉じられる。眼は透明な瞬膜でおおわれるがまぶたを閉じることもできる。歯は槽生(そうせい)で,がんじょうな上下のあごには上下各15~22対ほどの鋭い歯が並び,上あごのほうがやや多いが,最多は上あご28~29,下あごでは25~26対に達する。四肢は短いが太く,後肢には水かきが発達する。全身が堅い大型鱗板でおおわれ,背面では骨質の小板を含んで隆起する。
生理,生態
ワニの頭骨には上下二つの側頭窓(そくとうそう)があって原始的な一面を残すが,体の構造は爬虫類中もっとも進化し,高等脊椎動物に近いいくつかの特徴をもっている。心臓は2心房2心室に区分されるが,左右の体循環弓の起部はパニッツァ小孔で結ばれ,潜水して肺呼吸による酸素血の供給が停止すると,左右の循環系を利用できる構造となっている。胸骨は発達して胸郭を形成し,胸腔と腹腔は隔膜で仕切られ,腹部は軟骨性の腹肋骨(ガストラリア)によって補強されている。体軸に並行した肛門裂の左右と下あごの後部には臭腺があって,繁殖期にはフェロモンを分泌する。河川,湖沼の淡水に群生するが,イリエワニCrocodylus porosusは汽水や海水にも分布し,外洋にも泳ぎ出る。
昼間は水辺で日光浴をし,夜間は水に入って岸にくるレイヨウなどの哺乳類をとらえ,水中で窒息させるが,大きな獲物は複数で協力して食い切ることがある。そのほか水鳥,魚,カエルなどを餌とし,吻部の長いものは魚が主食。
ワニの雄は繁殖期になるとなわばりをもち,他の雄を追い払い,霧笛に似たほえ声をたて尾で水面をたたいてディスプレーを行う。このとき下あごと肛門の左右にある臭腺から雌を引きつけるフェロモンが分泌される。またこの時期にはボーという声を出す。すべて卵生で雌は岸に巣をつくって産卵し,繁殖期は温帯地方で初夏,熱帯ではほとんど一年中。巣には草や小枝と泥を材料として塚をつくるのと,砂地に穴を掘る二つの方法があり,同一種でも条件によってどちらでもつくることがある。産卵数は15~80個ほどで,80~100日くらいで孵化(ふか)する。ほとんどが雌雄で巣を守る。
ナイルワニC.niloticusやミシシッピワニAlligator mississippiensisなどは孵化した子ワニを育児することが知られている。子ワニは巣の中で孵化すると,クークーというような高い声で鳴き立てる。母ワニは巣の上部を掘りかえし,子ワニの誕生を助ける。イリエワニなど性質の荒い危険な大型種もあるが,ほとんどは人に対し攻撃的ではない。
感覚
ワニは側面と前方にすぐれた視野をもち,これらが交差する範囲は両眼での立体的な視野となる。眼にはロドプシン色素が含まれ,夜間は網膜に反射して赤みがかった光を放つ。縦長のひとみは明るい場所では細く絞られるが,夜は開いて暗い場所でもよく見える。
ワニは100~4000Hzの間ではすぐれた聴覚をもつ。視覚,聴覚のすぐれるワニは危険を敏感に察知して,すぐ水にとび込んでのがれる。
嗅覚(きゆうかく)もすぐれ,空気を鼻管内にとり入れて,嗅葉に接している嗅室に送り込む。繁殖期における求愛のフェロモンをかぎとり,腐肉(ワニは腐肉をも好んで食べる)の存在を知る。
系統,分類
ワニの祖先型は三畳紀後期の槽歯類から分化し,中生代に繁栄して海洋性を含む多くの大型種が出現した。現生種の分類には諸説があるが,内鼻孔,歯列,鱗板などの構造の相違によって,アリゲーター科Alligatoridaeとクロコダイル科Crocodylidaeの2科に分類されることが多い。アリゲーター科には,ヨウスコウワニ,ミシシッピワニ,メガネカイマン,クロカイマンなどが,クロコダイル科にはイリエワニ,ナイルワニ,ガビアル,ヌマワニ,アメリカワニなどが含まれる。ガビアル属Gavialisは前上顎骨と鼻骨が接しない点で独立の科に分けられることもあるが,近縁の化石にはこれらが接するものもあり,最近はアフリカクチナガワニMecistops cataphractusやマレーガビアルTomistoma schlegeliiの類縁種としてクロコダイル科に含められる。
利用
皮革が高級細工用に用いられるが,狩猟の対象としても乱獲が続けられた結果,各種とも激減し保護下にある。カイマン類など一部の幼体がペットにされる。
執筆者:松井 孝爾
伝承,象徴
ワニが多数すんでいた古代エジプトでは,この動物に相反する二つの意味を与えていた。すなわち生命の源であるナイル川を象徴する聖獣として,ワニは水の豊饒性や再生の観念と結びつけられる一方,その貪欲(どんよく)さと恐ろしい外観により邪悪な力の体現者として,悪神セトや死あるいは冥府と関連づけられた。ワニの神格化も行われ,ワニの頭をもつ人間,ないしはワニそのものとして表されるソベクSobek神は,クロコディロポリスCrocodilopolis(〈ワニの町〉の意)をはじめエジプト各地で崇拝され,ファイユーム地方からは同神にささげられた大量のワニのミイラが出土している。彼はセトと共謀してオシリスを殺害したともいわれる。このような両義的なワニのイメージは,聖書に語られるリバイアサン(レビヤタン)や古い伝承をもつ竜(ドラゴン)にも反映していると思われる。
ヨーロッパでのワニに関する俗信は,エジプトのそれを土台として古代から中世にかけての動物誌やベスティアリ(動物寓意譚)により形成された。アリストテレスは水陸両生が可能なこの動物を基本的にヘビの同類とみなしたが,舌がないこと(実際には平たい舌が下あごにある),上あごを動かせること,脱皮をしないことをあげ,蛇との差を明確にしている(《動物誌》)。しかしワニについてのもっとも著名な伝承は,これが空涙を流して獲物を誘い,また涙を流しながら獲物を食うというものである。この俗信は4世紀以後にヨーロッパに流布したらしく,〈ワニの涙crocodile tears〉として〈偽善〉を意味するようになった。さらに男をだます女の空涙の意に転用され,強欲な女をワニにたとえる習慣の源泉ともなった。中世の寓意図には,裸女の姿の〈欲望〉がワニにまたがっている表現が見られる。またキリスト教図像学では,大口をあけたワニを地獄への入口としたり,口を縛られたワニに〈断食〉の意味を与えている例がある。
執筆者:荒俣 宏
日本の伝承の中の〈ワニ〉
鰐は文字上では中国南部の河川に生息する爬虫類で人を害する動物であるが,日本語のワニをこれに当てたのは古代日本の中央文人の誤りで,山陰地方における鱶(ふか)の方言であり,ワニのはえなわ漁がある。鱶も猛魚で,しばしば人を襲って傷害を与えるために,実物を知らぬ知識人が翻訳を誤ったと思われ,古代に日本列島にもクロコダイルまたはアリゲーターといった爬虫類が生息したという証拠にはならない。出雲市ではかまぼこの材料はモバワニの肉がよいといい,これを捕獲するとその1尾のワイワビ(脇鰭)と頰肉とを切り取って日御碕(ひのみさき)の小野家に持参する習わしがあった。神聖な魚とみられたのであろう。《出雲国風土記》にも仁多郡の山間の阿伊村の神を恋うワニが川をさかのぼろうとしたという伝説がある。《肥前国風土記》でもワニが川をさかのぼって神のいる場所にいき,海魚が多くこれに従うという伝承を記している。したがって古語のワニは日本海岸にひろく用いられた鱶の呼称とみてよい。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報