一宮長常(読み)いちのみやながつね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「一宮長常」の意味・わかりやすい解説

一宮長常
いちのみやながつね
(1721―1786)

江戸時代の装剣金工家。越前(えちぜん)国(福井県)敦賀(つるが)生まれ。柏屋(かしわや)忠八と称し、もと鍍金(めっき)師であったと伝える。蟻行子、含章子、雪山の号がある。後藤隆乗(りゅうじょう)の流れをくむ太刀師保井高長のもとで修業、1770年(明和7)9月21日、御所衝立(ついたて)の金具を調進した賞として越前大掾(だいじょう)を受領(ずりょう)。石田幽亭(ゆうてい)に絵を学び、下絵に巧みで、京都における名人の一人に数えられている。肉合彫(ししあいぼり)に片切彫(かたぎりぼり)象眼(ぞうがん)色絵を交えた独自の作風で、絵画的構図を得意とした。

[小笠原信夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一宮長常」の意味・わかりやすい解説

一宮長常
いちのみやながつね

[生]享保7(1722).越前
[没]天明6(1786).12.18. 京都
江戸時代中期の京都の装剣金工。本名は柏屋忠八。雪山,蟻行子,含章子などと号した。刀剣の装飾金具に写実的な模様を彫る。石田幽汀に絵を学び,自分で彫刻の下絵を描いたが,海北友松円山応挙の絵なども用いている。彫技は鋤彫,肉合彫 (ししあいぼり) ,象眼,色絵,片切彫を交えた独自のもので,江戸の横谷宗 珉と並び称された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一宮長常」の解説

一宮長常 いちのみや-ながつね

1721-1787* 江戸時代中期の装剣金工。
享保(きょうほう)6年4月5日生まれ。子に一宮長義生年に享保5,7年説がある。京都の保井高長のもとで彫金を修業,絵を石田幽汀にまなんで独立。写生彫刻にたくみで江戸の横谷宗珉(そうみん)とならび称された。明和7年越前大掾(えちぜんのだいじょう)。天明6年12月18日死去。66歳。越前(福井県)出身。名は忠八。号は雪山,含章(常)子,蟻行子。屋号は柏屋。

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百科事典マイペディア 「一宮長常」の意味・わかりやすい解説

一宮長常【いちのみやながつね】

京都の金工家。粕屋忠八と称し,号は蟻行子,含章子,雪山など。絵を石田幽汀に学び,また写生風の彫金に長じた。小柄(こづか),(こうがい),目貫,縁頭(ふちがしら)などが多く,高彫色絵や日本画の筆意をそのまま金属に表した片切彫の技法に独自のものを示す。

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367日誕生日大事典 「一宮長常」の解説

一宮長常 (いちのみやながつね)

生年月日:1721年4月5日
江戸時代中期の装剣金工家
1786年没

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世界大百科事典(旧版)内の一宮長常の言及

【装剣金具】より

…町彫を代表する江戸金工には横谷派,奈良派,石黒派,浜野派などがおり,横谷(よこや)宗珉は片切彫を創始し,横構図が普通であった小柄に縦構図を取り入れるなどの新境地をみせ,奈良派では奈良利寿(としなが),土屋安親杉浦乗意が〈奈良三作〉といわれ,利寿は大胆な構図と力強い彫り,安親は鐔の形と意匠の調和,乗意は肉合彫を創始して,それぞれ新生面を開いた。京都では一宮(いちのみや)長常(1722‐86。通称粕屋忠八,号に雪山,蟻行子など)や大月光興(1766‐1834。…

※「一宮長常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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