三仏寺(読み)サンブツジ

デジタル大辞泉 「三仏寺」の意味・読み・例文・類語

さんぶつ‐じ【三仏寺】

鳥取県東伯郡三朝みささ町にある天台宗の寺。山号は三徳山。慶雲3年(706)えん小角おづのの創建と伝える。嘉祥2年(849)円仁が再興。古くから山岳修験の道場。がけの岩窟に建てられた奥院の投入堂は平安時代の建築で、国宝。伯耆西国三十三番霊場第29番札所。美徳山。

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精選版 日本国語大辞典 「三仏寺」の意味・読み・例文・類語

さんぶつ‐じ【三仏寺】

  1. 鳥取県東伯郡三朝(みささ)町にある天台宗の寺。山号は三(美)徳山。慶雲三年(七〇六)役小角(えんのおづの)の開基と伝えられる。嘉祥二年(八四九)円仁が山麓に伽藍(がらん)を造営、阿彌陀・釈迦・大日の三仏を安置した。三徳山中腹の崖上の岩窟内にある奥院投入堂は国宝で、懸造(かけづくり)の建築で有名。

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日本歴史地名大系 「三仏寺」の解説

三仏寺
さんぶつじ

[現在地名]三朝町三徳

三徳みとく山の北麓に位置する。三徳山と号し、天台宗。本尊は釈迦如来阿弥陀如来大日如来の三仏。三徳山信仰を背景として創建された。本堂の一段下には皆成かいじよう院・正善しようぜん院・輪光りんこう院がある。本堂から宿入やどいり橋を渡ってかずら坂の急峻を上り文殊もんじゆ堂、続いて地蔵堂・鐘楼堂に至る。さらに馬の背うまのせ牛の背うしのせの難路を上り、納経堂・観音堂を経て奥院の投入なげいれ堂に至る。

「伯耆民談記」によれば、慶雲三年(七〇六)役小角が子守・勝手・蔵王権現を安置して三徳山を開いたと伝え、嘉祥二年(八四九)円珍が刹柱を建て、釈迦・阿弥陀・大日の三仏を安置して浄土院美徳山三仏寺と号したのに始まるという。三仏寺の寺号が史料に表れるのは江戸時代中期以降で、それ以前はたんに三徳山・美徳山とみえるほかは各院名などで表れる。慶長四年(一五九九)三徳山惣中に対し一〇〇石が寄進され、寛永一〇年(一六三三)鳥取藩からも同高が安堵され、幕末に至った(→三徳山。天保五年(一八三四)の寺社領帳(藩史)にも寺領一〇〇石とある。慶安二年(一六四九)淳光じゆんこう(現鳥取市の大雲院)の末になったといわれるが、宿入橋を越えた山内の諸堂は鳥取藩においても宮として扱われ、子守之宮・勝手之宮などといわれた(「河村郡三徳山下帳」県立博物館蔵)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三仏寺」の意味・わかりやすい解説

三仏寺
さんぶつじ

鳥取県東伯(とうはく)郡三朝(みささ)町三徳(みとく)にある天台宗の寺。三徳山浄土院(じょうどいん)と号する。本尊は釈迦(しゃか)・阿弥陀(あみだ)・大日如来(だいにちにょらい)の3仏。706年(慶雲3)役小角(えんのおづぬ)(役行者(えんのぎょうじゃ))が修験道(しゅげんどう)の行場として開いたと伝えられ、849年(嘉祥2)慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が再興して、3仏を安置したのが寺名の由来である。大山(だいせん)と並んでこの地方の古代中世における山岳仏教の一大霊地であり、地方豪族の信仰を集めて発展し、古代盛時には堂舎41、坊舎3000軒、寺領1万町歩(9920ヘクタール)と伝えられている。源平の戦い、南北朝の内乱、戦国時代の兵火などで興亡を繰り返し、歴史を物語る史料も焼失してしまったが、険しい崖(がけ)の岩窟(がんくつ)に懸造(かけづくり)で建てられた奥の院(投入堂(なげいれどう)、国宝)は、役行者が投げ入れたと伝えられる縁起にふさわしく、三徳山の象徴的な建物である。投入堂本尊の蔵王権現(ざおうごんげん)立像の胎内文書に仁安(にんあん)3年(1168)の造立願文があり、この種の最古の木像として他の6体の立像とあわせて国の重要文化財となっている。奥の院投入堂付愛染(あいぜん)堂1棟、棟札1枚、古材43点は国宝に、納経(のうきょう)堂、文殊(もんじゅ)堂、地蔵(じぞう)堂、木像十一面観音像、長徳(ちょうとく)3年(997)銘の銅鏡は国の重要文化財に指定されている。また三徳山全体が山岳仏教の遺跡として国の史跡・名勝に指定されている。伯耆(ほうき)西国三十三番霊場の第29番札所。

[中山清田]

『鳥取県立博物館編・刊『三徳山とその周辺』(『鳥取県の自然と歴史4』1982)』


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改訂新版 世界大百科事典 「三仏寺」の意味・わかりやすい解説

三仏寺 (さんぶつじ)

鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の寺。三徳山と号する。706年(慶雲3)役小角(えんのおづぬ)が白雲に乗って飛来し,神窟を開いてみずから建物を投げ入れたことが開基と伝える。849年(嘉祥2)慈覚大師円仁が再興して釈迦,阿弥陀,大日の3仏を安置し,〈浄土院美徳山三仏寺〉と号した。奥院(国宝)は山腹の岩窟内に建つ小規模な建築で,床下は長大な柱で支えられたいわゆる懸造をなしており,〈投入堂〉とも称される。全体に木割が細く,大きく面をとった柱や垂木,高低の変化をつけたひさし屋根,軽やかに反り上がる軒などの構成は優美で,平安時代の特徴を示したすぐれた遺構であり,かつ山陰地方最古の建築としても貴重である。接属する愛染堂も投入堂と同時期と考えられている。他に建築では納経堂(鎌倉期),地蔵堂(室町期),文殊堂(1580),彫刻では蔵王権現立像(1168),聖観音立像,工芸では銅鏡(997)があり,いずれも重要文化財。なお大山とともに古代以来の修験道の霊場として栄え,山自体が山岳仏教の道場として,国の名勝および史跡に指定されている。
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百科事典マイペディア 「三仏寺」の意味・わかりやすい解説

三仏寺【さんぶつじ】

鳥取県三朝(みささ)町にある天台宗の寺。8世紀初頭役行者(えんのぎょうじゃ)が開基という。849年円仁(えんにん)が再興して,釈迦・阿弥陀・大日の三仏を安置し三仏寺と号した。山全体が古代以来の山岳仏教の道場として国指定名勝及び史跡。平安時代の特徴を持つ懸造(かけづくり)の〈投入堂(なげいりどう)〉ともいわれる奥の院は国宝。また愛染(あいぜん)堂・納経堂や,蔵王権現(ざおうごんげん)立像などは重要文化財。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三仏寺」の意味・わかりやすい解説

三仏寺
さんぶつじ

鳥取県三朝 (みささ) 町所在の寺。天台宗で,山号は三徳山。嘉祥2 (849) 年円仁の創立といわれる修験道の道場で,投入堂 (奥院) は平安時代の建造。けわしい崖に懸造 (かけづくり) として建てられた軽快な堂で,国宝。平安時代後期作の『蔵王権現像』を本尊とする。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三仏寺」の解説

三仏寺
さんぶつじ

鳥取県三朝(みささ)町にある天台宗の寺。706年(慶雲3)役小角(えんのおづの)が神窟を開いて建物を投げ入れて創建し(投入堂),9世紀半ばに円仁が釈迦・阿弥陀・大日如来の3尊を安置して再興したと伝える。平安末期には3000の坊をもち,多くの僧を擁したという。江戸初期まで大山(だいせん)寺の支配下にあり,古くからの霊場として信仰を集めた。

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デジタル大辞泉プラス 「三仏寺」の解説

三仏寺

鳥取県東伯郡三朝町(みささちょう)、標高約900mの三徳山にある寺院。天台宗。山号は三徳山、院号は浄土院。役の小角(えんのおづぬ)の創建と伝わる。名称は、釈迦・阿弥陀・大日如来の3仏を本尊とすることから。奥院(投入堂(なげいれどう))は山の中腹の断崖絶壁に建ち、国宝に指定。一帯は国の史跡・名勝に指定され、大山隠岐国立公園の一部をなす。

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事典・日本の観光資源 「三仏寺」の解説

三仏寺(第31番)

(鳥取県東伯郡三朝町)
中国三十三観音霊場」指定の観光名所。

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