三宅島(読み)みやけじま

精選版 日本国語大辞典 「三宅島」の意味・読み・例文・類語

みやけ‐じま【三宅島】

東京都伊豆七島の一島。伊豆大島南南東約五七キロメートルにある。一島で三宅支庁三宅村を形成する。全島三重式成層火山で、中央部に雄山(八一四メートル)がそびえる。面積五五平方キロメートル。

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デジタル大辞泉 「三宅島」の意味・読み・例文・類語

みやけ‐じま【三宅島】

伊豆七島の一。東京都三宅支庁三宅村をなす。面積55平方キロメートルの火山島で、噴火の記録が多い。最高峰は雄山おやまで標高775メートル。近世は流刑地。椿油などを特産。

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日本歴史地名大系 「三宅島」の解説

三宅島
みやけじま

中部伊豆諸島の中心島で、東京から南方約一八〇キロに所在する火山島。面積は五五・一四平方キロ、伊豆諸島中大島・八丈島に次いで大きい。最高峰は複式火山山で、標高八一三・九メートル。同山は有史以来、たびたび噴火を繰返してきたが、平成一二年(二〇〇〇)にも激しく噴火し、同一四年現在も島民全員が島を離れている。近世には神着かみつき伊豆いず伊ヶ谷いがや阿古あこ坪田つぼたの五ヵ村で構成され、神着村・伊ヶ谷村が島政の中心となっていた。現在は伊豆地区に東京都三宅支庁・東京都教育庁出張所・警察署などの官庁が、坪田地区に村役場・都立三宅高等学校などがあり、三宅港・三宅空港も坪田地区にある。東岸の坪田の三池みいけ港、南西岸の阿古の錆ヶ浜さびがはま漁港は大型の船舶も接岸できる。縄文時代では早期の坊田沢ぼうたさわ遺跡・釜ノ尻かまのしり遺跡が、前期から中期は伊豆灯台下いずとうだいした遺跡・西原にしはら遺跡などが、後期から晩期では友地ともち遺跡が、弥生時代の中期から後期にかけてはボウタ遺跡・ココマノコシ遺跡大里おざと遺跡・大里東おざとひがし遺跡などが、古墳時代では富賀浜とがはま遺跡・美茂井みもい遺跡などが、平安時代では坪田墓地つぼたぼち遺跡がそれぞれ知られており、縄文から古代までほぼ満遍なく確認できる。中世以降では和鏡を埋納した積石塚が坪田地区を中心に、島内各所に点在していることも特色。養老六年(七二二)一月二〇日、多治比真人三宅麻呂は謀反を誣告した罪で「伊豆嶋」に流されている(続日本紀)。この「伊豆嶋」を三宅島とみる説があるが不明。また伊豆諸島の開拓神とされる事代主命(三島大明神)に従って諸島に渡り、三宅島にとどまった阿米都和気命・佐岐多麻比命を奉じた壬生御館が島の神官壬生氏の祖先とする伝承もある(三宅記)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三宅島」の意味・わかりやすい解説

三宅島
みやけじま

東京都三宅支庁に属し、全島1村の活火山島。長円形で径7~10キロメートル、面積約55.26平方キロメートルで、伊豆諸島では面積第3位。かつての富士火山帯、東日本火山帯に属し、おもに玄武岩の成層火山である。最高峰は中央火口丘の雄山(おやま)(標高は813メートルであったが、2000年の噴火活動で山頂部が消滅し、現在は775メートル)。1085年(応徳2)を皮切りに1983年まで15回の噴火の記録があるが、雄山での山頂噴火のほか、山腹~付近海底での放射状の割れ目噴火が多く、溶岩流も生じやすく、噴火のつど惨害を出した。第二次世界大戦後の1962年(昭和37)噴火は学童の島外疎開で知られ、1983年噴火では溶岩流が西海岸の集落阿古(あこ)の約7割を埋没・焼失させた。2000年(平成12)噴火では、山頂にカルデラが生じるとともに多量の有毒火山ガスが放出したため、同年9月から約4年半の全島避難が続いた。

 2000年6月地震活動が活発化、同月27日に海底で小噴火がおこり、強い地震が島外の神津(こうづ)・新島(にいじま)方面で発生し始めた。7月8日には突然山頂部が陥没するとともに水蒸気マグマ水蒸気爆発がおきた。山頂部の陥没は8月初めまで続き、直径1.6キロメートルの雄山カルデラが出現した。マグマが地下で神津島方向に移動して、地下に空洞ができたために生じた陥没カルデラである。8月18日に最大規模の噴火があり、8月29日低温火砕流発生、9月2日全島避難指示が出され、島民は長期の避難生活を余儀なくされた。2005年2月1日避難指示は解除、同年5月より観光客の受入れを再開した。その後、火山ガスの放出量は減少し、近年は少ない状態が続いている。火山活動の観測は東京都、国土地理院、防災科学技術研究所などによって行われている。

 三宅島には事代主命(ことしろぬしのみこと)が渡島し、付近の島々を治めたという伝説があり、12の延喜(えんぎ)式内社があることから宮家(みやけ)島といったのが島名の起源という。また8世紀に多治比真人三宅麿(たじひのまひとみやけまろ)が流されたことによるとの説もある。江戸時代は流刑地。北西海岸の集落伊豆には弥生(やよい)文化の須和田式期の遺跡、絵島(えじま)事件の役者生島新五郎(いくしましんごろう)や国学者竹内式部(たけのうちしきぶ)の墓などもある。230種もの野鳥がいる。漁業やテングサ採取が盛んで、イセエビサザエや、アシタバ、赤芽(あかめ)サトイモパッションフルーツ、ツバキ油などが特産。爆裂火口湖の太路(たいろ)池などもあり、山紫水明で、富士箱根伊豆国立公園に属す。人口2273(2020)。

[諏訪 彰・中田節也]

『三宅島史編纂委員会『三宅島史』(1982・三宅村)』『池田信道著『三宅島の歴史と民俗』(1983・伝統と現代社)』『三谷彰著『三宅島島民たちの一年』(2001・岩波書店)』『村栄著『三宅島 噴火避難のいばら道――あれから4年の記録』(2005・文芸社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「三宅島」の意味・わかりやすい解説

三宅島 (みやけじま)

伊豆諸島に属する島。1島で東京都三宅支庁三宅村をなす。人口2676(2010)。面積は55km2で,伊豆諸島では大島,八丈島に次ぐ。中央に成層火山の雄山(おやま)(775m)がそびえ,その山すそが海に落ちこみ島の周囲は大部分が高さ20~50mの黒色の溶岩による海食崖をなしている。島の南岸近くには大路(たいろ)池,新澪(しんみよう)池の火口湖がある。伊豆諸島の中では大島の三原山と並んで噴火の記録が最も多く,近年では1874年,1940年,62年,83年に大噴火がみられ,島内の集落にも大きな被害を与えた。83年の噴火では噴火物は1200万m3にのぼり,島南西部の阿古地区では溶岩流によって約400戸が埋没した。

 集落はわずかな湾入に面して立地し,かつての浦百姓村の神着(かみつき)や伊ヶ谷,釜百姓村であった伊豆,阿古,坪田などがある。島は水に乏しく古くから天水に依存したため農業は振るわず切替畑が多かった。水産業は島の重要産業で,近世には浦百姓村では船主・船子制が維持され,房総半島や伊豆半島の漁村から労働者が入ってきたこともあった。製炭業も盛んであった。また流刑地ともされた。良質のテングサのほか,セロリ,レタス,観葉植物,バターなどを産するほか,近年は花卉,花木の栽培が盛んになっている。島の北の神着と南の坪田に2港が開かれ,東京竹芝桟橋から定期船の便がある。島の南東部に三宅島空港(1966年開設)があって,羽田から空の便がある。探鳥,釣りの適地が多く,昭和40年代から観光客が増加した。

 2000年8月,大規模な火山噴火のため全島民が都内各地などに避難生活を余儀なくされたが,06年に入り帰島が開始された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三宅島」の意味・わかりやすい解説

三宅島
みやけじま

東京都伊豆諸島の中央部にある円形の火山島。活火山で,常時観測火山。全島が東京都三宅村に属する。中央の雄山(おやま。775m)は複式火山で,カルデラ内には大路池(たいろいけ),新澪池(しんみょういけ)の火口湖,山腹や海岸には側火口や寄生火口丘がある。山麓に神着(かみつき),伊豆,伊ヶ谷,阿古,坪田の 5集落がある。赤場暁(あかばっきょう)は 1940年の大噴火でできた溶岩原。富士箱根伊豆国立公園に属する。火山活動が活発で,過去数多くの噴火が記録されており,2000年6月に始まった噴火では約 2500年ぶりにカルデラが形成され,二酸化硫黄(硫黄酸化物)を含む大量の火山ガスが放出された。2000年9月,この噴火により全島避難勧告が出されたが,2005年から住民の帰島と復興が進められた。面積 55.44km2

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百科事典マイペディア 「三宅島」の意味・わかりやすい解説

三宅島【みやけじま】

伊豆諸島の一島。東京都三宅支庁三宅村(55.27km2,2676人。2010)をなす。中央の雄山(おやま)は標高775mの成層火山(活火山)で,多くの寄生火山,爆裂火口がある。8世紀初めに伊豆に流された三宅麻呂に由来する島名という。14世紀末には上杉朝宗の支配下に入った。江戸後期には家数314,人数2324であった。火口原八丁平を中心とした牧畜,バター製造,ツバキ油精製などが主産業。東京から定期航路,空路がある。富士箱根伊豆国立公園に属する。雄山は2000年6月に火山性地震などが始まり7月に水蒸気爆発,噴火を起こした。活発な火山活動は近年では1962年,1983年に続き3度目で,9月に防災関係者を除く全島民(約3800人)が島から避難し,2005年2月に避難指示が解除された。
→関連項目御蔵島

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知恵蔵 「三宅島」の解説

三宅島

伊豆諸島の火山島。ほぼ20年の間隔で玄武岩質の溶岩流やスコリア(黒っぽい玄武岩質のもの)を主に山腹から噴出してきた。2000年6月26日には有感地震が多発し、西海岸の沖合で海底噴火が発生した。その後、7月8日〜8月29日に爆発的な噴火が山頂で繰り返され、直径1.5kmのすり鉢状のカルデラが山頂に形成された。噴火で噴石が飛び、低温の火砕流が出たために、9月初めには全島民が島外に避難した。その後山頂から有毒な二酸化硫黄を含む火山ガスが長期間放出され、島民の帰島を妨げた。二酸化硫黄の放出量は、当初1日当たり数万tあったが、数年間に数千tに減少した。三宅村は05年2月1日に避難指示を解除し、その後1900人余りが帰島した。

(井田喜明 東京大学名誉教授 / 2007年)

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世界大百科事典(旧版)内の三宅島の言及

【伊豆諸島】より

…かつては伊豆諸島以南の地も含めて漠然と豆南(ずなん)諸島と呼ばれた。相模湾口から南へ大島利島新島式根島神津島三宅島御蔵島八丈島,八丈小島,青ヶ島の順に,ほぼ南北に連なり,さらに南にはベヨネース列岩鳥島など多数の無人島や岩礁が点在し,居住のみられる島は八丈小島,ベヨネース列岩,鳥島を除く9島である。このうち式根島,青ヶ島を除いた7島は伊豆七島と呼ばれるが,この称は伊豆諸島全域の俗称としても使われる。…

※「三宅島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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