三朝(読み)サンチョウ

デジタル大辞泉 「三朝」の意味・読み・例文・類語

さん‐ちょう〔‐テウ〕【三朝】

3代にわたる朝廷
《年の朝、月の朝、日の朝を兼ねる意から》元日の朝。元旦。 新年》
ある月の3日目。

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精選版 日本国語大辞典 「三朝」の意味・読み・例文・類語

さん‐ちょう‥テウ【三朝】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( 年の朝、月の朝、日の朝を兼ねるところから ) 正月元日の朝。元旦。
    1. [初出の実例]「故三朝以下、諸節会之日、勤従賓賛、自割情恋」(出典:日本三代実録‐貞観五年(863)正月一九日)
    2. [その他の文献]〔班固‐東都賦〕
  3. その月の第三日。また、三日。
    1. [初出の実例]「春の暮月 月の三朝 天花に酔へり 桃李の盛んなるなり〈菅原道真〉」(出典:和漢朗詠集(1018頃)上)
    2. [その他の文献]〔晉書‐賈充伝〕
  4. 三代の王朝。三代の朝廷。〔劉長卿‐送徐大夫赴広州詩〕
  5. 天子が政治を行なう内朝・治朝・燕朝(路寝)の三つの政庁をいう。
    1. [初出の実例]「臣学慙一物、勤欠三朝、生長深宮」(出典:日本後紀‐大同四年(809)四月戊寅)
    2. [その他の文献]〔礼記注‐玉藻〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三朝」の意味・わかりやすい解説

三朝(町)
みささ

鳥取県中央部、東伯(とうはく)郡にある町。1953年(昭和28)三朝、旭(あさひ)、竹田(たけだ)、小鹿(おしか)、三徳(みとく)の5村が合併して町制施行。国道179号、482号が通じる。中国山地に位置し、天神川支流の谷奥には落人(おちゅうど)伝説のある集落や、かつての木地屋集落、たたら集落がある。岡山県境の人形峠堆積(たいせき)型ウラン鉱床の埋蔵地として有名。三朝温泉のほか三徳山(国の名勝史跡)、小鹿渓(国名勝)などの観光資源に富み、三朝温泉南部の溶岩台地は三朝高原として開発され、高原道路が通じ、ゴルフ場(2014年閉鎖)などがある。三徳山にある三仏寺(さんぶつじ)は706年(慶雲3)に開かれたと伝えられる天台宗の寺で、奥院(投入堂)は国宝に、納経(のうきょう)堂などが国の重要文化財に指定されている。花倉山のヒノキ・ホンシャクナゲ群落は県の天然記念物。「さいとりさし」は県の無形民俗文化財。面積233.52平方キロメートル、人口6060(2020)。

[岩永 實]

『『三朝町誌』全2巻(1965、1968・三朝町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「三朝」の意味・わかりやすい解説

三朝[町] (みささ)

鳥取県中部,東伯郡の町。人口7015(2010)。西は倉吉市に,南は岡山県に接する。周囲を山地に囲まれ,町域の大部分は山林である。中心集落の三朝は,三徳(みとく)川に沿った古くからの温泉地として知られてきた。三朝温泉は泉温40~85℃の放射能泉で,ラジウム含有量は世界一である。付近に三朝高原,小鹿渓,三徳山(900m)などの景勝地もあり,年間観光客は100万人を超える。三徳山は古くから霊山として信仰され,修験の道場となっていた。その山腹には天台宗の三仏寺がある。山林資源に恵まれていたため,かつては木地師集落も数多く立地していた。また風化花コウ岩が広く分布するため,町域を流れる竹田川,三徳川の上流域ではたたら製鉄の鉄穴(かんな)流しが盛んに行われた。ウラン鉱で名高い人形峠が町の南部にあり,ここを通る国道179号線は,山陰・山陽の連絡路としての役割を果たしている。
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百科事典マイペディア 「三朝」の意味・わかりやすい解説

三朝[町]【みささ】

鳥取県中部,東伯(とうはく)郡の町。中心は天神川の支流三朝川の段丘上に発達した温泉集落。三朝温泉は単純放射能泉,40〜85℃,ラジウム含有量は全国一で国民保養温泉。倉吉市からバス。小鹿渓(おじかけい)(名勝),三徳山(みとくさん),人形峠がある。233.52km2。7015人(2010)。

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普及版 字通 「三朝」の読み・字形・画数・意味

【三朝】さんちよう

元旦。

字通「三」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の三朝の言及

【宮廷】より

…【二宮 宏之】
【中国】
 中国では,宮廷というのは帝王の居処のことであり,宮庭とも書かれ,〈朝廷〉〈宮闕(きゆうけつ)〉あるいは単に〈朝〉〈闕〉といわれ,しばしば商品交易の場である〈〉と対して呼ばれた。《周礼(しゆらい)》考工記によれば,国都を造営する際には,中央に王宮をおき,東に宗廟,西に社稷(しやしよく),前方つまり南に〈朝〉,後方つまり北に〈市〉を設けたし,《周礼》全体の記述からみると,天子には三朝があったことになり,路門より内側を天子の日常起居する場所である燕朝といい,路門外,応門内を天子が毎日臨御して政事をみる場所たる治朝といい,応門外,皋門(こうもん)内を朝士が政事をつかさどる場所たる外朝といったとされ,全体を内朝と外朝とに二大別するときは燕朝と治朝をあわせて内朝といったのである。 秦・漢以後の歴代の宮廷つまり朝廷が,《周礼》に記述されていたとおりの構造をもっていたわけではないが,大綱においては,その構想は尊重されていたとみてよい。…

【三朝[町]】より

…周囲を山地に囲まれ,町域の大部分は山林である。中心集落の三朝は,三徳(みとく)川に沿った古くからの温泉地として知られてきた。三朝温泉は泉温40~85℃の放射能泉で,ラジウム含有量は世界一である。…

※「三朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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