三木 清(読み)ミキ キヨシ

20世紀日本人名事典 「三木 清」の解説

三木 清
ミキ キヨシ

昭和期の哲学者,評論家,思想家



生年
明治30(1897)年1月5日

没年
昭和20(1945)年9月26日

出生地
兵庫県揖保郡西村(現・龍野市)

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部哲学科〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
龍野市名誉市民〔平成10年〕

経歴
京都帝国大学で西田幾多郎、波多野精一らに学ぶ。大正11年独仏に留学し、ハイデルベルク大学リッケルトマールブルク大学ハイデッガーの教えを受ける。カールマンハイムや羽仁五郎、大内兵衛らとの交友西欧マルクス主義開眼。14年帰国。同年三高講師を経て、昭和2年法政大学教授。岩波文庫創刊に協力し、3年盟友羽仁五郎と「新興科学の旗の下に」を発刊。また同年の「唯物史観と現代の意識」は社会主義と哲学との結合について知識人に大きな影響を与え、マルクス主義哲学者として注目をあつめた。5年共産党に資金を提供した容疑で治安維持法違反に問われ検挙、投獄中に教職を失い著作活動に入る。以後マルクス主義から一定の距離を保ち、実在主義と宗教への関心を示し、やがて西田哲学親鸞の研究に移った。この間反マルクス派とはならずにジャーナリズムの場で時代と文化の批判を展開、ファシズム軍国主義に抗して“新しいヒューマニズム”を主張。13年には近衛文麿ブレーンとして結成された昭和研究会に参加、体制内抵抗の道を摸索したが挫折。17年陸軍に徴用され報道班員としてマニラに派遣。19年友人の共産主義者を自宅にかくまったことから、20年3月再度の治安維持法違反容疑で投獄、同年9月獄死。未完の遺稿に「親鸞」がある。主著に「パスカルに於ける人間の研究」「歴史哲学」「構想力の論理」(全2巻)「哲学ノート」「人生ノート」のほか、「三木清著作集」(全20巻 岩波書店)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「三木 清」の解説

三木 清 (みき きよし)

生年月日:1897年1月5日
昭和時代の哲学者;評論家;思想家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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