丹後ちりめん(丹後縮緬)(読み)たんごちりめん

世界大百科事典 第2版の解説

たんごちりめん【丹後ちりめん(丹後縮緬)】

丹後国(京都府)に産する染め加工下地の白ちりめん。生地に立体的な美しさを出す(しぼ)は,強撚の緯糸を用いて織り,それを練して生じさせる。丹後はもともと精好(せいごう),つむぎなどを産していたが,18世紀前半に京都の西陣から技法を導入し,宮津藩峰山藩,久美浜代官所3領下の町村で盛んにちりめんを生産するようになった。奥州福島糸を原料としたちりめんは株仲間を組織する京問屋へ飛脚によって送られ,染色・加工のうえ委託販売に付された。

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世界大百科事典内の丹後ちりめん(丹後縮緬)の言及

【絹織物】より

…こうした需要拡大を背景に,18世紀に入ると西陣の技術が各地へ伝えられて地方機業が発展するようになる。丹後地方では1719年(享保4)と22年に西陣の縮緬製織の技術を習い帰った者たちが丹後縮緬をつくりはじめ,その技術は52年(宝暦2)に近江長浜へも伝えられて長浜縮緬の生産が開始された。また関東の桐生織物にも1738年(元文3)に西陣織物師弥兵衛により高機技術が導入され,しだいに高級織物が生産されるようになった。…

【丹後国】より

…この制度は明治初年の土地私有制度の施行とともに大部分消滅した。 丹後縮緬(ちりめん)の創業地は,与謝郡加悦谷地方(現,加悦町と野田川町)と中郡峰山(現,峰山町)の2ヵ所で,いずれも1720年ころ京都西陣より技術を修得し副業として始めたが,その普及は著しく,文久年間(1861‐64)には869機を数えた。企業の規模はいずれも零細で,掛機・歩機のかたちで親方機屋に依存していた。…

【峰山[町]】より

…1622年(元和8)京極高知の子高通が峰山に分封され,以後,峰山藩(1万石)の陣屋町として発展した。18世紀初めごろから縮緬(ちりめん)機業が盛んになり,与謝郡加悦谷(かやだに)とともに丹後縮緬の創業地とされる。藩の奨励もあって縮緬屋仲間が結成され,機株と鑑札が定められたりした。…

※「丹後ちりめん(丹後縮緬)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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