「延喜式」神名帳の吉野郡に「丹生川上神社名神大、月次新嘗」とみえる。天武天皇四年「不聞人声之深山吉野丹生川上、立我宮柱以敬祀者、為天下降甘雨止霖雨」との神宣によって創祀されたと伝える(二十二社註式)。「続日本紀」天平宝字七年(七六三)五月二八日条に「奉幣帛于四畿内群神、其丹生河上神者加黒毛馬、旱也」、「延喜式」臨時祭に「丹生川上社、貴布禰社各加黒毛馬一疋、(中略)其霖雨不止祭料亦同、但馬用白毛、凡奉幣丹生川上神者、大和社神主随使向社奉之」、「大倭神社註進状」に「此神者雨師神也祈雨止霖雨奉幣」とある。古来朝廷の崇敬厚く、弘仁九年(八一八)従五位の神階を授けられ(「日本紀略」同年四月二四日条)、以後累進して寛平九年(八九七)には従二位に進んだ(大倭神社註進状)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県吉野郡に鎮座し,3社にわかれる。古くは1社であった。上社は川上村迫に鎮座し,高龗(たかおかみ)神をまつり,中社は東吉野村小(おむら)に鎮座し,罔象女(みずはのめ)神をまつり,下社は下市町長谷に鎮座し,闇龗(くらおかみ)神をまつる。創建年代不詳。丹生の川上にあって,古くより水神,雨師神,雨乞いの神として信仰され,763年(天平宝字7)より応仁の乱ころまでに,朝廷の祈雨・止雨の祈願約100回が記録されており,平安時代には京都の貴船神社とともに,祈雨には黒馬を献じ,止雨には白馬を献じて祈願されるのを例とした。773年(宝亀4)封戸4烟を寄せられ,818年(弘仁9)従五位下,897年(寛平9)従二位に叙され,延喜の制で名神大社,月次,新嘗の官幣をうけ,平安末期には二十二社の一とされた。中世以降しだいに衰微し,ついにその社地すら知られなくなったが,近世初頭,現在の下社の地が旧社地として復興した。しかし,明治になり,《類聚三代格》にみえる895年の太政官符の四至より,上社の地を本来の地とし,さらに大正に入り,中社の地を本来の地と比定,現在のごとくまつることとした。旧官幣大社。例祭は上社10月8日,中社10月16日,下社6月1日,10月14日。中社に〈丹生社,弘長三年〉銘,すなわち1263年造の石灯籠1基がある。
執筆者:鎌田 純一
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奈良県吉野郡に鎮座し、現在、上(かみ)・中(なか)・下(しも)三社に分かれる。上社は川上村大字迫(さこ)。祭神は高龗(たかおかみ)神。例祭10月8日。中社は東吉野村小(お)。祭神は罔象女(みずはのめ)神。例祭10月16日。下社は下市(しもいち)町長谷(ながたに)。祭神は闇龗(くらおかみ)神。例祭6月1日、10月14日。朝廷のあった大和(やまと)盆地の水源地に位置した本社は、古来、水神・雨乞(あまご)いの神として信仰され、奈良時代以降応仁(おうにん)の乱までの間、100回余の朝廷の祈雨・止雨の祈願があり、延喜式内名神(えんぎしきないみょうじん)大社に列し、二十二社の一つでもあった。中世以降は衰微し、社地も不明となったが、江戸期に現在の下社が旧社地とされ、明治になって現上社が、さらに1923年(大正12)現中社が本来の社地と比定され、これら三社を合して一社として官幣大社となった。45年(昭和20)終戦以降は各社それぞれ独立の宗教法人となった。
[牟禮 仁]
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…奈良県吉野郡に鎮座し,3社にわかれる。古くは1社であった。上社は川上村迫に鎮座し,高龗(たかおかみ)神をまつり,中社は東吉野村小(おむら)に鎮座し,罔象女(みずはのめ)神をまつり,下社は下市町長谷に鎮座し,闇龗(くらおかみ)神をまつる。創建年代不詳。丹生の川上にあって,古くより水神,雨師神,雨乞いの神として信仰され,763年(天平宝字7)より応仁の乱ころまでに,朝廷の祈雨・止雨の祈願約100回が記録されており,平安時代には京都の貴船神社とともに,祈雨には黒馬を献じ,止雨には白馬を献じて祈願されるのを例とした。…
※「丹生川上神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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