丹絵(読み)タンエ

デジタル大辞泉 「丹絵」の意味・読み・例文・類語

たん‐え〔‐ヱ〕【丹絵】

墨摺すみずりに、丹の朱色を主として緑や黄などを筆で彩色した浮世絵浮世絵版画初期のもので、延宝年間(1673~1681)末ごろからみられる。

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精選版 日本国語大辞典 「丹絵」の意味・読み・例文・類語

たん‐え‥ヱ【丹絵】

  1. 〘 名詞 〙 墨の一色刷りの上に丹・黄・緑などを筆で彩色した浮世絵。貞享一六八四‐八八)ごろから正徳一七一一‐一六)ごろまで流行、のち紅絵漆絵にとってかわられた。師宣派、初期鳥居派などの作品に傑作が多い。江戸後期、紅絵・紅摺絵と混同されたが、現在の研究でははっきり区別して扱っている。

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百科事典マイペディア 「丹絵」の意味・わかりやすい解説

丹絵【たんえ】

墨摺絵(すりえ)の上におもに丹色を筆で施した浮世絵版画。単純だが素朴で力強い賦彩が受け,17世紀末から18世紀末に流行した。菱川師宣鳥居清信鳥居清倍(きよます)や懐月堂派懐月堂安度)の画家たちが描き,特に清倍の《市川団十郎の竹抜五郎》が名高い
→関連項目漆絵奥村政信

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹絵」の意味・わかりやすい解説

丹絵
たんえ

浮世絵版画の筆彩色の様式名。墨摺絵(すみずりえ)に、丹(に)(あかい色)を主調黄土なども用いて筆彩色したもの。浮世絵版画のごく初期、1680年(延宝8)ごろからみられるが、最盛期は1690年(元禄3)ごろから約30年間である。杉村治兵衛(じへえ)、鳥居清信(きよのぶ)、鳥居清倍(きよます)、奥村政信(まさのぶ)や懐月堂(かいげつどう)派の絵師遺品が多く、とくに清倍、政信の1710年代の作品にその典型をみることができる。大まかに潤沢に置かれた丹の深みのある発色は、初期版画の単純にして雄強な描線とみごとに調和し、芸術性は高い。1720年(享保5)ごろになると、主色の丹を紅(べに)にかえた紅絵に移行する。

[浅野秀剛]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹絵」の意味・わかりやすい解説

丹絵
たんえ

浮世絵用語。墨摺絵 (すみずりえ) に丹 (紅殻) を主色として緑,黄,藍などの簡単な色を加え,筆彩色した一枚絵の浮世絵。延宝~天和頃から貞享,元禄,宝永,正徳頃に流行。主要作品は鳥居清信筆『筒井吉十郎の槍踊』,鳥居清倍筆『義経と静』,奥村政信筆『七夕祭』『劇場図』など。

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世界大百科事典(旧版)内の丹絵の言及

【浮世絵】より

…横長の画面でしかも十数枚の組物という形式に,なお木版絵本のころの名残を濃厚にとどめながら出発した浮世絵版画は,師宣最晩年の元禄年間(1688‐1704),彼とほぼ同世代の杉村治兵衛や後進の鳥居清信,清倍(きよます)らによって,一枚の版画単独で表現を完結する〈一枚絵〉が成立させられる。
[丹絵]
 一枚絵の独立とともに起こった形式上の変化は,サイズの大型化とそれにともなう描線と彩色の強化である。版画表現の充実が期待されて,標準の判型は美濃紙大判の全紙にさらに若干(全紙の1/3~1/6)を貼り継いだ大々判(約30~33cm×55~65cm)にまで拡大された。…

※「丹絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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