江戸中期の浮世絵師。歌舞伎絵を専門として現代までつづく鳥居派の始祖。俗称庄兵衛。大坂に生まれ,1687年(貞享4)に父清元とともに江戸へ下り,難波町に住む。清元は近藤庄七と称し,女方役者でありながら絵をたくみにしたため芝居の看板絵などを描いており,その関係で清信も歌舞伎関係の作画の機会を与えられることとなった。絵の師は清元とも,鳥居清高(伝歴不詳)ともいう。浮世絵師としての本格的な活躍は1697年(元禄10)ころから始まり,木版絵本に,あるいは墨摺絵や丹絵の一枚絵に,役者や遊女の大柄な姿絵を背景もほとんどなしに描き出してみせた。ことに,荒事(あらごと)を演ずる立役には〈瓢簞足(ひようたんあし),蚯蚓描(みみずがき)〉という誇張した筋肉表現や肥瘦の変化の大きな描線を用い,鳥居派のお家芸として定着させた。浮世絵の人物画像を洗練させ,役者絵と美人画という二大ジャンルを確立させた功績は大きい。代表作に版本として《風流四方屛風》と《娼妓画牒(けいせいえほん)》(ともに1700刊),一枚絵として《上村吉三郎の女三の宮》などがある。なお,2世清信(1702-52・元禄15-宝暦2)は初世清信の三男。紅摺絵における清信署名は2世である。
執筆者:小林 忠
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江戸中期の浮世絵師。鳥居派の始祖で、鳥居家初代当主。生没年については異説もある。俗称庄兵衛。父の清元とともに1687年(貞享4)大坂から江戸に下り、まもなく江戸四座の芝居看板を描くようになったと伝えるが、今日確実に画歴をたどれるのは1697年(元禄10)からである。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、杉村治兵衛風を消化して新様をくふうし、役者絵・美人画双方に妙技を振るったが、とりわけ一枚摺(ずり)の役者絵を創始した功績は大きい。また瓢箪足(ひょうたんあし)・蚯蚓描(みみずがき)とよばれる芝居看板にふさわしい躍動的な描法を編み出し、鳥居派の基礎を形づくった。代表作は一枚絵の『沢村小伝次の露の前』『上村(かみむら)吉三郎の女三の宮』、版本の『風流四方屏風(びょうぶ)』『娼妓画牒(けいせいえほん)』(ともに1700刊)など。
なお2代清信(生没年未詳)は初代の子と推定され、1720年代から1760年ごろまで役者絵を中心に活躍した。また、清信を名のったのは3人以上いたとの説もある。
[浅野秀剛]
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1664~1729.7.28
江戸前期の浮世絵師。俗称庄兵衛。大坂生れ。1687年(貞享4)女方役者の父清元とともに江戸に下り,歌舞伎界と結びついて絵看板を描き始めたと伝えられる。97年(元禄10)頃から仮名草子・絵入狂言本などの挿絵,また「瓢箪足蚯蚓描(ひょうたんあしみみずがき)」の描法で役者絵の一枚絵を描き,役者絵界での地位を確立して,現代まで続く鳥居家の初代となる。
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…撃鉦(どらうつ)先生作。鳥居清信画。1728年(享保13)刊。…
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