鳥居清信(読み)トリイキヨノブ

デジタル大辞泉 「鳥居清信」の意味・読み・例文・類語

とりい‐きよのぶ〔とりゐ‐〕【鳥居清信】

[1664~1729]江戸中期浮世絵師初世大坂の人。俗称、庄兵衛。鳥居派の祖。父清元とともに江戸に移る。瓢箪足ひょうたんあし蚯蚓描みみずがきとよばれる躍動的な描法を創始して豪快な役者絵確立。また、美人画にもすぐれた。

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精選版 日本国語大辞典 「鳥居清信」の意味・読み・例文・類語

とりい‐きよのぶ【鳥居清信】

  1. 江戸中期の浮世絵師。大坂の人。俗称庄兵衛。鳥居派の初代。初め菱川師宣に私淑したが、しだいに芝居小屋看板絵に適した大まかな、肥痩の強い描線による独自の画法、いわゆる瓢箪(ひょうたん)足・蚯蚓(みみず)描きという豪放な筆致による役者絵を創案。また、美人画にもすぐれる。代表作「沢村小伝次の露の前」「上村吉三郎女三の宮」など。寛文四~享保一四年(一六六四‐一七二九

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥居清信」の意味・わかりやすい解説

鳥居清信 (とりいきよのぶ)
生没年:1664-1729(寛文4-享保14)

江戸中期の浮世絵師。歌舞伎絵を専門として現代までつづく鳥居派の始祖。俗称庄兵衛。大坂に生まれ,1687年(貞享4)に父清元とともに江戸へ下り,難波町に住む。清元は近藤庄七と称し,女方役者でありながら絵をたくみにしたため芝居の看板絵などを描いており,その関係で清信も歌舞伎関係の作画の機会を与えられることとなった。絵の師は清元とも,鳥居清高(伝歴不詳)ともいう。浮世絵師としての本格的な活躍は1697年(元禄10)ころから始まり,木版絵本に,あるいは墨摺絵や丹絵の一枚絵に,役者や遊女の大柄な姿絵を背景もほとんどなしに描き出してみせた。ことに,荒事(あらごと)を演ずる立役には〈瓢簞足(ひようたんあし),蚯蚓描(みみずがき)〉という誇張した筋肉表現や肥瘦の変化の大きな描線を用い,鳥居派のお家芸として定着させた。浮世絵の人物画像を洗練させ,役者絵と美人画という二大ジャンルを確立させた功績は大きい。代表作に版本として《風流四方屛風》と《娼妓画牒(けいせいえほん)》(ともに1700刊),一枚絵として《上村吉三郎の女三の宮》などがある。なお,2世清信(1702-52・元禄15-宝暦2)は初世清信の三男紅摺絵における清信署名は2世である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥居清信」の意味・わかりやすい解説

鳥居清信
とりいきよのぶ
(1664―1729)

江戸中期の浮世絵師。鳥居派の始祖で、鳥居家初代当主。生没年については異説もある。俗称庄兵衛。父の清元とともに1687年(貞享4)大坂から江戸に下り、まもなく江戸四座の芝居看板を描くようになったと伝えるが、今日確実に画歴をたどれるのは1697年(元禄10)からである。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、杉村治兵衛風を消化して新様をくふうし、役者絵・美人画双方に妙技を振るったが、とりわけ一枚摺(ずり)の役者絵を創始した功績は大きい。また瓢箪足(ひょうたんあし)・蚯蚓描(みみずがき)とよばれる芝居看板にふさわしい躍動的な描法を編み出し、鳥居派の基礎を形づくった。代表作は一枚絵の『沢村小伝次の露の前』『上村(かみむら)吉三郎の女三の宮』、版本の『風流四方屏風(びょうぶ)』『娼妓画牒(けいせいえほん)』(ともに1700刊)など。

 なお2代清信(生没年未詳)は初代の子と推定され、1720年代から1760年ごろまで役者絵を中心に活躍した。また、清信を名のったのは3人以上いたとの説もある。

[浅野秀剛]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥居清信」の意味・わかりやすい解説

鳥居清信
とりいきよのぶ

[生]寛文4(1664).大坂
[没]享保14(1729).7.28. 江戸
江戸時代中期の浮世絵師。鳥居家初代。鳥居清元の子。名は庄兵衛。貞享4 (1687) 年一家とともに江戸へ移住。父が元禄3 (90) 年,市村座の看板絵で好評を博し,鳥居派と歌舞伎との現代にいたるまでの関係が始る。清信は父に学び,さらに菱川師宣の画風を取入れながら役者絵 (→芝居絵 ) を描き続け,「瓢箪 (ひょうたん) 足,蚯蚓 (みみず) がき」という豪放な画風で荒事を描き,鳥居風の役者絵を作り上げた。ほかに美人画,秘戯画,絵本,肉筆画にもすぐれた。主要作品『筒井吉十郎の槍踊』『立美人』,肉筆画『傘を持つ美人』,役者絵本『風流四方 (よも) 屏風』 (1700) ,洒落本『艶詞両巴巵言 (いろことばりょうはしげん) 』 (25) 。なお清信の3男庄兵衛 (02~52) は清信2世となり,柔軟な作風を示した。清信と署名された紅摺絵 (べにずりえ) はすべて2世の作。

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百科事典マイペディア 「鳥居清信」の意味・わかりやすい解説

鳥居清信【とりいきよのぶ】

江戸中期の浮世絵師。鳥居派の初代。通称庄兵衛。大坂に生まれ,1687年父清元とともに江戸に下った。役者絵に〈瓢箪足〉〈みみずがき〉と呼ばれる雄渾(ゆうこん)な様式を開き,鳥居派の基礎を築いた。墨線の美しさを誇るふくよかな立美人の優品も残している。2世清信〔1702-1752〕はその三男といわれる。
→関連項目丹絵鳥居清倍役者絵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥居清信」の解説

鳥居清信(初代) とりい-きよのぶ

1664-1729 江戸時代前期-中期の浮世絵師。
寛文4年生まれ。初代鳥居清元(きよもと)の次男。鳥居派の始祖で鳥居家初代。父と大坂から江戸にうつり,芝居の看板絵をかく。一枚摺(ず)りの役者絵を考案し,瓢箪足(ひょうたんあし),蚯蚓描(みみずがき)という鳥居派独自の画法を創造。美人画にもすぐれた。享保(きょうほう)14年7月28日死去。66歳。通称は庄兵衛。代表作に「上村吉三郎の女三の宮」「風流四方屏風(びょうぶ)」。

鳥居清信(2代) とりい-きよのぶ

?-1752 江戸時代中期の浮世絵師。
初代鳥居清信の3男。2代鳥居清倍(きよます)と同一人物説もある。享保(きょうほう)14年父の死後2代を襲名,役者絵のほか草双紙の挿絵をかいた。宝暦2年6月1日死去。享年は51歳とも,54歳ともいわれる。宝暦10年まで清信と署名された作品があり,その名は複数の絵師によって使用されていたとみられる。通称は庄兵衛。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鳥居清信」の解説

鳥居清信
とりいきよのぶ

1664~1729.7.28

江戸前期の浮世絵師。俗称庄兵衛。大坂生れ。1687年(貞享4)女方役者の父清元とともに江戸に下り,歌舞伎界と結びついて絵看板を描き始めたと伝えられる。97年(元禄10)頃から仮名草子・絵入狂言本などの挿絵,また「瓢箪足蚯蚓描(ひょうたんあしみみずがき)」の描法で役者絵の一枚絵を描き,役者絵界での地位を確立して,現代まで続く鳥居家の初代となる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鳥居清信」の解説

鳥居清信
とりいきよのぶ

1664〜1729
江戸前・中期の浮世絵師。鳥居派の開祖
大坂の人。父清元に画を習い家業である芝居の看板絵や役者絵を描いて,力ある描線と重厚な色彩で好評を得た。演劇との関係上世襲となり,看板絵は鳥居派の典型的描法が受け継がれた。代表作に『立美人』『傘持美人』など。

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世界大百科事典(旧版)内の鳥居清信の言及

【両巴巵言】より

…撃鉦(どらうつ)先生作。鳥居清信画。1728年(享保13)刊。…

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