江戸中期の浮世絵師。初代と2代がある。
生没年未詳。鳥居派の始祖・初代鳥居清信と並び称される初期鳥居派の代表的絵師。清信の子とされるが確証はなく、兄弟あるいは同一人ともいわれる。1710年(宝永7)ごろから本格的に活躍、15年(正徳5)ごろを頂点として、清信様式を発展させた勇壮感に満ちた役者絵、洗練された優美な美人画を多作した。そのほとんどは丹絵(たんえ)とよばれる筆彩色作品で、代表作に『市川団十郎の竹抜き』、『草摺引(くさずりびき)』『暫(しばらく)』『象引(ぞうひき)』『遊女と禿(かむろ)』などがある。20年ごろに早世したものと推測される。
[浅野秀剛]
生没年未詳だが、一説に1706―63年。初代清信の養子(女婿、実子説もある)で、鳥居家2代目当主とされる絵師。初代清信・初代清倍没後、2代清信とともに鳥居派の中心として、紅絵、漆絵、紅摺(べにずり)絵に活躍した。
[浅野秀剛]
江戸中期の浮世絵師。生没年不詳。元禄(1688-1704)末年から享保(1716-36)初年にかけての18世紀初頭,役者絵や美人画,花鳥画の版画(墨摺絵,丹絵)に,多くの傑作を生んだ。荒事(あらごと)歌舞伎の豪放な演技を写すにふさわしい〈瓢簞足(ひようたんあし),蚯蚓描(みみずがき)〉と呼ばれる描法は,清倍の創案にかかるかと推定され,役者絵を専門とする鳥居派の様式形成に大きく貢献した。鳥居家初代の清信との関係は明らかでなく,兄弟あるいは息子,さらに同一人とみる説もある。代表作に《市川団十郎の竹抜五郎》(大々判丹絵,東京国立博物館),《金太郎と熊》(大々判丹絵,ホノルル美術館)などがある。なお,最近では,鳥居家2代をついだ清倍は,初世清信の長女に入婿したといわれる2世清倍(1706-63・宝永3-宝暦13)とみる説が有力である。享保後半から宝暦(1751-64)にかけて漆絵,紅摺絵による細判の役者絵を多く描いた。
→鳥居派
執筆者:小林 忠
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(浅野秀剛)
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