日本経済の構造的特質を表すことばで、有沢広巳(ひろみ)によって初めて用いられ、1957年(昭和32)の『経済白書』によって一般化した。そこでは、日本経済には一方に近代的大企業が、他方に前近代的小企業・家業的零細企業と農業が併存しており、両者間の賃金・所得格差がきわめて大きく、一国のうちに先進国と後進国との二重構造が存在するに等しいから、経済の近代化と成長によってその解消を図るべきであるとした。
これに対して宮沢健一は、1957年の「中小企業総合基本調査」の分析から、二重構造の背後に間接金融方式があることを明らかにした。すなわち、企業規模別賃金格差の背後には、賃金支払能力を示す付加価値生産性の格差があり、それは資本集約度(従業員1人当り有形固定資産額)つまり投下資本量の格差によるものであり、さらにそれは設備投資資金調達能力の格差に依存する。そして戦後日本の高度成長を資金面で支えたのは間接金融方式、つまり設備資金を主として金融機関から調達する方式であったから、大企業は低利・大量・長期に設備資金を調達できた反面、貸倒れの危険のある中小企業は高利・小量・短期にしか設備資金を調達できず、この差が前記の各格差を生んだとする。これが資本集中仮説である。
しかし、この各種格差は、高度成長期を通じてしだいに縮小していった。それは、1960年ごろから若手労働力不足が発生し、中小企業が大企業よりも賃上げ率を高めたことによる。この中小企業の支払能力向上は、(1)企業努力によって設備資金を調達して資本集約度・生産性を高めた、(2)製品価格を上げて付加価値生産性を高めた、(3)どちらもできぬ企業は統計から消えた、という過程によったものである。(2)は、生産性上昇率が大企業より劣る中小企業が、その製品価格を上げて、見かけ上の付加価値生産性を高めたもので、これが高度成長期のインフレーションであり、高須賀義博はこれを生産性上昇率格差インフレとよんだ。
こうして二重構造は解消しつつあるようにみえたが、オイル・ショックはこの方向を逆転させた。いま全産業の法人企業統計でみると、各種格差(大企業を中小企業で割った値)がもっとも縮小したのは1975年度で、その後、人件費と付加価値生産性の格差は拡大し続けている。資本集約度格差だけは縮小しているが、これは、大企業が資本蓄積によって金融機関から借り入れなくなり、中小企業の借入れが容易になったこと、すなわち間接金融方式が変容したことに基づく。しかし、資本集約度格差縮小が付加価値生産性格差縮小にならないのは、低成長=需要低滞のため、中小企業が製品価格を上げられなくなったことが大きい。こうして人件費格差は拡大し続けており、低成長=二重構造拡大の将来が予想されるが、これは中間階層意識の縮小、階級意識・差別意識の増大をもたらすと考えられる。
[一杉哲也]
『経済企画庁経済研究所編『資本構造と企業間格差』(1960・大蔵省印刷局)』▽『高須賀義博著『現代日本の物価問題』(1972・新評論)』▽『清水嘉治・丸尾直美編『成熟の日本経済I』(1983・中央経済社)』
一つの社会の中に,近代的要素と前近代的要素とが,それぞれ無視しえない比重をもって同時に存在している状態をいう。この概念を生み出す直接のきっかけとなった現象は,大企業と小企業との間に存在する労働生産性および賃金水準の著しい格差である。大企業は,先進工業国で開発された最新鋭の資本設備を導入し,高い労働生産性を実現する。これに対して小企業では,伝統的な生産方法が用いられ,労働能率はきわめて低い。この生産力の開差を反映して,大企業と小企業との間に大幅な賃金格差が形成される。
もし労働市場が十分に競争的なら,労働者は賃金の低い企業から高い企業へ移動するので,企業間の賃金格差は,労働の質的差異に対応する部分を除いて,消滅してしまうはずである。しかし,大企業と小企業との間で労働市場は分断されており,自由な移動は行われえない。大企業は,新規学卒労働者を採用し,企業内訓練によって近代的設備の操作に習熟した熟練工を養成する。賃金は熟練度に見合って形成され(年功賃金),熟練養成に投じた訓練費用が全部回収されるまで,彼らは雇用されつづける(終身雇用制度)。そのため,大企業労働者の労働市場は閉鎖的とならざるをえない。かくして,大企業から小企業への下降移動は容易だが,逆方向の上向移動は一般に困難である。労働市場のこの階層性のために,賃金格差は長期的に持続しうるものと考えられた。
近代的工業部門と半封建的零細耕作との対比,生産水準と生活水準との離反,あるいは伝統的文化と西洋文明との融合せざる共存,等の指摘の中に,二重構造の発想はすでに存在していたといってよい。しかし,二重階層的構造という用語をはじめて用い,人々の関心をこの方面に向けた最初の人は,有沢広巳であるといわれている。雑誌《世界》(1957年3月号)に掲載された論文の中で有沢は,神武以来の好況にもかかわらず,低賃金・低所得層がますます増えている事実を強調した。そのため,彼の議論全体には,二重構造の解消をきわめて困難とみる悲観的展望の色彩が濃厚である。だが,第2次大戦後の高度成長過程を通じて,規模間賃金格差が急速に縮小し,低所得者層が減少に向かったことは,今ではよく知られている事実である。なおその後,1957年の《経済白書》が二重構造を取り上げ,以降,この用語は急速に普及した。
二重構造概念に対する批判として,〈傾斜構造〉を力説する立場がある。発展途上国によくみられるように,伝統的社会の中に超近代的大企業が孤立的に君臨する場合には,文字どおり経済の二重構造を語ることができる。しかし,日本について生産性や賃金を規模間で比較すると,大企業から小企業にかけて連続的な格差が観察でき,上に述べた発展途上国の事例とは明らかに異なる。確かに,日本の場合,事実の表現としては〈傾斜構造〉のほうがより正確である。だが,異質的要素の同時併存状態を鋭く特徴づけるものとして,二重構造はやはり魅力ある概念といってよいだろう。
執筆者:小野 旭
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…そのため,おもに中小企業では農村部の中学校,高等学校の新規卒業者の採用に力を入れ,毎年春には集団就職列車が東北,九州などから東京,大阪へと走った。大企業と比べて著しく低賃金であった中小・零細企業では,それでは必要な労働力を確保できないことから大幅賃上げをするなど,とくにそれまでの低賃金部門で賃金が急上昇するという形で,企業規模別の賃金格差は急速に縮小し,いわゆる二重構造の解消が進んだ。しかし,賃金が急上昇しながら,生産性の上昇が伴わないときには,生産コストは上がり,それは製品価格に転嫁される。…
※「二重構造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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