改訂新版 世界大百科事典 「五山十刹諸山」の意味・わかりやすい解説
五山・十刹・諸山 (ござんじっせつしょざん)
禅林(禅宗寺院)の官寺制度における3段階からなる寺格で,五山を最高位とする。官僚階級との接近をみた中国宋代の禅林は,一般社会の官僚機構を禅林運営に導入して官寺制度を確立し,インドの五精舎・十塔所にちなんだといわれる五山・十刹は南宋代に設定された。最上位の5ヵ寺の禅寺である五山は,径山(きんざん)興聖万寿禅寺,北山景徳霊隠(りんにん)禅寺,太白山天童景徳禅寺,南山浄慈(じんず)報恩光孝禅寺,阿育王山広利禅寺で,五山に次ぐ十刹は永祚寺,万寿寺,興国寺,光孝寺,資聖寺,竜翔寺,崇聖寺,宝林寺,雲岩寺,教忠寺の10ヵ寺である。十刹の下位が諸山で,中国では甲刹(かつさつ)と称し南宋末から元初にかけて各州に設定され,35ヵ寺を数えた。
この中国禅林の官寺制度が日本に移入されるのは鎌倉末期であるが,制度として確立をみるのは室町期である。五山の初見は浄智寺で,1299年(正安1)北条貞時が五山に列したものであるが,鎌倉末期には建長寺,円覚寺,寿福寺などが五山を称した。後醍醐天皇も五山改定を行い,1333年(元弘3)に大徳寺を五山の一つとなし,翌年正月26日に南禅寺を五山第一と定め,2日後には南禅・大徳両寺を同格とし,建武年間には建仁寺や東福寺も五山となっている。足利尊氏が夢窓疎石を開山に天竜寺を創建すると,41年(興国2・暦応4)足利直義は光厳上皇の院宣を得て,五山第一建長・南禅,第二円覚・天竜,第三寿福,第四建仁,第五東福,準五山浄智と各寺を定め,82年(弘和2・永徳2)足利義満の相国寺創建がなると,86年(元中3・至徳3)に五山之上南禅寺,第一天竜・建長,第二相国・円覚,第三建仁・寿福,第四東福・浄智,第五万寿・浄妙と京都五山を優位とする11ヵ寺を設定し,これが後世の五山位の基準となっている。
十刹は1334年(建武1)に五山となるまでの南禅寺が十刹位で,それが初見であり,建武年間には浄妙寺や豊後万寿寺が十刹に列せられている。室町期に入り,41年の五山位次改定とともに,鎌倉浄妙寺を第1位に10ヵ寺が定められ,79年(天授5・康暦1)足利義満は,等持寺を第1位に以下禅興寺(相模),聖福寺(筑前),東勝寺,万寿寺(以上相模),長楽寺(上野),真如寺,安国寺(以上京都),万寿寺(豊後),清見寺(駿河)を十刹,臨川寺,宝幢寺(以上京都),瑞泉寺(相模),普門寺(京都),宝林寺(播磨),国清寺(伊豆)を準十刹と定め,16ヵ寺が設定された。その後も寺数は漸増して1492年(明応1)に46ヵ寺,中世末には60ヵ寺余を数え,五山・十刹の官寺は七十数ヵ寺に達し,定数に意義があった中国禅林の制度は,日本で寺格を示すものに変わった。
諸山は寺数制限や寺格の序列がなく,1321年(元亨1)北条高時が相模崇寿寺を諸山に列したのが初見で,以後その寺数は漸増し,中世末期には大和,和泉,志摩,飛驒,佐渡,隠岐,豊前の諸地を除いて全国61ヵ国に諸山の所在が確認され,その数は230ヵ寺にも達している。
→鎌倉五山 →京都五山 →五山文学
執筆者:竹貫 元勝
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