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五条頼元 ごじょうよりもと

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

五条頼元
ごじょうよりもと

[生]正応3(1290).京都
[没]正平22=貞治6(1367).5.28. 筑前,三奈木
南北朝時代の官人,武将。清原良枝の次男。九州五条氏の祖。徳治1 (1306) 年権少外記に任じられて以来,音博士,大外記,直講を経て,延元1=建武3 (36) 年昇殿を許され,少納言,勘解由次官として後醍醐天皇に仕えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

五条頼元 ごじょう-よりもと

1290-1367 鎌倉-南北朝時代の武将。
正応(しょうおう)3年生まれ。清原氏庶流。後醍醐(ごだいご)天皇につかえ,少納言,勘解由(かげゆ)次官などを歴任。征西将軍懐良(かねよし)親王を補佐して九州におもむき,菊池氏,阿蘇氏らの豪族とともに南朝のためにつくした。貞治(じょうじ)6=正平(しょうへい)22年5月20/28日死去。78歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

五条頼元

没年:貞治6/正平22.5.20(1367.6.17)
生年:正応3(1290)
南北朝期の南朝の廷臣。一説に5月28日死亡。父は大外記清原良枝。後醍醐天皇に仕え大外記,勘解由次官などを歴任。暦応1/延元3(1338)年天皇の軍略によって皇子懐良親王を征西将軍に任じ西国に派遣したとき,特に頼元に親王の守護と教育を命じた。頼元は懐良親王と行動を共にし,伊予(愛媛県)忽那島を経て薩摩に上陸。以後,菊池,阿蘇氏らと共に北進して足利方を駆逐し,康安1/正平16(1361)年に大宰府に入城。九州における南朝勢力の隆盛に尽力した。しかし,のち懐良親王の後継として良成親王が下向したころから南朝の勢力は衰退していった。このころの頼元の動向については不明である。<参考文献>『史料纂集 五条家文書』

(小森正明)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごじょうよりもと【五条頼元】

1290‐1367(正応3‐正平22∥貞治6)
南北朝時代,南朝方の政治家。清原良枝の次男。鎌倉末期に大外記,建武新政に新設の鋳銭司次官,記録所寄人さらに勘解由次官となる。南北朝動乱期に後醍醐天皇の有力ブレーンとなり,征西将軍宮懐良親王の九州下向に随従。以後,同親王令旨の奉者として多くの文書を発給し,また九州最大の反幕府勢力たる肥後守菊池武光と組んで,征西府の隆盛を担う。【山口 隼正】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

五条頼元
ごじょうよりもと
(1290―1367)

南朝の廷臣、武将。法名無礙宗性(むげそうしょう)。大外記清原良枝の二男。母未詳。後醍醐(ごだいご)天皇に仕えて大外記、少納言(しょうなごん)、勘解由(かげゆ)次官などに歴任したが、延元(えんげん)(1336~40)のころ、天皇が足利(あしかが)氏追討の軍略から皇子懐良親王を征西将軍に任じ、西国に下向させることになり、頼元を随従させ、その守護と教育の任にあたらせた。頼元が親王らとともに瀬戸内海の忽那(くつな)島を経て、薩摩(さつま)(鹿児島県)に上陸したのは1343年(興国4・康永2)5月で、これよりのち菊池、阿蘇(あそ)らの豪族と協力して九州南軍の一翼として各地に転戦、活躍した。晩年には出家しているが、正平(しょうへい)22年5月20日筑前(ちくぜん)三奈木荘(みなきのしょう)で死没したとあり、一説には同月28日死没ともいう。その子孫の五条氏はいまも福岡県に存続している。[村田正志]

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世界大百科事典内の五条頼元の言及

【五条氏】より

…鎌倉末期以降栄えた九州の豪族。清原氏の支流。清原良枝の次男頼元を祖とする。頼元は,大外記,鋳銭司次官,記録所寄人,勘解由次官等を歴任。彼は,南北朝動乱期に入り,後醍醐天皇の有力ブレーンとなり,幼少の征西将軍宮懐良親王(後醍醐天皇の皇子)の九州下向に際して子息良氏,良遠とともに随従,九州最大の反幕府勢力肥後守菊池武光と組んで,征西府の隆盛を迎える。頼元の死後,子孫あいついで筑後国矢部の山中(現,福岡県八女郡黒木町大淵)で小豪族として菊池氏に属し,南朝の再興を画策したりした。…

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