人吉盆地(読み)ヒトヨシボンチ

デジタル大辞泉 「人吉盆地」の意味・読み・例文・類語

ひとよし‐ぼんち【人吉盆地】

熊本県南部九州山地南端に広がる構造盆地。東西約25キロメートル、面積約72平方キロメートル、盆地底の標高100~200メートル。中央部を東西に流れる球磨くま上流部にあり、南部は複合扇状地・段丘からなる台地、北部は凝灰ぎょうかいからなる丘陵が見られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「人吉盆地」の意味・わかりやすい解説

人吉盆地 (ひとよしぼんち)

熊本県南部,九州山地の中央に開けた東西約25kmの紡錘状の断層角盆地。盆地内から出土する湖水堆積物から,かつてこの盆地が湖であったことがわかる。標高100~190m。盆地中央を球磨(くま)川本流が多くの支流を集めて西流し,秋冬は霧の多い地域である。盆地内には各時代の遺跡が分布し,旧石器時代には東部の多良木町に,縄文時代には球磨川の谷底平野およびその支流にのぞむ台地の突端に人が住み,弥生時代は盆地中央のあさぎり町の旧免田町一帯が文化の中心であった。古墳時代には旧免田町才園(さいぞん)古墳群,鬼の釜古墳など多くの古墳が築かれた。平安時代後期ごろ山江村に高寺(こうじ)院,鎌倉時代には湯前(ゆのまえ)町に明導(みようどう)寺(城泉寺),多良木町に青蓮(しようれん)寺が建立され,仏教文化が花を咲かせた。鎌倉時代から明治初年までは相良(さがら)氏の支配下にあり,肥後,薩摩の二大勢力の緩衝地帯として戦乱を免れ,鎌倉時代の貴重な史跡,文化遺産が多数残っている。

 盆地南部の白髪岳(しらがだけ)断層崖の北麓に広がる複合扇状地と段丘の多くは,長い間不毛の林野であったが,球磨川から取水する百太郎溝についで18世紀初め幸野(こうの)溝の二大用水路が開かれ,南部の水田化が進んだ。明治から大正期にかけて国鉄(現JR)肥薩線,湯前線(現くま川鉄道)が開通し,以後,筑後近県からの移住者も増え,また周辺の山林資源の開発が進み,商工業も発達した。さらに第2次大戦後は,球磨川上流に多目的ダムの市房(いちふさ)ダム(1960完成。最大出力1万7400kw)の建設および百太郎溝,幸野溝の改修や延長工事が行われた。1978年には免田川上流に農業用の清願寺ダムが完成,盆地南部の開発はいっそう進み,米作を中心にタバコ,茶,果樹,メロンの栽培および畜産など多角的な経営の農村が展開する。盆地の北西部に広がる高原(たかんばる),木上(きのえ)などの古い川辺川の扇状地も長い間林野のまま放置されていたが,戦後,引揚者が入植,深井戸の水源を得て一部水田化に成功し,かつての桑園,酪農中心から高原は茶園地帯に変わり,木上台地では畜産および茶,野菜,スイカなどの栽培が行われる。また地場産業球磨焼酎,製材業のほか,繊維,電気機器,輸送機械などの工場が,豊かな水と労働力を求めて錦町を中心に,多良木町,湯前町,あさぎり町の旧岡原(おかはる)村などに立地している。人吉市を中心に免田,多良木,湯前の各駅周辺に市街地が発達し,鉄道のほか,国道219号線が通り,221号,267号,445号線を分岐する。なお,北東部の須恵(すえ)村(現,あさぎり町)は1935年J.F.エンブリ夫妻が日本農村のサンプルとして発表し,有名になった。
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百科事典マイペディア 「人吉盆地」の意味・わかりやすい解説

人吉盆地【ひとよしぼんち】

熊本県南部,九州山地中の断層角盆地。紡錘状で東西25km,面積約72km2球磨(くま)川が貫流する。灌漑(かんがい)による米のほかサツマイモ,野菜,タバコを栽培。くま川鉄道が通じ,東部に湯前,多良木の2町,中部にあさぎり町,西部に人吉市の市街がある。
→関連項目あさぎり[町]多良木[町]錦[町]免田[町]湯前[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「人吉盆地」の意味・わかりやすい解説

人吉盆地
ひとよしぼんち

熊本県南部、九州山地北部と南部の縫合部に生じたほぼ東西方向に紡錘状の形をなす断層による構造盆地。面積約72平方キロメートル、標高100~200メートル。盆底の中央を東西に流れる球磨川(くまがわ)を挟み、南部には複合扇状地・段丘からなる台地、北部には阿蘇(あそ)溶結凝灰岩からなる丘陵がみられ、いずれも導水によって耕地化が初めて可能になった。とくに南部の開田化には16世紀末から1世紀以上にわたって掘削の続けられた百太郎溝(ひゃくたろうみぞ)、幸野溝(こうのみぞ)が大きく寄与している。盆地域には人吉市ほか4町3か村があり、なかでも西部を占める人吉市は球磨地方の経済、文化の中心である。JR肥薩(ひさつ)線、くま川鉄道、および国道219号、九州自動車道が通じ、人吉インターチェンジがある。

[山口守人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人吉盆地」の意味・わかりやすい解説

人吉盆地
ひとよしぼんち

熊本県南部,球磨川中流域にある盆地。面積約 72km2九州山地に囲まれた紡錘状の断層角盆地。南は白髪岳 (1417m) の断層崖に限られ,山麓に多くの扇状地を形成。標高 100~200mの盆地床を球磨川が貫流し,秋冬は霧で有名。江戸時代に百太郎溝,幸野溝などの灌漑用水路が開かれ,盛んに開田された。現在は米作のほか野菜,メロン,ナシ,クリ,タバコなどが栽培される。球磨焼酎の本場で,釣竿を産し,銘木市も有名。酪農も行われる。各地に選択無形民俗文化財の球磨神楽などの郷土芸能が残る。

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世界大百科事典(旧版)内の人吉盆地の言及

【九州山地】より

…祖母山,傾山,市房山など大きな山は針・広葉樹の原生林におおわれ,その中の動物相も豊富であり,ニホンカモシカ,ヤマネ,キュウシュウムササビなどもかつては生息していたが,現在では確認されていない。 南部に位置する人吉盆地は九州の代表的な盆地で,その南縁の断層崖下には九州地方としては例外的に大規模な扇状地が形成され,球磨川沿いには数段の段丘が発達している。また,盆地内には北からの阿蘇山の噴出物と南からの姶良(あいら)カルデラの噴出物が堆積しており,両者の関係を知ることができる。…

【熊本[県]】より

…この線の北側つまり内帯には,東部に阿蘇山,北部に筑肥(ちくひ)山地が横たわり,北西部に東,北,南の山地から流れる菊池川,白川,緑川,球磨(くま)川などの河川が,有明海沿岸に菊池(玉名)平野,熊本平野八代平野を形成し,菊池川中流域に菊鹿盆地が開けている。またこの構造線の南側つまり外帯にあたる地域は九州山地で,V字状の渓谷と険しい山々がそびえ,球磨川中流に人吉盆地を抱いている。本土から南西に突き出た宇土半島の南西方には八代海をはさんで天草諸島が浮かぶ。…

※「人吉盆地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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