伊賀(三重県)の地侍・郷士(国衆)の出身で、忍びの術をもって、江戸幕府や諸大名に採用された者、およびその家筋の者の総称。伊賀流の者が国外に大量に流出したのは1581年(天正9)の織田信長の伊賀攻めによるが、それ以前にも狭小な国に飽き足らず自ら奉公を他国に求める者が少なくなかった。なかでも千賀(せんが)地の上忍服部(はっとり)氏は天文(てんぶん)年間(1532~1555)半三保長(はんぞうやすなが)が松平清康(家康の祖父)に仕えて以来、徳川氏と密接な関係をもち、その子半蔵正成(まさなり)は、配下の忍びを率いて勇戦を重ね、家康の側近として重用された。なかでも、家康の最大の危機の一つであった1582年(天正10)5月の泉州堺(さかい)からの脱出行、とくに鹿伏兎越(かぶとごえ)に功をたてた。これを契機に、家康は同年6月禄(ろく)1000貫をもって伊賀の郷士200人を召し抱え半蔵に付属させた。これが鳴海(なるみ)伊賀衆とよばれる伊賀組同心のおこりである。それ以後、1615年(元和1)の大坂の陣までの諸役での彼らの奮戦は『伊賀者大由緒記』(1692刊)に詳しい。半蔵正成が1596年(慶長1)死去したのち、子正就(まさなり)が後を継いだが器量に欠け、配下の伊賀同心の上訴事件もあり、1605年(慶長10)ついに改易となった。伊賀同心は足軽組頭大久保忠直(ただなお)ら4人に分割支配せられた。1618年(元和4)年寄12人が大奥御広敷番(おひろしきばん)に任用されたのをはじめ、本来の間諜(かんちょう)・隠密(おんみつ)の役から、御用明屋敷番、山普請方、山里門番などの雑用についた。1633年(寛永10)鉄炮(てっぽう)百人組が編成されると、伊賀組は与力20騎・同心100人をもって、甲賀組、根来(ねごろ)組に次ぎ三番組を称した。翌々年、江戸城拡張工事のため甲州口の拝領屋敷から後の南・北伊賀町に替地移転を命ぜられた。
一方、故地の伊賀は、1608年(慶長13)藤堂高虎(とうどうたかとら)の所領となった。高虎は、大坂夏の陣に伊賀者50人を出兵させ、役後に阿波(あわ)庄右衛門以下20人を正式の忍之衆(しのびのしゅう)に採用している。そのほか、伊賀者は前田利家(としいえ)や福島正則(まさのり)などの大名の下で活躍した。
[渡邉一郎]
伊賀国の地侍の呼称。また彼らの任じた江戸幕府の役職名。伊賀之者,伊賀衆ともいう。戦時には間諜,斥候を任務とし,平時には雑役に服した下級の士。1582年(天正10),当時上洛して泉州堺にあった徳川家康が本能寺の変に遭遇し,急きょ難をさけて領国三河に帰還する途中,その〈伊賀越〉に身辺警護の功があって召し出されたという由緒をもつ。このときに伊勢路まで供奉した者は直参に取り立てられ,鹿伏兎越(かぶとごえ)(伊賀越)まで供奉して途中から帰国した者200人は服部半蔵正成に預けられて伊賀同心と称し,のち百人組4組のうちの伊賀組や先手(さきて)の諸隊の同心となった。また彼らとは別に尾張で召し出された者があり,これらはもっぱら陣中で間諜に任じたという。この系譜を引く者がのちの大奥御広敷勤番の御広敷伊賀者,また明御殿・明屋敷勤番の明屋敷伊賀者,あるいは西の丸山里門勤番の山里伊賀者,普請場の巡視や職工の勤怠を監察する小普請方伊賀者である。その地位はきわめて低く,せいぜい御目見(おめみえ)以下,30俵二人扶持,譜代席,役上下どまりであった。四谷伊賀町などに屋敷を賜っていた。
執筆者:北原 章男
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伊賀国の地侍の呼称。甲賀者とともに,戦国期には間諜や斥候(せっこう)として活躍した。1582年(天正10)徳川家康は本能寺の変に遭遇して領国三河へ帰る際に従った者を,のち護衛と道案内の功により直参や服部半蔵配下の伊賀同心にとりたてた。彼らは江戸幕府成立後も,大坂の陣などに出陣して間諜を勤めたという。その後は,職制の制度化にともない,大奥広敷勤番の広敷伊賀者,明屋敷勤番の明屋敷番伊賀者,西丸山里門勤番の西丸山里伊賀者,普請場の巡視や職工の勤怠を監察する小普請方伊賀者,江戸城大手三の門を警備する鉄砲百人組の伊賀組与力・同心などに編入された。いずれも御目見以下で,役高30俵2人扶持程度の軽輩であった。
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…責任者は番頭で留守居支配,200石高,役料200俵,人数は9人,交代制で昼夜詰切りで勤務した。番頭の支配下に御広敷添番,同並,御広敷伊賀者,御広敷進上番,御広敷小人,御広敷小仕事之者などが所属する。御広敷御門の長屋中に伊賀者・添番の詰所,小人部屋があり,玄関を入ると番頭部屋・添番詰所があり,玄関正面の奥に伊賀者番所があって,この番所が厳重な板戸を隔てて御殿向に続き,ここが御広敷からの御錠口となっていた。…
※「伊賀者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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